第五十二話

「VRDS-NEO」



プロローグ

音を記録し再生する…、今では当たり前になってしまったことであるが、その歴史は一世紀に及ぶものであり、 その遍歴をこの随筆第22話「オーディオの原点を知る事の喜び」でも述べていたものである。
当然アナログによる記録再生であったが、その歴史の中でレコードという円盤での録音と再生ということを前提にし、更に今日のようなハイファイ録音による音楽録音が産業として成立してきた時代。 言い換えればLPレコードが一般的に発売された時期というのはいつ頃であったか。上記の本文から一部を引用すると…。
「ベル研究所では1924年にマックスフィールドとH・C・ハリスンの努力が実り、レコードの電気吹き込み技術が完成の域に達した。
その翌年アメリカのビクター社、コロムビア社、イギリスのグラモフォン社が次々に電気吹き込みレコードの発売に踏み切り、同時に再生用の電気蓄音機を製作するに至り、 新しい時代の幕開けとなったのである。それは「僅か3か月の間に旧来の方式を完全に追放した巨大な質的改良であった」とエヴリマンズ・エンサイクロペディアの 「レコードプレーヤー」の中で述べられているほど、まったくあっという間の変革であった。
 これまでの機械式録音に比べて大変美しい音が一般の人々の耳に伝えられるようになり、ハイファイという表現も表れてきたのである。 この時代から1939年の第二次世界大戦の勃発までの期間に加えられた改良といえば、ピックアップデザインの変化、アンプ・サーキットやラウドスピーカーの改良といった 既存の技術の改良がほとんどであった。そして、第二次世界大戦の終結と共に三たび蓄音機産業は抜本的大変革をむかえるのである。
 1948年アメリカのコロンビア社が9年の開発期間をかけて作り上げたロング・プレイング・レコード(LP・長時間演奏・両面46分)を発表したのである。 これまで、四分から五分という演奏時間しかなかったスタンダード・プレイング・レコード(SP)に比べて、何と画期的な演奏時間であることか。
さらにSPのシェラック盤にかわってLPのビニール盤は、あのスクラッチ(針音)を見事に取り去ってしまったのも大変な出来事だった。
LPは33.3回転であるが、1949年にはRCAビクター社から七インチ四五回転盤も発売された。
そしてつぎにはステレオの時代がやってくるのだが、蓄音機と称される時代はこのあたりをもって終焉をむかえたのである。」
さて、ここからの展開は速いのだが、日本では1951年に日本コロムビアがLPの発売を開始している。
その二年後には日本ビクターが純国産のLPを発売し、翌年には同社がやはり純国産のEPレコードを発売する。
しかし、ここではまだステレオにはなっておらず、初めてステレオのLPレコードを開発したのは英国のDECCAであった。1956年のことである。 そして、翌年に米国コロムビア社が提唱するLPレコード方式に統一され、同時に世界初のステレオピックアップ・カートリッジがアメリカではSHURE、 ヨーロッパにおいては今ではスピーカーでお馴染みになったドイツのELACより発売されるのである。この辺りがアナログ・ハイファイのスタートと言える頃ではないだろうか。
 さて、それでは現在の主流となったデジタル方式の録音再生はどのような歴史を持っているのだろうか?
これを調べてみて私も意外に思い、驚かされる一面があったものだ。
 現在の主流となっているのはパルス符号変調 (PCM) (Pulse Code Modulation)であるが、この原理を初めて発明したのは英国のA.H.Reevesであり、それは何と1937年なのである。 高速パルス変換のため数多くの真空管を必要とすることから実用化するに至らなかったのだが、その起源がこれほど古いものだとは知らなかった。
そして、1966年にSONYが初のPCMプロセッサーを開発するのだが、現在のCD(コンパクトディスク)を標準化するために「DAD懇談会」がこの年に発足しているのである。
後年1982年に商品化されたCDの原型と標準化がこんなにも以前から開始されていたということを知る人は少ないだろう。 むしろ私などは同じ年に日本コロムビアとNHKが協同開発したステレオカートリッジの名器『DL-103』の方になじみがある。
 この後、アナログの世界では4チャンネルがブームとなり全盛期を迎えるのだが、その間デジタル分野では1969年にNHKがPCM磁気録音システムを完成させ、 72年には日本コロムビアがPCMレコーディングシステムを完成させる。
LPレコードにPCM録音というセールスポイントが追加されるのだが、PCMの品質がそのままでユーザーに伝わるところまでは行かなかった。
75年にベータ方式でVTRを発売したSONYは翌年にPCMテープレコーダーを開発している。そして、1979年パイオニアがLD(レーザーディスク)を発売した年にフィリップスがCDの開発を発表したのである。 更にSONYとフィリップスとの間で標準化の詰めが行われ、遂に1982年にCDが発売されたものであった。
そして、日本では1987年という短期間でLPの生産枚数をCDが上回る逆転現象が起こり、アナログからデジタル主導へと変節していったものである。
その直前の1985年にタイムワーナー社長のリバファーム氏が初めてDVDという概念を発表する。92年には東芝はDVDの開発を決意し96年に単独で商品化するが普及せずに空振りとなってしまった。 その翌年DVDオーディオの業界規格がやっと決定するが、同時にDVD-R、DVD-RWなどの規格も決定し始める。
 当初は"デジタル・ビデオ・ディスク"であったものがコンピューターのメディアとしても、あるいはテープに換わる記録メディアとしても進化を遂げながら DVD(Digital Versatile Disk)という位置付けに変化していったのである。
さて、ここで見逃してはならない、もうひとつのデジタルオーディオの開発と流れがあった。SACD (Super Audio CD)である。
私が始めてSACDに遭遇したときのエピソードは第47話「純粋主義者」の第4部で下記のように述べていた。
第四章「contribution to Super Audio CD」
「99年5月21日はオーディオ業界にとって記念日となることだろう。
次世代CDフォーマットとして開発を続けてきたスーパー・オーディオCD(以後SACDと表記)が発売された日であり、将来この随筆を読まれる方にもよいタイムマーカーとして記憶されることだろう。
 実は開発メーカーであるソニーのオーディオ部門とは色々な意味で懇意にして頂いており、この新フォーマットには昨年から触れる機会を作って頂いたのであった。
 98年3月10日、まだディスクという形態にはなっておらず、コンピューターからハードディスクのデータを読みだす形でDSD(ダイレクト・ストリーム・デジタル)の音を聴かせてくれるというので、 品川駅の近くにあるソニー芝浦テクノロジーを訪問したのであった。
 この日は全国の数社だけを厳選して新フォーマットの内覧会と試聴を行なうということで招待されたのだが、ぜひ午前中に来てもらいたいというのである。 うかがってみて初めてわかったのだが、午後からは何社かまとめての試聴をする予定であるというのだが、午前中は私一人だけに聴かせてくれる時間を特別に作って下さったというのである。 これには恐縮してしまった。
 小規模な試聴室に案内され、dmpやヨーヨー・マのサンプル曲を従来型CD、DSDからスーパービットマッピングに変換した現行方式CD、それに96キロサンプリング24ビットへ変換したもの、 そしてフルDSDと、ウィルソンのシステム5を使用して聴かせて頂いた。
この段階ではハードディスクのデータという形態のため、CDと同形状のディスクになってからの状態でP-0のメカ的な革新技術との比較は出来なかったわけだが、 これほど情報量が増大するのかという事実に次世代方式という期待感が強く感じられたことを鮮明に記憶している。」続く…。
そして、この99年の5月にSACDが登場してから現在に至るまで、ここH.A.L.におけるリファレンスシステムの中に残念ながらSACDプレーヤーはラインアップされることはなかった。
それは聴いた上での必然的な判断からであったが、いみじくも当時から上記のように述べている視点が音質に関して大変重要であるということを認識していたからである。
「CDと同形状のディスクになってからの状態でP-0のメカ的な革新技術との比較は出来なかったわけだが…」まさに私の着目点はこれだった。
電気的なスペックが測定上いかに素晴らしいものであっても、貧弱なメカニズムによる再生では一定の領域を超えることは出来ない。 逆に電気的なスペックが不利であっても、完成されたメカニズムによる演奏は大きな感動を与えてくれたのである。
この経験則から生まれた私の音質評価のあり方、メカニズムとハイスペックの両者の完成度が、やっと…、この2003年に大きく変わろうとしているのである。


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