第四十九話「45×65に棲む鸚鵡貝」


3.「S800の驚嘆すべきウーファー」


 N801 “ウーハー”の断面
さて、前述の初対面のときの感動に大きなウェイトを占めるS800のウーファーであるが、一体どのような開発の指標があったのか…。 それすなわちN801のウーファーから、下地となる予備知識を述べることから始まるものと考えた。 N801の380mmウーファーはクラシック音楽のみならずロックやポピュラーミュージックのモニターとしても対応できるよう、 20Hzという極めて低いバスレフ・ポートチューニングと120dBを超える最大音圧を実現した。振動板の素材としてはペーパーにケブラーファイバーを重量比で10%混合し、 レジンで含浸した高剛性コーンを直径100mmのボイスコイルと直径213mm×t25mmの巨大なフェライトマグネットで極めて強力な駆動力を獲得した。

そしてボイスコイルボビンを延長して直径150mmのカーボンファイバークロスのセンタードームに連結するというマッシュルーム・コンストラクション、 これは写真3の中央部の断面に見られるような構造からネーミングされたようである。


 N801 “ウーハー”の裏側
また、大振幅でも安定した支持力を発揮するダブルダンパーなどプロフェッショナル・モニターにふさわしい強靭なウーファーが誕生していたのである。 しかし、低いf0を実現するために重い振動系と、それを十分に駆動するための非常に大きなフォースファクター(駆動力)が、 ドライブアンプにかつてない大きな負担を負わせることにもなっていた。また、N801のウーファーは音質面での配慮からだけではなく、 スタジオユースという過酷な使用環境からも自己を防御するための補強が人目につかない裏側でなされていたのである。

ここでweb siteや雑誌にも取り上げられていない、この随筆ならではの貴重な画像をご紹介する。上の写真はN801のウーファーの裏側をクローズアップしたものである。 表面はペーパーとケブラーファイバーの一見紙の質感のみに見える38センチの振動板であるが、 裏面にはこのような筆で塗ったというよりはヘラで盛り付けたような結構な厚みのレジン系樹脂のコーティングが施されている。

 S800 “ウーハー”の裏側
指で弾いたくらいではへこみや破れが出来ないように、まさに補強としての細工がしてあったわけだ。 もちろん振動板のような直接の振動系にこのような処理を施せば質量も増加し、その分f0は当然低くなり低域の質感に影響をもたらすものである。 この大口径の振動板を静止状態から瞬発的に動かすということ、そして大振幅の大音量再生時には逆にぴたっとそれを止めるということ。 この際の慣性質量が大きくなっていたことは"堅牢"であり"高い耐久性"ということと背中合わせであったわけだ。 さて、それでは早速比較のためにS800のウーファーの裏側を接写したものが右の写真である。 ご覧の通り振動板の裏側はまったく何もコーティングされてはおらず、振動系は軽量であることを重視していることがうかがい知れる。 さて、このような振動系の質量の違いが双方の設計方針にどのように現れてくるのであろうか。

 レコーディングモニターとして音響的にコントロールされた部屋でのハイレベル・モニターを前提としたN801に対して、 S800では同等なマキシマム・パフォーマンスを有しながら一般家庭のリスニングルームにおいて小音量から最大音量まで、 よりコントロールされた低域再生を目的として設計されたのである。

 S800 “ウーハー”
最終的にはN801と同様なストロークを持ち、同じ規模の駆動系をもつ250mm口径のウーファーをふたつパラレルで使用することになったのである。 つまり、380mmウーファーとほぼ同じ振動面積を有する振動板を、強力なN801の駆動系(それ以上)二基でドライブするのである。 直径100mmのボイスコイル、直径155mmのセンターキャップ、直径220mm×t25mmのマグネットを有する重量12.6kgという前代未聞の250mmドライバーはコーン型というよりも、 写真6のようにほとんどセミドーム型といえるデザインとなったのである。その結果、振動系等価質量に対する駆動力とコーンの強度が飛躍的に増大した。 そして、低域の伸びはそのままに、更にトランジェントに優れダンピングの効いた低域再生が可能になったのである。 また、磁気回路のポールピース(ギャップ磁束の対称性を意図したT型ポール)には銅コーティングが施され、高調波歪の徹底した低減が図られている。 そしてS800はこれから述べるほかのユニットを含め、すべてのドライバーの磁気回路にショートリングを採用したということになる。

さて、これまでに述べてきたS800のウーファーだが、それをN801のウーファーと並べて比べたのが次の写真である。

S800とN801の“ウーハー”裏面
これまで述べてきたように駆動系である磁気回路が同じであるということが実感される光景である。しかし、外観からはわからないが両者の磁気回路には微妙な調整が施されている。 N801のウーファーのギャップにおける磁束密度は11,000Gaussであるのに対して、S800のそれは10,500Gaussという設定になっているのだ。 これは振動系の軽量化に対してオーバーダンプにならないようにという細やかな配慮からの選択であった。 そして、更にS800のウーファーの物凄さというか贅沢さを実感できるのが下の写真の“側面からの比較”であろう。当然右側がS800である。


側面から見たウーファーの比較
 私はこれらを前述のように9/21に日本マランツの試聴室を訪問した時に見せられたのだが、S800のウーファーのみを見たときよりも、 比較することによってますますその強力さを実感させられたものであった。まさに軽自動車のボディーに3000ccのエンジンを積んだようなものだろう。 低域はともすればエンクロージャーの設計とドライバーユニット両者の組み合わせによって質感が変わるものであるが、 B&Wの主張するトランジェントの素晴らしさを低域において発揮するためには、単純ではあるが合理的であり過去の開発を有効に組み合わせるという巧みの技を感じるものであった。 やはり、これもドライバーユニットを自社開発・製造するという専業メーカーの大きな強みであることは間違いない。


ウーファーのエッジの比較
 さて、これまでウーファーの概要を述べてきたわけだが、絶対に雑誌には書かれることのない興味深い画像を撮影してきた。 これまでのところは振動系の軽量化を図り、しかし振動面積はN801と同等に、そして磁気回路は強力無比にという比較的わかりやすい展開であったが、 プロフェッショナル・モニターとして耐久性を考慮された設計はN801の場合には前述の38センチ振動板裏面のコーティングだけではなかった。 そして、それは製品の表面でもすぐわかるような特徴でもあったのだ。N801のウーファーは万一機械的な衝撃や圧力を受けても振動板が破損しないように補強されていたのだが、 それにともなってエッジの硬さも相当なものになっていたのである。これは両者のエッジを指で押してみればわかることなのだが、さて…、どうやってそれを説明しようかと思案していた。 そこで思いついたのが写真9の実験である。高さの違うN801とS800のウーファーを同じ高さにして、ご覧のようにCDプレーヤーのリモコンを両者のエッジに橋渡ししてみた。 左がN801のウーファーであり、金属製のリモコンをほとんどはね返すほどの硬さであるのに対して、右側のS800のエッジはほとんど耐えられないように押しつぶされているのが分かると思う。


三つのウーファー
そうなのです、S800のエッジはなんとも柔軟性が高く、彼らが求めていた低域におけるトランジェントを確保するためにN801とはまったく異なるエッジになっていたのである。 なるほど…、と感心することしきりであり、共通点はあるにしてもS800のウーファーは新開発されたものという認識が高まったものであった。 さて、S800はNautilus802の発展系のように外観から見られがちだが、一番奥がN801、真ん中がS800、そして一番手前のウーファーがN802という構図が写真10となる。 まあ何とも802のウーファーがかわいらしく、まるでおもちゃのように見えることか…。実際に持ち上げてみると、その軽さに驚いてしまうほどなのである。 当然802はプロ機としての設計ではなく家庭用としての設計であり、上級機であるN801のいいところを残しコストを落として設計されたものなのだが、 その顕著な違いは目に付かないこのようなところにあったのである。

4.「エンクロージャーの秘密」


S800のキャビネットデザイン
 さて、これまでトランジェントを追求した低域再生のためにウーファーに着目してきたわけだが、そこでもうひとつ重要な役割を果たすのがエンクロージャーのデザインである。 強力なウーファーを搭載したからといって、それだけで彼らの求めるトランジェント特性が得られるものではない。キャビネット構造は他のNautilus800シリーズと同様である。 ディフラクションの少ない湾曲した34mmの積層合板の胴板を使用し、内部にマトリクス構造の補強が組み込まれている。 そう、アメリカではWilson Audioが、そして英国ではB&Wが特許を持っているというマトリクス構造が低域のトランジェントに関しても重要な意味を持っているのである。 写真11にこのマトリクス構造の骨組みを示しているが、これは従来のマトリクスシリーズから継承している独特な構造である。簡単に言うと、これには二つの目的がある。 一つはキャビネットの内部からの補強である。これを内部に強固に取り付けることによって、あらゆる角度からの応力に対する万全の強度、そして波動エネルギーの速やかな減衰である。

マトリクス構造
もう一つはウーファーの強力な背圧を最小の容積で瞬間的に減衰させてしまうというものである。 音波は障害物にぶつかるたびに反射し、その度ごとにエネルギーを振動と熱に変えながら減衰していく。 従って、音波が衝突する対象の数は多ければ多いほど減衰特性は急峻になるわけで、S800と同容積のキャビネットでも空洞の場合はインパルス信号を入力すると 毎秒一二〇〇回程度の反射を繰り返しながら減衰していくことになる。ところが、マトリクス構造を取り入れた場合に同様な実験をしたと仮定すると、 音波が内壁の各部に衝突する回数は音速をもとにした単純計算でも一秒間に三〇〇〇回から六〇〇〇回以上にも及ぶのである。 (これ以上は専門家にコンピューターを使って計算してもらわないとわかりません。あくまでも理解しやすいようにとの私の推測値です。) そして、その複数の反射面のアライメントによって、多くの反射波が同一方向を向かずに互いに拡散しあう方向に進行していけば、定在波の防止にもなる上に一層減衰効果が大きくなる。

これがS800の素晴らしいトランジェントの低域再生を可能にしたエンクロージャーにおけるテクノロジーであり、 優美なカーブをボディーに取り入れたキャビネットデザインの根拠ともなるものである。これによってキャビネットを構成するパネルに平行面がなくなり、 より一層マトリクス構造の効果を完璧なものにしているのである。Nautilusを開発したローレンス・ディッキーが考案したマトリクス構造を採用し、 Nautilus 800シリーズのエンクロージャーをデザインしたのがモートン・ウォーレンであり、従来の同社のエンクロージャーの生産を手がけてきたデンマークのルードビクセン社が担当し、 手作りにたよるのではなく全て金型とコンピューター制御による加工機で均一な製品を量産することを可能としているのだ。 そして、これまでに述べたエンクロージャーデザインによる低域再生のための技術は、驚くべきことにB&Wがすでに開発済みの技術であり、 従来の製品で実証されてきたものであるということなのである。


フローポート
 さて、低域のトランジェントを確保するためのもうひとつのキーポイント。それがゴルフボール表面の多数のディンプルを応用したフローポートと呼ばれるバスレフポートの採用である。 まず一般的な単純なパイプ形状のバスレフポートでは、低域の大きな信号を再生するとき、すなわちウーファーの振動板が大きなストロークでピストンモーションを行うときに ポートの共振周波数以下の帯域(S800の共振周波数は25Hzに設定されている)では盛大にエンクロージャー内部の空気を排出することがある。 その際にパイプ状のポートの両端では盛大な風きり音が発生してしまうのである。 この高速な空気の流動に対してノイズを発生しないようにと滑らかな曲線で形作られた形状がまず重要な意味を持っている。 そして、このフローポートの独特な形状という特徴のほかに、もう一つ独特のテクニックが用いられている。無数に刻まれているディンプルとよばれる細かいくぼみがそうだ。 ゴルフボールと同じように空気抵抗を低減する効果があり、前述のエアーの噴出音を極少に抑えている。 高速で移動する物体、逆に言えば固定されているものに対して高速でぶつかる空気によってノイズが発生する。新幹線のパンタグラフにも同様な原理から細かい突起がつけられており、 騒音対策の重要な要素として知られている。これは夜行性のフクロウが滑空して獲物に接近するときに、小動物の発達した聴覚が防衛本能を刺激し逃がしてしまうわけにはいかないので、 風切り音を出さないために羽根に見られる数多くの小さな突起からヒントを得たというエピソードを耳にしたことがある。

自然界には流体力学の法則にしたがった素晴らしいメカニズムが当然のごとく存在しているわけだが、B&Wに在籍するゲリー・ギーブス博士が流体力学の専門家であるということを考えれば うなずけることである。B&Wは無駄な金を使っていないということだろうか。 このウーファーの振動板がエンクロージャー内部のバックプレッシャーの影響を受けずに、入力された信号に忠実に動作するためには、 キャビネット構造のこれら二つの要素がS800の低域のトランジェントの向上に貢献しているのである。そして、このバックプレッシャーの影響を完全に消去してしまったのが、 あのNautilusである。詳細は以下を参照。特に技術的な要素は第29話でわかりやすく述べていので、ぜひ読み返して頂ければ何よりである。

DYNA-HAL-音の細道(39)   DYNA-HAL-音の細道(29)  DYNA-HAL-音の細道(9) 

  さて、後ほど述べる中高域の再現性に関してもS800のキャビネットデザインは外観上の美しさに呼応する形で音質上の貢献をしているポイントがある。 大きさ的にはN801とN802の中間くらいの大きさだが、外装はグレー・タイガー・アイのハイグロス塗装仕上げとなっており、 更にキャビネット・トップとフロントバッフルには高級車の内装に多用されているコ コノリーレザーを使用している。磨き上げられた厚い塗膜はキャビネットの表面硬度を上げると共に表面をダンプする。 また、コノリーレザーのバッフル面ではウーファーによって加振されるバッフル振動を遮断する。 当然キャビネット・トップのレザー張りの部分についても中高域の不要な輻射を適切にダンプしているということなのだ。このようなこだわりの表面仕上げについては、 エグレストンワークスが処女作の「アンドラ」でイタリア産の御影石を本体の両側面に貼り付けたり、 ウィルソンがメタクリレートと呼ばれている超高硬度の素材でキャビネットを構成することにも同様な配慮がなされているものである。 しかし、S800は美しい…。こればかりは写真では伝わらない高級感が実物にはある。

写真 14 グレー・タイガー・アイのツキ板

写真 15 表面塗装のバフ工程

写真 16 グレー・タイガー・アイの模様

5.「非常識なミッドレンジとは」


写真 17 S800ミッドレンジ側面
 さて、ここでもNautilusと極めて異なるポイントがあるが、それは最後に述べることにしてS800のミッドレンジドライバーについて述べていくことにする。 写真17がS800のミッドレンジ・ユニットを側面から見たものだが、まず比較のためにN801のミッドレンジの概要を述べることにする。 磁気回路は直径91mmのフェライトマグネットを使用し、ポールピースには銅キャップがかぶせられ高調波歪の低減が図られている。 直径31mmのカプトンフィルム・ボイスコイルボビンに巻き幅3.3mmのコイルが巻かれ、6mm厚のプレートにセットされている。 ロングプレート・ショートボイスコイルという形式になるものであった。そして、特筆すべきはフレームの形状であり、 フランジの幅は最小、リブは驚くほど細く振動板後方の音圧をすべて抜くように作られている。磁気回路の見た目の物量感はウーファーとは違いN801との比較では逆転現象が起こっている。 写真18では左側がS800のミッドレンジであり、右側がN801のものである。どうだろう…、磁気回路の外観ではN801の方が豪華そうに見えるのではないだろうか。 しかし…、外見だけではわからない。S800はここからが違うのである!!

 S800はまず磁気回路からして新設計となっている。 使用マグネットは直径72mmのネオジウム(NeFeB)に変更され、トッププレート厚も6mmからミッドレンジとしては驚異的な10mm厚に変更された。 これによって最大振幅に対してもボイスコイルはギャップをはずれることなく歪率の大幅な向上が図られた。 そして、磁気回路をコンパクトにすることにより、振動板背面の反射を低減することにも一役買っているのである。 さて、この一見何の変哲もないようなミッドレンジユニットであるが、どこがNautilusと違うのか。それはN801が設計された段階にまでさかのぼって述べていく必要がある。

 N801のミッドレンジの登場は従来のコーン型ドライバーの常識を覆すものであった。160mmの直径を持ちながら3オクターブ半に及ぶ帯域を完全にカバーしなければならなかった。 もし高い剛性をもったコーン型振動板を用いて必要な帯域をすべてピストンモーション・エリアでカバーしようとしたら指向性が問題となる。 160mmの振動板では2.5kHz以上では指向性が強くなり、フラットな軸上レスポンスと均一なエネルギーレスポンスを両立できないのである。 つまり、ユニットの軸上では高域側のレスポンスは得られるが、 主軸から外れてリスニングポイントがユニットに対して角度が付いてくれば来るほど高域特性がロールオフされてしまうということだ。 350Hzから4KHzまでという広い帯域をカバーするのにB&Wが考えたことは、何と振動板の分割振動を巧みに応用するということであった。 つまり周波数が高くなるにつれて、あたかも振動板の面積がそれにともなって小さくなっていくような動作をさせようとしたのである。 このような目的でのコーン型ユニットの形式では整合共振型といわれるものがある。再生する周波数の変化と共に同心円状に分割振動を発生させ、 周波数特性を平坦にするという古くからある方式である。これはコーンの中ほどにコルゲーションと呼ばれる同心円状のリブがあるものが多いが、 残念ながらコーン自身の中で定在波を発生し音質的には強いカラーレーションが避けられないものである。

 さあ、ここで登場するのがB&Wのトレードマークとも言うべきウォーブン・ケブラーコーンである。 これは高張力ケブラー繊維を直角に織り込んだものであり、やわらかいバインダー材によって保持されている。 そのために、何とこのケブラー繊維は外部からエネルギーを与えられた場合にはある程度動くことが出来るのである。 この黄色いコーンは円形でありながら折り目によって四角い分割振動を発生させるのである。四角い分割振動はコーンネック(円錐の中心部)からの距離がランダムであり、 そのためにコーンの内部で発生する定在波を分散させてしまうのである。 つまり、カラーレーションがなくフラットな軸上レスポンスとエネルギーバランスを両立するということが可能になったのである。 しかし、問題はそれだけではなかった。まず右の不思議なグラフィックスをご覧頂きたい。 これはB&Wのピーター・フライヤー博士が開発したLaser Interferometryという観察・測定技術を駆使してミッドレンジユニットのコーンの挙動を画像化したものである。 上から順番に見ていくと、特定のエネルギーが加えられコーンの表面に現れた極めて微弱な変動をデフォルメして表現したものであることがおわかり頂けるだろう。 それがコーンの中心部から外周に向けてエネルギーが伝播していくのはよいのだが、最外周まで伝わってから一挙に全体が大きく乱れてしまっていることがお分かり頂ければ何よりである。 つまり、前述のウォーブン・ケブラーコーンを採用しても、このように振動板のエッジ部分で反射を起こし、それがコーン全体に更なるカラーレーションをもたらしているのである。

さあ、これをB&Wはどのように対処したのか。  この部分はN801もS800も同様な手法であるのだが、単純に言えば「エッジレス」構造を考え出したのである。 正確にはFSTエッジと呼ばれ、非常に密度の低い高分子フォーム材にコーンの外周端が乗っかっているという構造なのである。 それを採用した結果を同様な方法で画像化したものが右のものだ。 周辺部の黄色い部分はコーンの中心部から伝播してきたエネルギーが、このFSTエッジによって恐らく熱エネルギーに変換されたものではないかと思う。 そして、本来エッジがあった外周部から折り返される前ページのような規則性のある反射成分はなく、 かなり広範囲に分散されて特定のカラーレーションが発生し得ない状況を作っている状況が右の一番下の状態ということだ。 従って定在波は発生せず、またFSTエッジの無視できないスティフネス(軟らかさの指数)と重量でコーンの動作に制約を加え、 その表面で不要な音を発生させるエッジが存在しない画期的なコーン型ミッドレンジユニットが完成したのである。

いやはや、B&Wの研究者たちは本当に苦心惨憺してこのミッドレンジドライバーを開発したものだ。さて、ここで最初に述べたNautilusとの大きな相違点ということに話しを戻すことにする。 N801にしてもS800にしても様々な要因から3ウェイにまとめる必然性があった…、そしてミッドレンジには広大な帯域をひとつで担ってもらう役割が生じた・・・、 そして今まで述べてきたように分割振動を応用することで広帯域化を実現しようとした…。 さあ、それではNautilusはどうしたのかというと、最初の設計段階から可聴帯域のすべてで完全なピストンモーションを前提としており、 S800のミッドレンジがひとつでやろうとしていることを最初から二つのユニットで妥協なく再生するようにしているのである。 そうです、Nautilusは200Hzから800Hzをミッドロー・ドライバーが、800Hzから3KHzまでをミッドハイ・ドライバーが完璧なピストンモーションで再生しているのである。


Nautilus Headの断面図
 さて、S800のミッドレンジユニットに話しを戻すことにする。このコーン型ドライバーには振動板の動きをエアーダンプするセンターキャップは排除され、 ボイスコイルボビン内部の空洞共振を防止し、更にコーンネックでの音圧集中を拡散させる砲弾型フェイズプラグがN801の時代から取り付けられていた。 B&Wではこのフェイズプラグも様々な材質のものを試作しテストしていたが、 従来のプラスチック製のものからキャラクターが少なく聴感上のノイズフロアーも低減しているアルミブロック削り出しのものに変更しているのである。
右の写真はN801の右側のミッドレンジと比較しているものである。 さて、次はNautilus Headと呼ばれている独特な形状のマウント方法について述べることにする。 図1にその形状を断面図として示しているが、このブルーで示された肉厚のエンクロージャーの素材はマルランと呼ばれている高比重コンプレッション樹脂である。 重量は8Kgもあり最も厚い部分は60mmにもなる。グリーンの部分はISOパスというゲル状のアイソレーション素材でフローティングされている。 ちなみにトゥイーターのマウント部にもそれが使われていることをご記憶頂きたい。独特の球体とNautilusチューブの組み合わせになるコーン型振動板後方の空間は、 これまでの随筆で何度も触れてきたサイレンサー構造であり、振動板後方に放射された音波を定在波を発生させることなく消滅させるものである。 結果として振動板はコーン後方からの反射音圧に影響を受けることなくきわめて高いトランジェントを獲得することを可能とした。

6.「S800の新世代トゥイーターとは」

 さて、いよいよS800のトゥイーターに言及する。新フォーマットであるSACD/DVD-Aへの対応とは何を意味するのか。 超高域特性のみが喧伝される傾向にあるトゥイーターの存在感であるが、B&Wは可聴帯域を超えた高域特性の再生限界を拡張するために、 肝心な可聴帯域内での特性を犠牲にするのはナンセンスであると考えた。 一般的には硬質なダイアフラム(振動板)を使用したりドーム形状を深くしたりして高域共振周波数をより高くすると、それよりも低い周波数帯域の特性の乱れを引き起こすことになる。 また、スーパートゥイーターを加えた4ウェイ化はクロスオーバー・ネットワークによる位相遅れが発生し好ましくない。 また、ユニット間の距離も問題になってくる。例えば10KHzではキャンセルが生じる波長は何と1.7センチほどしかないのである。 従って、B&Wでは可聴帯域の特性を犠牲にすることなく3ウェイによって再生帯域を拡大するという手法を選択したのである。

 余談であるが新フォーマットにおける超高域特性をどのように考えるか、これがそもそも説明不足の感がある。 まず、SACDなどは国産の場合には意識して50KHzから70KHzあたりからロールオフさせる高域フィルターをプレーヤーの内部に装備している。 これは真空管のアンプや年代物の古い設計のアンプに接続した場合に高域発振を引き起こす可能性があり、プレーヤーを製造したメーカーにクレームが入るのを配慮してのことだという。 また、SACDの理論上の高域特性については単純に100KHzというのはS/N比を重視しない場合に言えることであって、可聴帯域と同じS/N比を前提にすればそこまでは伸びているとは言えない。

DVD-Aプレーヤーにも大同小異な論争はあるのだろうが、このように新フォーマットとしては必ず100KHzまでの再生帯域がなくてはならないというわけでもないのである。 また、現在実用化されている録音用・測定用マイクロホンでも高域特性の限界はせいぜい40KHz止まりであり、 確かにスーパートゥイーターを測定するマイクで150KHzまでの特性を持っているものもあるが、そのダイヤフラムは何と直径はわずか3mmしかないのである。 更に100KHzを測定する場合にはスーパートゥイーターの前方10センチにマイクをセットしてスペックを出しているメーカーもあるというのだ。 ちなみに、この点については私がここで採用しているmurata ES103は軸上1メートルの距離においてもビシッと100KHzをクリアーしていると設計者は語っておりましたが・・・。 そして、マイク自身の特性を測るための標準マイクの高域特性が規定されているのは20KHzまでなので、それで40 KHzまでを校正しようとしても無理のある話しとなってしまうだろう。

このように出力するプレーヤー側とそれを再生するというキャッチフレーズのスーパートゥイーター搭載のスピーカーシステムにおいては、 まだまだ課題が山積されているという状況なのである。 ということで、現在求められるトゥイーターの能力として、単純に高域限界周波数が高ければいいというわけではないということ。 そして、可聴帯域内では特性の乱れを起こさず、20KHz以上は余裕をもってなだらかに減衰していくことが望ましいと彼らは考えたのである。

 さて、それでは最初にこれまでのNautilus800シリーズに搭載されているトゥイーターがどのようなものであったかを確認しておきたい。 ダイヤフラムはアルミ合金の25mm口径であり、フラットタイプのフォーム・フリーエッジを用いてピストンモーション領域をコントロールしスムースなレスポンスを確保していた。 高耐熱カプトンフィルムのボイスコイルボビンに占有率の高いCCAW(銅被覆アルミ)リボン線を巻き、振動系の軽量化と高能率化を図っている。 ボイスコイルの引き出しリードワイヤーは耐金属疲労性に優れたベリリウム・カッパーリボンを用いている。磁気回路は直径45mmのネオジウム(NdFeB)マグネットを使用し、 17.000Gaussの磁束密度を得ている。そして、これをアルミのNautilusチューブに結合することにより放熱効果を高め、 同時にミッドレンジ同様にダイヤフラム後方の音圧を抜き取ってしまい振動板にストレスを与えない構造としている。 その結果として高域共振周波数は約27KHzにあり、そこまで極めてフラットなレスポンスを実現している。超高域特性はマイナス6デシベルで30KHzを余裕でクリアーしている。


トゥイーターの構成部品
 さあ、これに対してS800のトゥイーターはどのようにリファインされたのか。まずN801のトゥイーターと表面処理の色合いは若干違うものの、 ダイヤフラムの素材はアルミ合金であり変更はない。左写真の右側に見えるのがN801のエッジが付けられたままのトゥイーターのダイヤフラムである。 (S800のパーツはさすがにまだ本体からもぎ取ってくることは出来ないのでサンプルはない)次にボイスコイルボビンだが、 これが従来の高耐熱カプトンフィルムからアルミ合金に変更された。 そして、この二つをつなげる接合方法になんともシンプルであり効果的な改良が施されたのである。 従来はボイスコイルボビンのパイプを輪切りにしたような断面に単純に接着剤をつけ、ドーム型の外周に接着していた。 いわゆるボビンの円筒形の最端部のごく薄い断面とドームの最端部が"線と線"を合わせるようにして接着されていたのである。 ところがS800の場合は、ボビンのダイヤフラム側の端を王冠型のぎざぎざに切り込みを入れ内側に折り込むことによって、ドームの内部に十分な"のりしろ"を作って接着しているのである。 これは折り返すことによってボビンそのものの強度を高め、ドームとの接合面も同時に堅固にすることになり、高域共振周波数を30KHz以上までシフトすること出来たのである。

さて、ここで写真の真ん中にあるパーツに注目していただきたい。光の加減がどこか違って見えるだろうか。 これは磁気回路のポールピースなのだが、通常は銅をコーティングする事が多いのだがS800では純鉄(低炭素鋼)製のポールピースに純銀のコーティングを施しているのである。 一般的にはショートリングとして銅キャップを使うのだが(S800のウーファー及びミッドレンジも同様)、もしトゥイーターにこれを使った場合には十分な厚みが必要であり、 見かけ上磁気ギャップが広がったのと同じこととなり、磁束密度が低下する。 純銀は銅よりも電気抵抗が低いので薄いコーティングで同じ効果を得られるため磁束密度の低下が少ないのである。 それにプレートを重ねたのが左のものであり、ボイスコイルを挿入するギャップが形成されているのがわかる。この上に右側のドーム型ダイヤフラムが重ねられるという構造になる。 ボイスコイルのインダクタンス成分を減らすショートリングの役目も含めて、高調波歪を抑え更に高域に向かってのボイスコイルのインピーダンス上昇をも抑制することができたという。 その結果、S800の超高域特性はマイナス6デシベルで何と50KHzにおよび、更に可聴帯域では非直線歪を一層下げることに成功したのである。 これには参った!! 何と贅沢な試みであることか。

7.「クロスオーバー・ネットワーク」

 クロスオーバー・ネットワークの電気的な構成はB&Wの一貫した手法を踏襲している。 ウーファー用のローパスフィルターとトゥイーター用のハイパスフィルターはともに18dB/octであり、ミッドレンジ用のバンドパス・フィルターは上下ともに12dB/octの非対称型で、 すべてのユニットは正相接続である。これはユニットの前後の配置が総合的に時間軸で揃えられており、タイムアライメントが図られていることが前提で成り立つものである。 各フィルターのスロープ特性はスムースなクロスオーバーと歪率特性、及びパワーハンドリングを考慮しており良好なインパルス応答特性が得られるようになっている。 そして、各フィルターは相互干渉を避けるために独立した構造となっている。ミッドレンジのスロープ特性が上下の二つと違って12dB/octであることに気が付かれたと思うが、 前述しているように広帯域を自然な形で担うミッドレンジは緩やかな遮断特性で使用してこそ本領を発揮するというものなのだろう。

私の記憶が正しければGOLDMUNDのAPOLOGUEはシステム全体で600個以上のエレメントを使用したネットワークであった。 アメリカのTHIELが開発したCS5では確かネットワークのパーツは136個あったはずだ。最近ではKRELLのLAT-1も恐らくは50個以上の素子をネットワークに使用している。 これらの複雑なネットワークのパーツすべての中をオーディオ信号が通過するわけではなく、 位相軸と時間軸をアライメントするための制御用として各々の7割くらいの素子が使用されているのだ。 そして、逆の現象もあった。私も大変高く評価しているAVALONのOsiris(オザイラス)はスピーカー本体とネットワークのシステム1セットで総重量が1トンという巨大なシステムであり、 5ウェイのすべてが独立した五つの入力端子を備えていた。スピーカーのネットワークも究極的にはこうなるという見本のような存在であったが、 そのAVALONもEidolonからは入力端子はシングルとなりネットワークの素子数も従来の三分の一になってしまった。 これはユニットのコントロールが設計者の意図したレベルで出来るようになったので、複雑なネットワークの必要性がなくなったということであった。 つまり、設計者の理想にかなわないユニットを使わざるを得ないのでネットワークでの複雑なコントロール機能が必要となっていたということなのである。

さあ、ユニットもすべて自社で設計製作できるB&Wは、というと…。何とフィルターとアッテネーション抵抗のみというシンプルさで、補正回路は一切ないのである。 思えば前述の世界のハイエンド・スピーカーのメーカーたちはユニットをヨーロッパのメーカーからの供給に依存しているものであり、 あのTHIELも最近のCS6あたりからユニットを自社製造してネットワークの部品点数をやはり従来の三分の一にまで減らしていたことを思い出した。 つまり、B&Wはユニットそのもので特性をコントロールして設計できるので、ネットワークによる補正を必要としないのである。 そして、彼らは他社のようにOEMで自社のユニットを外部に販売するということは一切考えていないのである。  さて、話しを進めることにする。N801のネットワークもS800と回路構成は同じであるが、使用パーツのグレードが違いすぎるほど格差がある。 キャパシターにはウーファー用ローパスフィルターのみ300μFのノンポーラ電解コンデンサー(損失の大きさは直列にダンプ抵抗が入るので比較的問題となりにくいので)を、 他には損失が極めて極めて少ない高耐圧ポリプロピレン・フィルム・コンデンサーを使用している。 また、チョークコイルには大きなインダクタンスについてはコア(歪の少ないパウダー・アイアン・ドラム)入りコイルを、それ以外には磁気飽和のない空芯コイルを使用している。 アッテネーション抵抗やダンプ抵抗にはビシェイのメタルクラッド抵抗を(熱的なアッテネーションを抑えるために)並列で使用している。これらがN801のネットワークの概要である。

 それではS800のネットワークはどのように進化したのだろうか。
左写真はウーファー用のローパスフィルターであるが、まずリードワイヤーの太さに驚く。
以前はvan-den-Hulのケーブルを使用していたのだが、よく見ると表面にはB&Wとレタリングされている。 一見しておわかりのようにコイルはすべて空芯であり、それはそれは太い銅線が巻かれている。
このウーファー用のキャパシターは200μFもあるのだが、最高品質のポリプロピレン・フィルム・コンデンサーを採用している。 ちょっとわかり辛いと思われるので、実物を私が撮影してきたものが右写真である。左側がウーファー用、右側がトゥイーター用のネットワークである。 すぐに目に付くのが、まるで缶詰のようなずっしりと重いコンデンサーであろう。ICW(インダストリアル・キャパシターズ・ウェールズ)社の特注品であり、 コンデンサーの中心に何と銅のロッドターミナルをじか付けし、インターナル・ロスを最小限にしようとする意気込みが感じられる。 そして、すべてのチョーク・コイルには空芯コイルが採用され、磁気飽和を根絶する意図があからさま過ぎるほど伝わってくる。 アッテネーションおよびダンプ抵抗にはカドック社のロー・インダクタンス抵抗が採用されている。

さて、ここで面白いものを見せてもらったのが次の写真である。
このコンデンサーの構造を言葉で説明するのは難しいのだが、単純に言うとむき出したフィルムが二枚あり、真ん中が電極であり黒い円盤がこれにつながる導電体である。 この薄いアルミフィルムは左下にむき出した絶縁体に交互にはさまれて巻かれていく。そして、通常はそのフィルムが上の電極に導通しているものと、 下の電極に導通しているものとが交互に巻かれ静電容量を発生する。 しかし、一般的なものは右上にむき出され黒い電極の背景に透かして見えるように、アルミのプリント部分は上下対象ではないのである。 そのために交流信号に対して極性をもってしまうのだが、何とB&Wはこのフィルムの構造を特注し極性に影響されないフィルム・コンデンサーを設計しS800で新規採用したというのだ。 優秀なパーツをチョイスして採用する…、ではなく自分たちの理想を具現化するために斬新なアイデアをパーツメーカーまで説得して 他社が得られないようなコンデンサーまでも特注してしまったというのだ。これこそ高品位でありながら世界中を相手に相当数のセールスを行う自信と、 その実績によるスケールメリットを開発に生かしたという好例であろう。これには驚いた!!