1975
巨人球団初の最下位 田部井淳子エベレスト登頂 沖縄国際海洋博 映画「ジョーズ」 さくらと一郎「昭和枯れすゝき」
サイゴン陥落ベトナム戦争終結 マイクロソフト社設立 ソユーズ19号とアポロ18号ドッキング
22
Frank Zappa & The Mothers of Invention
One Size Fits All
アルバムの邦題が確か「万物同サイズの法則」だったと思います。
分かるような分からないようなうまいタイトルだなぁーと思った記憶があります。
75年というと音楽に関しては雑食の極みみたいな状態で、何もしなくてもレコードだけは1日8時間は聴く・・みたいな日々でした。
このレコードが75年に出て、その流れで74年のところで紹介しているジョージ・デュークのアルバムなんかを聴いているうちにザッパ来日の話が入ってきました。
ウチダユーヤさんが浅草国際劇場(現在のビューホテルのところ)でロックフェスをぶち上げてそのメインでの来日でした。
76年の来日メンバーにジョージ・デューク他このアルバムのメンバーはけっこういなくてコンサートが始まる前は少しがっかりしたのですが(ベースがロイ・エストラーダだったのは嬉しかったですが)いざ始まってみるととんでもございません・・1時間半くらいだったでしょうか、曲間はザッパの小さなジャンプやアクションだけでつながっていく隙のないテンション上がりっぱなしの超高密度。
その間、ずっと休み無し全力で超絶ドラムをたたいていたのがその後にその名が知れ渡るテリー・ボッチオでした。
ドラムスにはチェスター・トンプソンを期待していた私は金髪の生っちょろいのがドラムセットの前に座った時はがっかりしたのですが、いざ始まると最後まで唖然として見ていました。
あまりのビックリで、急遽決まった日本青年館での追加公演も行きましたがそこではザッパのアンプトラブルで数十分だけでであえなく中止となるおまけ付きでした。
ザッパのアルバムでは一番聴きやすいのでは・・と言うことでお勧めしておきます。
(11.7.14)
22
The Grateful Dead
Blues For Allah
デッドの中では一瞬「オッ!」と思わせるジャージーなテンションを感じさせる出だしですが、何となくオリエンタル/中近東風な感じになったりとやはりダラダラ感はぬぐえません。
とりとめの無さは相変わらずですが、全体の雰囲気としてはデッドの中ではやはりちょっと異色かも知れません。
ビート感の無さが信条みたいなバンドですが、真似のできない変なレベルの高さがあります。
自身の「デッド・レーベル」からの3枚目のアルバムで、この後一枚出した後にアリスタになり、少しだけ意欲的なアルバムを出したり初のシングル大ヒットもアリスタ時代に出ますが95年にリーダーのジェリー・ガルシアが亡くなり「The Grateful Dead」としての活動は終わります。
(10.10.30)
22
Kenny Vance
Vance 32
ケニー・ヴァンスのファーストアルバムは、ドゥー・ワップ=グッド・タイム・ミュージックが基調になったとてもドリーミンなアルバムです・・私だってこういうのも聴きます。
ところどころにSEやブリッジが入ったりして、コンセプト・アルバム的な感じもあり、また西のバーバンク・サウンドともかぶるような感じもありますが、どっちかというとフィフス・アベニュー・バンド的ないかにもイースト・コーストの洒落ものといったところです。
それにしてもアトランティックの力の入れようは凄くて、プロデューサーがジョエル・ドーンで彼のキャリアの中でもピークの時。
そのせいか、参加ミュージシャンも凄まじく主なところだけでもトニー・レビン、ラルフ・マクドナルド、リチャード・ティー、スティーブ・ガッド、コーネル・デュプリー、ジョン・トロピエ、ウィリー・ウィークス、グラディー・テイト、ヒュー・マックラケン等に加えてジョージ・コールマン、ロン・カーター、リチャード・デイビス、おまけにベティー・カーターなんて名前もクレジットされています。
また、楽曲もオリジナルの他、スティーリー・ダンの二人の曲がA面とB面に1曲ずつ入っていたりサム・クックのカバーもあるなど聴かせるものばかり。
名曲"LOOKING FOR AN ECHO"がB面の最後、リフレインで出てくるところで涙・・。
(08.2.29)

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