第五十話「Made in Japanの逆襲」


エピローグ

 私には国産のコンポーネントに対する偏見、もしくは否定的な考えはまったくない。
しかし、採算重視で検討される商品企画は、近年の経済状況から国内メーカーに高級オーディオからの撤退を余儀なくされる判断は認めざるを得ないものがあるだろう。 社員数が数万人、あるいは数千人であっても、それらを養っていく上では拡大する市場に迎合して商品構成を変化させていく経営のあり方に異を唱えても仕方がない。
それに対して、海外のハイエンドと称されるメーカーの規模は、社員数からしても"一人"から始まって数人から十数人程度、 大手と言われるマドリガル・オーディオラボやクレルにしても200名前後。 またハーマングループ傘下のスピーカーメーカー、ボーズやポークオーディオというアメリカでも量産を行っているところでも数百名程度であろう。 これらは国内の大手メーカーから比べれば何とも中小企業というレベルなのである。
まず、このような企業としての背景が違うというところがMade in Japanのオーディオ実情として知っておかなければならないだろう。
 次に、私のフロアーでリファレンスとして今後も使用していくであろうEsoteric P-0sのように、 日本人でなければ扱えないようなデリケートなメカニズムの設計と調整が必要となる得意分野については海外製品を凌駕するものはあっても、 アンプとスピーカーの分野については、国内ではハイエンドオーディオの火は消えてしまったと言っても過言ではない。
こられは採算性という観点から前述のような憂き目にあってしまったものである。
これらは経営判断による市場参入と撤退という図式の典型であり、時代の変化としか言いようがない。
しかし、ユーザーの立場に立ち期待感を込めて観察すると、国内メーカーにおけるアンプとスピーカー分野の商品開発については、 この20年間のうちに海外メーカーに負けてしまった、あるいは開発意欲をなくしてしまったと言えないだろうか。
前述のように社員数と規模としても中小企業である海外のハイエンドブランドは、作品の開発目的とマーケットを当初から世界規模で発想され作られてきたのである。
つまり、それは世界的な視野でハイエンドオーディオの時代の流れ、進化の方向性を敏感に感じつつ自社製品の商品企画を推進してきたと言うことだ。 簡単に言えば「鳴らされるスピーカーの音を知りアンプを設計する。鳴らされるアンプの存在を知りつつスピーカーを設計する。」という相互共存の原理に即した音質追求が、 弱小メーカーであっても世界に冠たる定評を築くことのできる音質の自己主張を可能にしてきたのだ。
まず、企業としての拡大路線よりも自分の信じるこだわりに専念してきた、これらのメーカーに一ユーザーとしては声援を送りたいものだ。
日本では長らく某雑誌の試聴室でリファレンスとされていた、20年前に設計されたような四角い箱のスピーカーが長期にわたって重用され、 それで年々進歩している海外のアンプを評価しようとしてきた。
マーケティングの原理からも、マスコミがリファレンスとするスピーカーに自社のアンプの音質を照準しようと考えた国内のアンプメーカーが後を絶たないという悪循環もあり、 国際的に見るとオーディオに関して本当に日本は"特殊市場"として偏向した市場拡大が20年以上続いてきたのである。
 そして、このような背景の中でセパレートアンプの商品化を日本マランツが企画していたということは、大手家電メーカーとの差別化としても理解できるものであり、 海外製に比べれば手頃な価格?であってもセットで200万円の商品を開発できたことに大きな拍手を送るものである。 そして、そのターゲットとしたのが世界規模で評価され同社が輸入開始してからちょうど10年目となる、B&Wの最新最高のS800 (もちろんANDシステムの存在もあるが…)であるということは、これまで述べてきたように島国日本の閉鎖的オーディオ環境から大きく視野を拡大するものであり、 世界中のスピーカーに対しても訴求力を持つものとして高く評価したい。
世界的に最も著名であり、かつビジネスとしても日本マランツと同等な年商を上げているB&Wとのパートナーシップが、 このような形で結実したことは同国人としても誇らしく思えるほどである。これは消費者から見れば、現地価格よりも高くなった輸入品の物量面と技術面の両方から考えて、 Made in Japanの良質な製品が諸外国よりも確立されたサービス体系のもとに適正価格で購入できるという願ってもない選択肢が誕生したと言える。
「Made in Japanの逆襲」それは諸外国のメーカーに対する“revenge”ではあるのだが、同時に日本のオーディオファイルに対してはこの上もないプレゼントでもあるのだ。

 さて、私は毎日の通勤電車で好きな小説を読むことがささやかな楽しみとなっている。
そして、映像情報が豊富なこの時代に育ち生きているせいか、小説で描かれる各シーンの有様を映画のように見事なCGを交えて頭の中にイメージすることが出来る。
主人公が遭遇する数々の冒険と波乱万丈なドラマの数々も、20年30年前では想像もできなかった特殊技術で私たちの視覚に訴えてくる映画の世界は、 読書というエンターテイメントの世界も大きく変えてしまったようだ。
 さて、それではオーディオという“道具を使って音楽鑑賞する”趣味の分野はどうだろうか。
いかに巧妙な文章と美辞麗句を駆使しても、決して語り手が伝えようとしている“音の世界”は読み手に伝わることはないだろう。 つまり、私の文章もそうであり、雑誌媒体やインターネットの画面上の世界も同様と言える。
ハリウッド映画のように、はるかな宇宙や高空と海中の世界、そして人跡未踏の大自然の中へ、そして日常的な生活の中でも体験することが出来なかった視点からの描写などによって、 エンターテイメントの送出側が受け手に提示できるイマジネーションの世界を拡張してきたように、オーディオという分野でも 先駆者、冒険家、開拓者、(あるいは単なる物好きか?)のような存在が必要なのではないだろうか。
もし…そうでなかったら、その趣味の可能性と醍醐味をユーザーに対して啓蒙もできず、 科学技術の進歩と設計者の情熱によって時代に応じたハード・ソフト両面の進化を実体験としてユーザーに理解して頂くことは出来ないはずだ。 そして、オーディオの可能性を追求する人間と実体験できる環境がなかったら、ますますオーディオの世界はビジュアル・エンターテイメントに遅れをとっていくことだろう。
私は今回も数々の取引先の支援を受けながら、また新しいオーディオの世界をここに構築することが出来たと自負している。 つまり、オーディオコンポーネントという道具を使っての再生音楽の限界を打ち破り、更に世界中の誰も体験したことのない“純度の世界”を更新したと言いたい。 これを体験して頂くことによって日本のオーディオファイルの基準が塗り替えられ、投資を要する趣味の世界に時代相応の価値観を提示できるようになったと考えた。
 前述のように、私の随筆は決して“音を語ろうとする”ものではない。
このつたない文章で、高名な演奏家や、私よりも数倍のIQの持ち主である各社の設計陣になり代わって音楽性と技術力をユーザーに伝えようという大それたものでもない。
 この随筆の究極の目的は、読まれた人々にここでの演奏を体験して頂くための“触媒”であり“来訪の動機付け”になればと考えている。
ここで体験して頂くことによって、映画が読書家に与える影響のように、私が将来に渡って語り続ける“音の世界を”イメージして頂くことが可能ではないかと期待し、 そこにユーザーに対するカウンセリングの根拠が見出すことが出来る。“同じものを食して、初めて同じ味を語れる”という例えのように“感性による体験の共有” がハイエンドオーディオのセールスに最も必要であると信じて疑わない。

いかがだろうか、日本のオーディオファイルの皆様も、そろそろ腰を上げて東京にお越しにならないだろうか。 ここには生涯を通じての基準として位置付けて頂けるだけの再生音楽の基準があると自負している。 それを知ってから投資の矛先を決定しても決して遅くはないはずだと思うのだが…。


謝辞

大変長い文章を最後までご精読頂き本当にありがとうございました。
私は、音楽を聴いている時間が皆様にとって至福のひと時であるように、 この随筆をお読み頂いている時間そのものもエンターテイメントの一環として楽しんで頂ければと考えております。
そして、三年前まではweb siteに掲載しているバックナンバーを当時は印刷して約1600名の皆様に郵送し、 また総集編としても簡易製本して無償で配布していたという時代が嘘のように思えます。
当時、各種のアンケートなども葉書でお客様から回収しておりましたが、随筆の郵送を希望されるかという問い合わせに対して、今でもはっきり覚えている次のような手紙を頂きました。
茨城県にお住まいの50代男性の奥様から返送されてきたものです。

「主人はすっかり川又さんの『音の細道』に洗脳されておりました。朝は新聞をそそくさと読み終わると取り出してくるし、勤め先にも持って行って読んでいたりもしていました。
何度も何度も繰り返して読んでいて、特にノーチラスのところが面白いとも言っておりました。
もう、すっかり頭の中はノーチラス801の虜になってしまったと半ばあきらめ、半ば呆れておりました。
主人が亡くなっていた朝に主人の枕元に開いて置いてあった随筆を見て、最後の最後の時まで読んでいたということに気がつきました。 そして、今回頂いた川又さんから頂いた葉書を見て、ああ、この人がそうなんだ…と思って、ご返事を差し上げた次第です。
オーディオはさっぱりわかりませんが、亡くなった主人がこれ程まで好きだったものを子供たちも私も出来ることなら理解したいと思っています。差し支えなかったら今後もお送り下さる様にお願いいたします。」

葉書にびっしりと書きつけられた小さい文字に私は思わず目頭が熱くなってしまいました。
IT時代とばかりに印刷と郵送を止めてしまった私の胸に今でもチクリと刺さる思い出です。
確かに今のように電子のファイルでは皆様の枕元に置いて頂くわけにはいきませんが、私の随筆を読んで下さった皆様の胸のうちに置き場所が見つかればと願っています。〔完〕
2002年8月吉日 Dynamic audio 5555 店長 川又利明


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