第五十話「Made in Japanの逆襲」 プロローグ
「エリアナ・パブロバは大正九年動乱の祖国ロシアを逃れて来日。昭和二年この地にバレエスクールを建てたエリアナは自分自身の舞台活動を通じて日本にクラシックバレエを紹介するとともに、 多くの舞踊家を育て日本バレエ界の基礎づくりに貢献した。第二次大戦後日本のバレエ界の発展を支えてきた人達の多くはパブロバの薫陶のもとに育った。 昭和八年日本に帰化。霧島エリ子を名乗ったが昭和十六年軍属として日本軍慰問旅行の途中南京で戦病死。鎌倉市は市葬をいとなみのち靖国神社に合祀された。 母ナタリア妹ナデジタはエリアナを輔けエリアナの死後その仕事をついだ。ナデジタは昭和五十七年この地で没した。 昭和六十一年十一月吉日 エリアナパブロバ顕彰会」このようにロシア革命が日本にもたらしたものが意外にも今日のクラシックバレエであったことを知る人は少ないだろう。 彼女らの育てた弟子たちは1930年代、40年代に活動を始めた。その基礎の上に、終戦直後からバレエは急速に普及していく。 まだ東京都心にも焼け跡が広がっていた1946年(昭和21年)に帝劇で『白鳥の湖』が一ヶ月間にわたって上演されたが、これが戦後の日本のバレエの出発点となった。 そう、ピオトル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilych Tchaikovsky/1840-1893)作曲になる『白鳥の湖』である。 さて、話しはサンクトペテルブルクに戻るのだが、エルミタージュ美術館などをはじめとして帝政時代から様々な文化が花開いた都市であったことは前述の通りだが、 ここサンクトペテルブルクには現在三つのオーケストラが存在している。1931年設立のサンクトペテルブルク交響楽団、1882年設立のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団、 そして最も歴史ある1860年設立になるキーロフ歌劇場管弦楽団である。そして、チャイコフスキーの三大バレエの初演は1877年3月にモスクワのボリショイ劇場で行われたランジンガー版 (振り付け)の「白鳥の湖」であった。そして、その第二作目が「眠れる森の美女」であり、プティバの振り付けによって1890年1月に上演されたのが、 ここマリインスキー(キーロフ)劇場であった。その時のオーケストラも当然キーロフ歌劇場管弦楽団ということになる。 チャイコフスキーは前作「眠りの森の美女」のまずまずの成功に気をよくして、2年後再びマリウス・プティパからの依頼で新作バレエを作曲する。 このバレエはドイツの作家ホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王様」という童話をデュマ(息子の方)がフランス語に翻案したものを元にプティバが台本を書き、 その台本を見ながらチャイコフスキーが曲を付けたものだ。ところが実際に振り付けをする段階でプテイパは病気でダウン。彼の弟子のイワノフが振付けを行うことになる。 この振付けにはプテイパも十分満足していなかったと言われている。そして、マリインスキー劇場での公演も一応成功するが、音楽の評価が高かったのに対して、振付けに関しては退屈、 との指摘が多かったようだ。当時の演出では前半はマイムによって物語がどんどん進行し、後半は物語とは関係ない踊りが延々と続き、 主役の二人(こいぺいとうの精と王子)は最後にグラン・パ・ド・ドゥを踊るだけ、というものだった。
その後の「くるみ割り人形」の振付けは一般にこのワイノーネン版がベースになっている。
2002年4月26日ゴールデンウィークを目前に控えた私のフロアーに国産としては数年ぶりという新製品が持ち込まれた。 過去にはExlusive C-7a & M-8 , DENON PRA-S1 & POA-S1 , Victor ME-1000 , LAXMAN C-7 & B-10 , SANSUI C-2301P Vintage & B-2302Vintage GOLD , SONY TA-RE1 & TA-NR10などの、 錚々たる国産ブランドのアンプを当時の試聴室に持ち込んで、数々の海外製ハイエンドスピーカーを鳴らしたものだが、残念ながら満足できるものはなかった。 ご記憶の方も多いと思うが、これらの製品たちもプリアンプだけでも100万円以上、パワーアンプとセットにすると高いものでは500万円以上という価格であった。 しかし、今回私が取り上げた新製品marantz 『SC-7S1』 \700,000 , 『MA-9S1』 1台\650,000 はセット価格にしても200万円と 過去に私が体験した国産アンプに比べても大変リーズナブルな価格設定なのである。 私は正直に申し上げて過去のmarantzブランドのアンプについては、自分のフロアーで演奏したいレベルという評価を与える事が出来ず、 今回の新製品についても実際に試聴してみるまではまったくと言ってよいほど期待はしていなかったのである。 それは教訓でもあり悪しき既成概念であったのかもしれない。この「くるみ割り人形」の序曲を聴くまでは…!? |