発行元 株式会社ダイナミックオーディオ 〒101-0021 東京都千代田区外神田3-1-18 ダイナ5555 TEL:(03)3253−5555 FAX:(03)3253−5556 H.A.L.担当 川又利明 |
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◇Excellent takeoff- H.A.L. development Project“H.A.L.C(ホーク)”◇ ■ Project“H.A.L.C”Development story ■ ◆開発者が語る編集なしのオリジナルストーリーを公開致します◆ Vol.1「企画の開発に至る歴史・企画の動機はこうだった!!」 30年以上前からオーディオシーンに注目してきた私が思い起こすオーディオラック の歴史とはどのようなものだったか? その前に… http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/oto/oto22.html 機械式録音/再生の「蓄音機」から電気録音への変革、それを再生する「電蓄」と いうモノラル再生装置からLPレコードの登場からステレオ化が進み、1950年代から アメリカを始めとして家庭用ステレオ再生装置の商品化が始まった。 昭和30年代から国産化も行なわれるようになった家庭用ステレオ再生装置は当初 スピーカー、アンプ、プレーヤー、チューナーなどが家具調の一体型キャビネット に納められていた。この時代ではコンソールステレオと呼ばれていた。 やがて、この一体型ステレオからスピーカーのみを独立させてセパレートステレオ と称される発展を見せていたのが60年代前半だったろうか。それまではオーディオ 用ラックというものは全く必要がなかったのだが、次にスピーカーの他にもアンプ、 プレーヤー、チューナーが独立し、更にテープレコーダーというアイテムが参入し てコンポーネントステレオの時代が始まったのが約40年ほど前のこと。 このコンポーネントとして各アイテムの製品が個体化することによって、家電メー カーが続々とオーディオ製品を生産するようになったオーディオブームが日本で 始まったのが昭和40年代後半のことだった。性能を追求しコンポーネントとして 別筐体で製品化されることによって、当時のメーカーは前面ガラス扉付きのラック をオプションで売り出すようになる。これが、そもそもオーディオラックという ジャンルの独立した商品が一般化した時代だったと言える。 当時のラックは外観と機能性優先。経済的な高度成長を成し遂げた日本の家庭の リビングルームを象徴するかのようにカタログ写真に納まった当時のステレオ装置 は私には羨望の的だったことを思い出す。 昭和50年代に入ると、一メーカーがセットとして販売するコンポーネントステレオ という言わば既製品の音質に飽き足らない専門メーカーが続々と新製品を開発する 中で、収納するコンポーネントのブランドもサイズもばらばらという状況が当然の ことのようになり、合理化された木工技術を生かして国産のオーディオラック専業 というメーカーが登場し始めたのもこの頃。 どのメーカーの商品も無難に収納するということから、棚板はダボや金属のピンで 半固定として棚板の間隔も自由に変えられるのが常識。少しでも高級感を、という 発想はデザインと外観の仕上げにこそ求められたが、まだまだメーカー製よりも 自作で頑丈な棚を作ってやろうというアマチュアがたくさんいた時代でもあった。 そして…、私のうっすらとした記憶によると1982年前後ではなかったかと思われる のだが、今まで体裁よく仕上げした薄い合板のキャビネットというラックの概念を 大きく変える製品が登場した。これである。YAMAHA GTR-1B http://www.yamaha.co.jp/audio//prd/acce/gtr-1b/gtr1b.html それまでの常識を覆す板厚、重量、そして高強度・防振という発想が再生音にどの ような影響を及ぼすかを当時のレベルで見事に証明したものであった。それからの 10年間というもの、他社では板厚を50ミリに、重量は60キロに、という類似品とも 言える発想の高級ラックが続々と登場し、またそれをユーザーは歓迎していたので ある。こんなに厚く重たいのであれば間違いないだろうというラックの定番的設計 思想が確立した時代であった。私もそれを疑うことはなく下記のLegend of H.A.L. のように… http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/lhs2.html 1998年の春夏のように板厚を50ミリ、重量は70キロという国産の黒い重厚なラック を使用していたものだった。そして、この直後に衝撃の出来事が起こった!! http://www.dynamicaudio.jp/file/061220/remember_zoethecus_1998.htm 私が追求しているもの、音像は限りなく小さく絞り込まれ輪郭をくっきりと描き 鮮明なフォーカスを結び楽音の周辺に空間をもたらす。その空間に楽音の核心から 放射されたエコー感が広大に広がり拡散していくこと。このベクトルに見事に一致 した再生音を得ることにラックという存在がこれほど大きく関わっていたというこ とに衝撃を受けたものだった。 その時までは国産ラックであれば数万円で導入できてしまうのに比較して、発売 当時から三段のzoethecusでは34万円という価格。こんな高価なラックが売れるの だろうか…、という疑問が胸中をよぎったものだが…。 いくら高価なコンポーネントであっても、その設置環境に無関心であったり妥協し てはならないという強い信念から、高額な在庫となるが私の試聴室ではzoethecus は欠かせない存在として定着したのであった。 大きな梱包のzoethecusもハルズモニターとして会員の皆様に評価して頂いた。 http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/fan/hf_moni0035.html http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/fan/hf_moni0058.html http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/fan/hf_moni0059.html 当時の輸入元であるアクシス担当者の弁によれば、zoethecusの輸入量の八割は ハルズサークル会員に販売されたというほどに定着していったのである。思えば 1998年からオーディオラックの常識が代わってしまったのである。それまでは高級 ラックと言っても外観仕上げにお化粧したものを指していたのが、こんなシンプル なデザインでありながら、強烈に音質に影響する要素が再発見されたということだ。 そして、これから海外の高級ラックも平然と輸入されるようになり、ラックもコン ポーネントの一部であるという概念が日本にも定着してきた。これもzoethecusの 果たした大きな貢献ではなかったろうか。 そして、2005年6月14日のこと、zoethecusの廃業という突然のニュースが飛び込ん できた。 http://www.axiss.co.jp/fzeoth.html それからというもの、販売できないのに後継者がないということで、依然として 私はここでzoethecusを使い続けるしかなかった。いや、正確に言えばzoethecusの あとを次ぐ音質のラックもあるにはあったのだが、あまりに高価すぎた。 http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/brn/311.html 水面下では海外の高級ラックが多数ここに持ち込まれ、価格的にもzoethecusより 高価なものもいくつもあった。しかし、ここのシステムでシビアに比較していくと どうしてもzoethecusに追いつけない追い越せないという状況が続いていたのだ。 海外メーカーの既成の製品ではどうしてもzoethecusを凌駕することが出来ないと いう日々が長らく続き、私は次第に海外メーカーに期待する気持ちがなくなって しまった。これ以上待っていても可能性はあるだろうか…? いや…、 「それだったら自分で開発し作ってしまおう!!」 この思いを実現できるだけのパートナーが見つかったことにより、私が数々の局面 でラックの音質というものを検証してきた体験と記憶、そしてラックによって引き 起こされる音質変化のベクトルというノウハウを集大成することが出来るように なったのである!! |
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