第四十五話「美音倶楽部」
第二部「ロックポート」
98年2月25日のことである。日本では公開されていなかったブランドによる新着 のコンポーネントが私のフロアーに持ちこまれた。数年前から噂には訊いていたロック ポート・テクノロジー社のアナログプレーヤーシステムである。アメリカのハイエンド シーンでは有名なブランドなのだが、現在まで同社の製品を輸入販売しようという動き は日本の輸入商社には見られなかった。 アンディー・ペイヤー(Andy Payor)氏が主宰する同社は、アメリカのメイン州ロッ クポートシティーに1986年に設立されている。設立当時は各地のオーディオメーカ ーから設計と製造およびコンサルティング業務を請け負って活動していたらしい。そし て、その契約先が錚々たる陣容なのである。MIT、アヴァロン、スウェーデンのレス ポンス・スピーカー、アルテミス、ウェル・テンパード、等々現在高い評価を得ている 著名メーカーばかりである。これらを見ておわかりのとおり、対象となっているのはア ナログプレーヤーのメーカーだけではなく、スピーカーのメーカーも含まれている。ど うやら、アンディー・ペイヤー氏は、これらのメーカーで開発と設計を繰り返しながら 、非常に多方面にわたる知識と経験を積み重ねてこられたようである。その証拠が自社 ブランドによる製品開発の歴史である。最初の製品は九一年に発表されたアナログプレ ーヤー、初代シリウス( Original Sirius 1 Phonograph )がある。これは翌年にはシス テム2としてリファインされ、93年には初代カペラ( Original Capella Phonograph ) を発表している。しかし、このあと93年、94年にはプロシオン(Prosyon)シザイジ ー(Syzygy)と相次いでスピーカーを発表しているのである。そして、再び95年にはシ リーズ6000トーンアームを、続く96年にはシリウスをシステム3としてアップデ ートし、97年にカペラ2を、97年にはシリーズ7000トーンアームを発表してい る。そして、大変興味深いことに同年にエグゼニア(Xenia)翌98年にはメラック(Merak) というネーミングでスピーカーを発表しているのである。これらのスピーカーの情報は 今のところ届いていないが、相当ハイレベルなものであろうと推測している。さて、こ れらの活動をしていながら、なぜ今までわが国に輸入されなかったのか。どうやら、そ のわけは同社の経営姿勢にあるらしい。 通常海外メーカーが日本に向けて商品を輸出する場合には、現地価格よりも多少割り 引いた輸出価格を設定しているメーカーが大半なのだが、このロックポート社は工場出 荷の価格しか設定していないのである。言うなれば、小売を意識した定価、卸し価格な どといった流通機構を意識した価格設定を一切行なっていないのである。つまり、現地 の人が生産国内で買っても、諸外国の人あるいは企業が買っても一切価格は同じなので ある。こんな価格設定をしている製品が輸出されても、輸入された先での価格競争力を 持ちえるはずがない。言い替えれば、輸入商社が仕入れる価格も現地とまったく同じに なり、採算性を考えると大変高価になり、並行輸入や通信販売に対抗する手段がないこ ともあり、ビジネスとしてのうま味がないと言えるのである。そして、ロックポートの 製品自体が工場出荷価格といえども大変高価であることも輸入販売に躊躇せざるを得な い大きな要因となっていると思われる。 今回ビジネスとしての成功よりも、素晴らしいモノは素直に認めて日本の皆さんに紹 介しようと英断を下したのが大場商事株式会社である。当然、日本国内におけるプロモ ーションやカタログ製作、納品やセッティングにかかわる経費、アフターサービスのた めのワーキングコストなど、物価の高い日本で販売するのだから現地価格よりも割高に なることが予想される。しかし、崇高な経営理念に基づいて未知なるものを日本に紹介 し、その存在を知らせることによってユーザーの音楽鑑賞に大きく貢献したのならば、 その輸入商社が正当な報酬として妥当な利益をあげることに私はいささかの反論もない 。単純なことだが、我々日本人が「井の中の蛙」として生涯を終えてしまうのではなく 、諸外国と同等な情報量の中から個人の趣向する道具を発見し使っていけるという価値 観を認めれば、そこに果たす輸入商社の役割の本来の意義が発見されるのではないだろ うか。簡単な話が、有力な専門店に行って初めて見る新製品を聴き、感動し納得して検 討を開始したり購入したりということが当たり前のように行われている。しかし、生産 国に出かけて行かなくても、日本で実物を聴けるという事実には、すでにコストがかか っているということを理解している人は少ない。これらは逆説的に言えば、生産国の企 業が非常に商売熱心で、日本語のカタログを作り日本でのプロモーションコストも負担 し、アフターサービスに要するノウハウとパーツを提供するなど、日本市場に積極的に 介入して行くだけの規模と余力が現地メーカーにないということを実態として知るべき であろうと思われる。これらのマーケティングが可能とされているのは、車の業界を筆 頭とするごく少数の分野ではないだろうか。 そして、ロックポートのこのような姿勢も、市場競争に惑わされないハイエンド・ブ ランドとして理解できなくはない。ここで、輸入商品の価格に関して、現地よりも割高 であるという現実に対しては、商品を発掘し吟味して日本に紹介しようとする輸入商社 の情報収集能力と、国内における情報発信能力に、我々はコスト意識を持つべきではな いかと思うのである。これは私見であるが、私は並行輸入という商売の在り方は嫌いで ある。なぜならば、正規輸入代理店が苦労して築き上げた知名度と価値観を利用して安 売りするからである。「良いものを安く。消費者の味方」などというキャッチフレーズ をよく耳にするが、私に言わせて頂ければ詭弁である。その「良いもの」という認識を 市場に作ることにこそ、本来のビジネスの苦労と成功があるのであって、商品の価値観 を創造することにこそ市場ニーズを引き起こす原動力があるのである。 実は私の仕事にも同様なことが言えるのである。私のフロアーで試聴し、感動して価 値観を認めたあとで他の安売りの店で買われる方がいるのである。日頃から高品位な音 楽をお聴かせ出来る設備と環境を整備し、時間と労力を惜しまず親切に接客し、商品の 価値観と魅力を十分に理解して頂ける解説を行なう。このような私と同じレベルの接客 をした上でならば、私は他の店がいくらで販売しようとも納得するだろう。しかし、私 が情熱を傾けて行なっている商品の解説とデモだけを持ち去り、その製品の音も知らな い人から価格だけで買うというのは、私にしてみれば大変悲しいことなのである。これ を読んでドッキリした人がいるかもしれないが、前述のとおり価値観を教えてくれた店 からお買上げ頂けるというモラルをもって頂きたいものだと思う。〈随筆本編とは関係 ないことであるが、だからと言って私の販売価格が必ずしも他店より高いということは ない。このようなサービスを行なっていながら、むしろ大変に良い条件のでお買い物頂 いているという実績があり、実際にご利用頂いた多くの皆様が証言をして下さるだろう 。ただし、何をいくらで買ったかという具体的なことは、私とお得意様お一人お一人と の秘密になっている。この信頼関係があるからこそ、求める人に求めるものを秘密の価 格で販売できるのである。この信頼関係こそ私が大切にしているものであり、今後皆様 と築き上げていきたいものなのである。〉 私は、このフロアーでお聴かせする音楽に自信を持っている。この実演こそが、私が お世話になった皆様に手本として提供できる生の教材である。デスクと電話だけで商売 している通信販売、もしくは並行輸入業者からオーディオを買われた人たちは、安く買 ったということで満足されたのだろうか。そうではないと思う。自分の売場で事実を学 習しようとしない人たちに一体何がわかるのか。ましてや、実演なくして電話だけで何 が伝えられるというのか。やはり、皆様の自室で鑑賞する音楽の品位にこそ、最終的な 満足感と幸福感があるはずである。究極的には、そこへたどり着くまでが私の仕事であ ると考えている。 以上のことから、本当に商売がやりにくいロックポートの製品を、価格的背景をもの ともせずに国内導入された大場商事の英断に大きな拍手を送りたいと思うのである。
さて、話は大きく脱線してしまったが、この辺で話を本題に戻すことにする。私がこ の随筆を通して皆様に紹介したくなるような素晴らしいプレーヤーでありながら、その 雄姿を鮮明な写真を使って紹介できないのが大変残念であり、この随筆にかけられるコ ストの限界と適切な写真がないという事情をご理解頂きたい。近い将来には各オーディ オ雑誌にも紹介されてくると思われ、写真の掲載は本職におまかせするということにな る。しかし、本職のマスコミにもできないことがある。それは、私のところには実物が あり、世界屈指のハイエンドシステムに組み合わせて、ロックポートによるアナログオ ーディオの世界が堪能できることである。しかし、カペラ2の特徴を説明するのにもイ メージがわかないと思われるので、ロックポートから輸入元にファックスで送られてき たスケッチを書き直したものを図4として用意した。上から見た平面図と正面から見た ものである。本体の大きさは横幅61センチ、奥行き51センチ、高さに関してはター ンテーブル上のセンタースピンドルで約18センチ、シリーズ7000の最高部で約2 2センチというところだろうか。重量はトーンアームを含まない本体のみで約56kgと 重量級である。 まず(1)のターンテーブルベースであるが、この素材からして従来のプレーヤーとは 大きく異なるものである。外側はレジン(樹脂)をファィバーで補強し硬度を高めたも ので、その内部はコア材として超高密度鉱物混入エポキシを使用したモノコック構造と なっている。まさかダイヤモンドカッターやレーザーカッターなどで切断して断面を観 察するわけにはいかないので、英文の資料から妥当と思われる解釈で説明するしかない 。このような複合物の外部構造にファイバーレジンのような非常に硬い物質を使用し、 高圧縮強度をもつエポキシ材という不活性コアで分離することによって、異種素材を積 層化した超硬度ビーム(梁)セクションを作り出しているという。その表面は炭素の微 粒子によるコーティングが施されハイグロスクリアーコート仕上げされている。このベ ース部分だけで重量は40kgあり、音響的な振動に対しては完璧とも言える慣性質量を 持っている。それに(3)のモーターマウント・プレートや右側で相似形となるアームマ ウント・プレート、ターンテーブルのメインスピンドル・ベアリングマウントなどの複 合アルミ材によって共振が抑えられた複数の層になっている。これらがベースにマウン トされることによって、硬度、慣性質量などの面でも非均一性を有する複雑な複合非共 振体を形成している。そして、このベースを四点で支える脚部(2)であるが、高さ調整 は出来るが一切のサスペンション構造を持っていない。強度の高いラックに乗せて使用 する分には問題はないが、ロックポートではオプションによるエア・アイソレーション を用意している。 この図には示されていないが、本体と同じ面積で高さが七センチ、上半分がステンレ スの素材色で下半分が黒色という外観の圧搾空気による自動サスペンションシステムで ある。垂直方向で5Hzという自然共振点で設定されており、スプリングやゴム状の弾性 材を使用したものに比べてローレベルでのアイソレーション効果に優れているという。 エア・サスペンションというと、フワフワとして頼りなげに思われる人も多いと思うが 、指で押さえ付けるくらいではビクしない。手のひらで上からグーッと圧力をかけると わずかに沈み込み、手を離すとプシューッ、と音がして水平面を自動的に回復する。演 奏中にラックを拳で殴り付けてもビクともしない効果があり、高い信頼性を感じさせて くれるアイソレーターである。(3)のモーターマウント・プレートを取り外すと(4)の位 置に直径が10センチ以上はあるモーターハウジングとプーリーが姿を現す。このモー ター部は独立した脚部を持ちラックの上に置かれており、ターンテーブル・ベースとは 一切の機械的連結をしない構造となっている。ちなみに回転数の切り替えはプーリーの かけ替えとなるので、(3)のプレートを取り外して行なうことになる。 そして(9)の電源部もモーター同様に独立して置かれ、本体とは機械的な接触を一切 持っていない。この電源部は各セクションへのエアの中継も行なっている。エアの供給 は専用のコンプレッサーが付属しており、これにもこだわりのポイントがいくつかある 。このエア・サプライは、高さが約四五センチ、幅が約六一センチ、奥行きが約二六セ ンチ、重量は約28kg、内部には二つのヘッドコンプレッサーを内蔵している。一つは 空気を圧縮し供給するもので、もう一つは真空用である。空気は圧縮されると温度と湿 度ともに上昇する。しかし、このエア・サプライでは、圧縮した空気を自動冷却/貯蔵 タンクを兼ねたチェンバーに蓄えることによって冷却と除湿を行なっている。 さらに、その後の空気は圧力を均一にするためパルスフィルターを通り、0.1ミク ロンのフィルターを通過したあとで、高精度レギュレーターにより30P・s・i(3 0lbs/1平方インチ)の圧力で各セクションに送られていく。このように空気の物性 をコントロールすることにも対処しており、鑑賞魚を飼育する水槽に使われる単純なポ ンプとは基本的に違い産業用として設計された本格的なものなのである。この真空用コ ンプレッサーが行なう役目が、カペラ2の大きな特徴でもあるバキュームスタビライザ ーの吸引である。図中の(6)の位置にある四点の小さな穴から空気を吸い出し、ターン テーブル外周のゴムの縁取りとの間に真空状態を作り出すのである。これによっていっ たん吸着されたレコードの状態を一定に保つため、一定の微量な負圧2P・s・i(を 維持して吸着状態を安定化させている。 そして、ここでまたこだわりのポイントが(5)に見られる。ターンテーブル自体は直 径30センチ以上のアルミニウムバーから削り出されたもので、高い透過損失特性をも つ弾性材とアクリルをサンドイッチ構造にした高硬度圧着された複層構造となっている 。ちなみに、このターンテーブルの厚みを見て驚いた私が重量を問い合わせると、約5 kgくらいだと返事をしてきた。このターンテーブル表面のプラッター部分が奇妙な質感 をしている。ハイ・ヒステリシス・ウレタン・コーティングを施し、レコード表面の振 動エネルギーを分子構造レベルの摩擦熱として消滅させてしまうというのだ。そして、 バキューム・スタビライザーを働かせた時に、プラッターとレコード双方の表面に付着 している微細な粉塵がレコードの音溝を傷つけないよう、プラッター表面にその粉塵を 食い込ませる柔軟性を持たせ緩衝材としての目的も果たしているという。そして、この ターンテーブルはエア・ベアリングによって浮上回転しており、回転精度の向上とベー スからの機械的アイソレーションの効果を高めているのである。 さて、図の中にカペラ2をはじめとするロックポート社製品の日本価格を示してある が、私が知り得る限りトーンアーム単体として最高価格の120万円を付けられたのが 、このシリーズ7000である。リニアトラッキングでエア・フローティングのトーン アームではエア・タンジェントなどがあるが、図中(19)で示しているシリンダー部に空 けられた小さな穴から絶えず空気を吹き出し、アームの支点部をフローティングさせて いるものであった。しかし、これらとは対照的にシリーズ7000では(16)の細いパイ プからアームの支点部にある小さなチェンバーに空気を送りこみフローティングさせる という方式である。このアームパイプは、カーボンファイバー、エポキシ材、ウレタン 素材の三層構造になっており、複数のカーボンファイバーの層の間に粘性と柔軟性を持 つダンピング材をラミネートする構成となっている。これらの構造的特徴からアームパ イプそのものを不活性状態に保つことにより、レゾナンスのカラーレーションをほぼ完 璧に除去することが可能になったという。また、図中の(18)で示しているように、エア ・ベアリングによるピボットポイントはレコードの盤面と同じ高さになるよう設定され おり、バーチカル・トラッキングエラーに対する障害の原因からものがれているのであ る。そして、(13)で示したダイヤルノブを回すことによって、演奏中でも聴きながらア ーム・ハイトを調整できるのである。アルミとステンレスから削りだされたすべての構 成部品は、デザインによって高級感を引き立てることはないかもしれない。しかし、そ の一つ一つの工作精度と仕上げの丹念さは見るものをうならせることだろう。 大変大ざっぱにカペラ2の概要を紹介したわけだが、そこに私が感じたのはビジネス ベースで考えられた生産性を無視しても設計者の理想を具現化しようとする試みであり 、アナログレコードの再生に高度な技術を素材面から惜しみなく投入した妥協なきもの 作りの姿勢であった。市場における競争力がコスト・パフォーマンスという言葉で表さ れるような、何かを実現するためにどのくらいのコストをかけるか、あるいはいくらで どの程度のスペックをもった商品が買えるのか、といった発想の代物ではない。限りな くアナログレコードの再生に情熱を傾けるユーザーに対して、限りなく完成度の高いプ レーヤーを一切の妥協を排して作り上げることに情熱を傾けた人物がいた。この情熱で 支配された両者がお互いの価値観を理解して販売されるというシナリオがロックポート にふさわしいと言えよう。従って、私はアンディー・ペイヤーの理想を極力維持したま まで再生音に表すことに精力を傾け、製作者と使用者の情熱が双方にとって報われるよ う、世界中のハイエンドオーディオに組み入れたカペラ2の演奏を、一人でも多くの人 々に提供していきたいと考えているのである。 |
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