第四十九話「45×65に棲む鸚鵡貝」 12.「ついに姿を見せたクロノス(Chronos)」 いやはや、ただのボックスに見えるクロノスだが重いの何の! 苦労してzoethecusのラックに収めたのがこの写真である。 見た目には何の変哲もない銀色の箱であるが、dcs992,Elgar plus1394,Purcell 1394、そしてP-0sの総額で約840万円のCDシステムがこれで完成した。 明日のS800の到着を待って着々と役者が揃い始めた!! 私はスピーカーを作っているメーカーの試聴室よりも同じスピーカーを素晴らしく演奏したい。 また、アンプを作っているメーカーのラボよりも同じアンプを素晴らしく鳴らしたい。この欲張りで好奇心旺盛な性格が今まで数々のドラマを産んできたのだが、 さぁ、明日は何が起こるのだろうか。期待と興奮にあふれた開幕前夜の心境である。 13.「歓待の儀式」 昨日の雨模様が嘘のように晴れ渡った10月2日、出勤した私の朝一番の仕事はいつもメールチェックなのだが、この日はそれがじれったいような心境である。 午後一時の到着予定を前にして日本マランツの澤田氏と山神所長が早々と来られS800の到着を待つことになった。やってきたS800の梱包は思ったよりも大きい。 昨日まで演奏していたN801は兄貴分の登場を察してか早々と部屋の片隅に移されていた。私は新しいこのFour Five H.A.L.のオープン前に、第一声をN801で試したものだった。 キャスターで動かせるのをいいことに、新しい部屋のルームアコースティックを評価するために何回も何回も場所を変えながら試聴を繰り返し、 新しい試聴室での良好なリプレースメントを研究していた。その甲斐あって、各々のスピーカーのポジションが決定してきたのである。
このような構成である。もちろん写真でお分かりのようにすべてzoethecusを使ってのセッティングであり、壁コンセントもPAD CRYO-L2を使用し、随所にPAD T.I.P.も使用している。 この際に述べておくが、写真のzoethecusの手前はOAフロアーとしてフローティングされた床の構造だが、 その向こう側、すなわちスピーカーを置くスペースはスラブから10センチ程度のコンクリートを流し込みがっちりとした床にタイルカーペットを敷いたものである。 さあ、この日も最初にどの曲をかけようか…。 もうここで迷うことなくあのFourplayの「Chant」を選びP-0sにローディングしていた。コニサーの感触のいいボリュームノブがコツコツと上がっていく・・・!? その瞬間に叩き出されたHarvey Masonの強烈なフロアータムひとつ、それに続くキックがふたつの繰り返し。この瞬発力と制動感は私の想像をはるかに上回っていた!! 昨日驚嘆したSTRADAの駆動力もあるだろうが、N801の低域の露出時間とは一桁以上違うのである。 それでも凄いと思っていたN801とSTRADAで描かれたキックドラムのインパクトには、S800のそれと比較するとやはり放物線状の立ち上がりと消滅までの下降線があったのだ。 しかし、今この目の前で叩かれるキックドラムの音は、まさに矩形である。すなわち直角に立ち上がり直角に立ち下がるというイメージなのである。速い、とてつもなく速い!! そして、がちがちに緊張して拾うべき情報を見落としてしまうということもない。 フロアータムのバイブレーションがこれほどまでに…、と思えるほど長時間の滞空時間をもってS800の間を滑空していく。 「そう! そうなんだ…! 強靭な駆動系に軽量化された振動系、それを支持するエッジなどの総合的な開発がこんな低域を生み出したんだ!!」 わずか20秒ほどの演奏なのだが、私の頭の中ではS800のウーファーに施された新技術の各パートが電光掲示板のようにパッと表示され、 彼らが何を求めていたかという回答がしっかりと認識されたのである。月並みな表現であるが、度肝を抜かれるとはまさにこのことだろう。 フロアータムとキックドラムの気分爽快な、そしてダイナミックに体を揺さぶる低域はパーカッションとはいえスタジオでの音響的な処理を施されたものであり、 打楽器といえども比較的継続する信号がウーファーを大きくストロークさせるものだ。さて、同じパーカッションでも、 もっとシンプルにアコースティックな響きを持つものはないか…ということで思いついたのが次の曲。 私が多用する大貫妙子のアルバム「アンサンブル(ensemble)」の7トラック目「花を待ちながら-en espera de una flor」のイントロに なんとも心地よいパーカッションがちりばめられているのである。TAEKO ONUKI ensemble TINO DI GERALDOが担当するこのパーカッションを私がテストのために重宝に思っているのは、 タブラのような形式の民族楽器が音階の高低の幅をもって複数使用されており、かつスタジオワークによる音質的な加工が極めて少ないということがある。 持続する低域の大振幅と違って、この瞬間的に繰り広げられる低域がどのように再現されるのか…、期待のうちにP-0sがディスクを飲み込んでいく…。 「ああ〜!これいい!!」最初のタブラの一打から次々に繰り出される大小のパーカッションが小気味よく現れては消えていく。 その過程でズン!!と音程の低いドラムが入るが、それがなんともドライなテンションを持っており、スピーカーのエンクロージャーによるエネルギーの蓄積をまったく感じさせないのである。 大口径のウーファーの大きな容積のエンクロージャーを持つスピーカーであれば、この瞬間的な胴体を持たないタンバリンの枠に皮を張っただけのような打楽器の発する音が、 スピーカーのキャビネット内部をドラムの胴に変えてしまい、時間的に遅れを持ったふくらみのある低音を追加させてくる場合がままある。 つまりエンクロージャーの内部にウーファー後方から放射された音圧が滞留し、 リニアな時間軸の進行にともなって入力信号の時間軸の通りに低域が再現されないスピーカーは結構多いのであるが、 この時のS800の叩き出すパーカッションは鮮明そのもので楽器が叩かれた後に付帯するものは一切引きずらずに眼前に展開するのである。 「ああ〜!この低域は私が聴いてもとても新鮮だ!!」マトリクス構造とフローポートの相乗効果が、あのウーファーに対して万全のサポートを行い、 超高速な反応をS800の低域再生にもたらしているのがよくわかる。 さあ、ヴォーカル曲のイントロとは思えないようなパーカッションに続いて手拍子とギターが入ってくる…、そしてヴォーカルが…。 「おっ、ちょっと違うぞ!!なぜ今まで気が付かなかったんだ!!」と聴き始めた段階で大貫妙子の過去のアルバムをかけて確認することにした。 おなじみの「アトラクシオン」(TOCT-24064) TAEKO ONUKI attraction にしても、96年の「PURE ACUSTIC」(TOCT-9690)にしても、 この「アンサンブル」とは彼女のヴォーカルのエコー処理が違うのである。 以前の二作ではヴォーカルのエコーはホールにいるような深い空間表現でたなびくように消えていくのだが、 この「アンサンブル」では小さな部屋、もしくは彼女のすぐ後ろについ立があるかのように一次反射のエコー感が存在するのがよくわかる。 同じ歌手の"歌録り"はてっきり同じものかと思っていたら、何とエコー処理にこんな違いがあるなんて思ってもいなかった。 早速クレジットを確認すると、おお!Recording Engineerの一人はJose Luisとなっているではないか。 うーん、何と言ってもスタジオモニターのクォリティーはそのまま…という解像度なのだと実感されたエピソードである。 さあ、もう一つ、この曲で極めて印象に残る部分がある。この曲の編曲を務めたPaco CortesとMiguel Angel Cortesの二人がギターで参加しているのだが、もうこのギターが凄い!! 何が、というとそのエネルギー感というか迫り方がこれまでの印象と大違いなのである。 でも、この要因を私はすぐに思いついた。Audio PhysicのStradaの影響力であるとすぐに気が付いた。 昨日からこれでもかと肉厚でありながらハイスピードなスピーカーのドライブで私の常識を塗り替えてきたコンパクトなパワーアンプとコニサーのコラボレーションが 間違いなくS800の更なる一面を引き出しているのである。外見に似合わずマッチョなパフォーマンスを提示するStradaはスピーカーが従順で素直であればあるほど、 その異色なキャラクターがストレートに聴く人の胸にしみ込んでくるのである。「これって、聴くジャンルがリズム感を求める指向であれば、これほどぴったりくるものはないね!!」 としみじみ感じ入ってしまった。お勧めである。 この初日には前述のようなリズム系を中心に試聴を開始し、更に多くの曲を聴いていったのだが、 すべてを紹介するのは後ほどの内容と重複してしまうところもあり後述にご期待頂くことにする。 そして、この千載一遇のS800の試聴チャンスにということで仕事を休まれて来店される方もあり、私が試聴を休憩する間に熱心に聴き込む方が複数あった。 そして、茨城県からわざわざ来られたK・T様は元祖Nautilusとの比較においてどちらを選ぶべきか?という疑問を晴らすべく来られたものであるというので、 同じポジションで両者を比較すべくセッティングし、とうとう私は夜10時過ぎまでお付き合いすることになってしまった。 その最中に運び込まれてきたのが、他メーカーながら私の期待のキーワードに呼応してくれた、あのHALCRO dm68 のブラックタイプであった。 前述のように初日の夜は色々な試みがなされ、集中していた私の気力も尽きかけていたこともあり、 その夜は効果覿面のPAD System Enhancerを一晩リピートさせる抜群のバーンインをセットして帰途についたのであった。 これから一晩通しのバーンインを受けることになったシステムは以下の通りである。
14.「二つの"L-D"が奏でる新世界」 一夜明けた10月3日、連日の深夜に及ぶ残業にかかわらず、私はいつもより早く出社した。 ぎりぎりのスケジュールで回っているHALCRO dm68とS800は当日の昼にはここから搬出されてしまうので、 別れを惜しむ恋人の心境で期待に胸弾ませてラッシュアワーの電車にもまれてきたのであった。2001年8月1日にオープンした新しい “Dyna Four Five” で私の城である、H.A.L.ではエレクトロニクスは一部のパワーアンプを除いては24時間の通電を行っており、 約55畳の試聴室に朝一番で入ると熱気が充満している。しかし、HALCROは過激な温度上昇はなく、「お待ちしていました!!」と言わんばかりに鎮座していた。 エアコンと換気扇を回して室温を下げる間に気になるメールチェックをして、さあ、いよいよ試聴を開始することにした。 この秋晴れの朝、最初の曲は「Chant」ではちょっときびしい。ここはやはりこれから始めよう、と選んだのが ご存知YO-YO MA「シンプリー・バロック」(SRCR-2360)Sony Classical JAPANの一曲目、J.S.バッハ:「讃えよ、誉めよ」カンタータ第167番「人々よ、神の愛をたたえよ」である。 昨日の豪快とも言えるS800の鳴りっぷりが記憶に新しいところで、今日のS800はどのような表情を見せてくれるのか。 今まで数え切れないくらい聞き込んできた最初の一曲が始まる・・・!?? おなじみのメロディーが始まった瞬間、多分私は口をあんぐりと空けたまましばらく動けないでいたことだろう。 あらゆると言ってもよいほど多種多様なスピーカーで聴いてきたこの一曲を…、何と清らかであり、みずみずしくS800が奏でることであろうか。 正に驚嘆の一言で茫然自失の状態であっという間に2分17秒が過ぎてしまった。 さあ、次にチェックしたいのが10曲目のボッケリーニ:チェロ協奏曲ト長調である。 チェンバロの爪弾きは鮮明であるが刺激成分は皆無、そしてバックのオリジナル・バイオリンの演奏が何層ものレイヤーを半透明にして積み重ねられる。 ため息が出そうな美しさが目の前を流れながら、やがて6分ほど経過するとMAのソロパートが始まる。 この時のMAの演奏するバロック・チェロの響きが空間に浸透していく過程の何と自然なことか。 例えば、焚き火の近くで手をかざして暖を取る。そして、一歩二歩と交代するにつれて手に感じる熱が薄らいでいくように、 MAから距離をあけた空間では徐々にMAの熱気が薄らいで余韻が吸収されていく段階が手に取るようにわかってしまう。 目に見えずとも、それほどナチュラルなエコーがまるで炎から遠ざかる過程のように、消滅するまでの残照のひと名残を最後に見せ付けるのである。 そして、ここで伝わってくるMAの息遣いが、体を揺さぶる彼のしぐさが、今度は私の目に見えるがごとくの説得力をかもし出すのである。 「どうして・・・?どうして、これほど滑らかさが美しく感じられるの?」今までに体験したことのない超微粒子の艶やかさがチェロの音色を未体験のレベルまで昇華させてしまった。 初めて食べた美味を語る時に、説明できる言葉を過去に知らなかったもどかしさのごとく、 私はただただ音楽の美味に耳を震わせ大脳が麻痺するような一時の幸福感に時を忘れるのであった・・・。 「・・・こりゃ、いい!!」 アムステルダム・バロック・オーケストラが使用する楽器はオリジナル楽器であり、現代のスチール弦に対してガット(羊腸)が使われているわけだが、 私はこのときほど彼らの発する楽音に潤いとしなやかさを感じたことはなかった。 そして、イタリアのクレモナ出身の伝説的な弦楽器製作者アントニオ・ストラディヴァリが1712年に製作したチェロの1本を所有するYO-YO MA。 その貴重な楽器をロンドンの有名な弦楽器メーカーであるジョン・アンド・アーサー・ベアールにバロック・チェロに改造するよう依頼していた。 それを引き受けたのは同社の重役でもある弦楽器製作者のチャールズ・ベアールである。チェロの胴の下端にあるエンドピンが取り去られ、スチール弦からガット弦に交換され、 指板を変えずに4本の弦の間隔が離れるようにバロック風の駒に取り替えるなど、細やかな配慮のもとで改造されたYO-YO MAのバロック・チェロによって録音されたのが、 この「シンプリー・バロック」である。 私はこれら弦楽器についての専門知識は素人同然なのだが、本当にこの時ばかりはYO-YO MAの奏でる音色に心から惹きつけられてしまった。 スピーカーの置かれた空間にフォログラフィックに浮かび上がる彼らの演奏が響き渡る空間に対して、S800の場合には聴き手に魔法の“霧吹き”を提供してくれるのである。 そして、その"霧吹き"で演奏者に向かってひと吹きすると、放たれた聖水が楽音のひとつひとつに潤いを与え、余韻感には最後の一滴がこぼれ去るまでの時間のゆとりをもたらし、 楽音の背景の空気に程よい加湿効果をもたらすのである。まるで女性向けの洗顔石鹸のコマーシャルのようであるが"さっぱりしっとり"という表現がとてもふさわしいのだ。 そうです、S800を使って音楽を楽しむ人には、無条件で魔法の“霧吹き”が付属してくるのです。「ああ、本当に心地いい…」やはり朝一番はこれだ!! アムステルダム・バロック・オーケストラの創設者であるトン・コープマンがこのアルバムによせて語った一言。 「私たちは何か楽しくて、美しくて、心揺さぶられるものを作ることができたらと願った。」 そうです、アーティストが目指していたことをB&Wは実現してくれたのです。「人々よ、S800の技をたたえよ」という副題を謹呈し、まさに「讃えよ、誉めよ」の心境だ。 さあ、演奏の解像度は素晴らしいのに輪郭の表現を強調することのないS800の自然さ、これを味わってしまった私は必然ともいう選択で大貫妙子の「アトラクシオン」から 「四季」が聴きたくなってしまった。さあ…、と推測と期待が入り混じる心境でディスクをセットする。 最初のギターで「あっ!!」次のウッドベースで「いい!!」その直後のベルで「うう〜ん」ヴォーカルが入ってくると「ええ〜!?」 サビにさしかかってストリングスと鈴・クラヴィスが鳴り始めると「おおーー!!」というのが偽らざる私の心境であった。なんで??どうして!? 一晩リピートさせたSystem Enhancerの効力はそれは認めますよ、しかし…。 私はシステム全体のクォリティーを評価する際に、エコー感あるいは余韻感というものがどれほど聴き取れるに大変重きを置いている。 楽音の"核"というか音の"芯"というか、すべての楽器のフォーカス感はぎりぎりまで絞り込まれることを良しとするのである。 しかし、ここで大切なのはきりきりと絞り込まれたフォーカスの描かれ方、それだけの効力では「痩せて細い音」「貧相な音」「潤いのない音」ということになってしまう。 今まで、ある面積と空間で表現されていた楽音が、その存在する面積と空間を集束して楽器の周辺に空き地が出来たとする。 そして、その空き地に私が求めているような余韻感が表出してくれればいいのである。そのエコー感が楽音を包み込み、 消えていく過程を心地よく表現してみれば「豊かであり潤いのある音」として多くの人々をうならせるのである。 さあ、この時の大貫妙子は正に私の理想とするプロポーションに納まり、キュートな口元を本当に滑らかに描きながら、 ヴォーカルをはじめとして収録されているすべての楽器に対して前述のサウンドのエステティック効果を見せ付けてくれたのである。 今までの他のスピーカーではまだまだ潤いが足りなかったのであろう。そう、それは筆に水を含ませるのを忘れてしまって、 パレットにおいた水彩絵の具をとり画用紙に色を載せたようなものである。 筆を払うと、その原色はズルッと引きずられてぱったりと紙にのらなくなってしまう。 しかし、ここで言うS800は違った。たっぷりと水分を含んだ筆をスーッと動かすと、原色から淡く色彩が残る半透明の部分まで、 同じ色の絵の具でもグラデーション豊かに濃淡の緻密な影を引きずりながら消えていくのである。しまいには水だけがうっすらと絵の具の残り香のように画用紙のしみとなるまで、 長く長くその余韻を残していくのである。当然、この滞空時間の長い余韻感と比較して、昨日のように同じ大貫妙子の「アンサンブル」に興味が湧いてきた。 同じ7曲目をスタートする…。 「おお、あるある!!つい立が!!」昨日のStradaよりも数段洗練された(価格的にも大差があるので表現のあり方についてはご理解下さい)質感でパーカッションが始まる。 そしてヴォーカル。いやはや、エコー感の引き方と広がり方が違うと注目していたものだが、その何と鮮明な相違点を聴かせてくれることか!! しかも、ヴォーカルの背景にイメージされる"つい立"の存在感に不自然なところは微塵もなく、ごく当然のごとく限られた空間のイメージを描き出すのである。 見事という一言が喉につまり一言もない…、という再生音にしばし我を忘れて聴き入ってしまった。 これが、私がこの時に心揺さぶられたS800の究極的なトランジェントのあり方であり、トランジェントが素晴らしいということはイコール、ローディストーションということに他ならない。 入力された音楽信号が始まれば瞬時即刻の高速な反応を見せ、それが数百分の一に減じても微小なエコー成分をきちっと残像として見せてくれる。 そして、大きなインパクトのある打撃音が発せられた次の瞬間に入力信号が終わっているのであれば、スピーカーの挙動も数瞬の間をおかずに停止する。 これが簡単に言えばトランジェントという言葉で示される追随性であろう。つまり、入力信号に対して完璧な追随性が確保されない場合に起こるのが"歪"であり、 トランジェント、イコール、ローディストーションという定義が成立するのである。 これらをスピーカーを対象とするエンジニアリングで完成させたS800の出現、 アンプというエレクトロニクス分野のエンジニアリングで完成させたのがHALCRO dm68の登場ということになる。 時代を同じくしてイギリスとオーストラリアで開発されたコンポーネントが、双方ともに大洋を隔てた日本において、 このようなコラボレーションを展開するということを双方の設計者は考えもつかなかったことだろう。 これら二つの"Low-Distortion"を極めたハイエンドオーディオの真髄がここに具現化したのである。世界初のペアリングが私の記憶に深く、そして大きく刻まれた演奏であった。 これほど余韻を正確に表現できるものならば、その演奏空間が大きくなれば一体どんな展開を見せてくれるのだろうか? 私の好奇心はすかさず次のディスクに手を伸ばしていた。 では、これを…、とワレリー・ゲルギエフのヴェルディのレイクエムのディエス・レイ(怒りの日)を選曲する。 混声七部合唱とともに強烈なグランカッサが連打された昨日の記憶をメモリーから呼び起こし、その分析のための記憶のサンプルを用意して待つ。 「さあ、始まるぞ!」「ええ、何と!!」あまりにも私の予想と違う場面が出現したのである。 一般的には滑らかな質感を湛えるアンプは打撃音に対して制動感は緩和され、幾分ふっくらとした表現になるものである。これまでの麗しい演奏から私はそう思っていた。 ところが…、しかし…、これには参った。 グランカッサの演奏者がカーテンで手の動きを隠していたのではと思えるほどに、その前兆をまったく気取られないうちに叩き出された極めて鮮烈な打撃音にビクッと体が反応する。 そして、推測では多少テンションが緩むであろうと思っていたグランカッサの引き締まり方は、まったく私の想像外の展開でステージ左奥から自分の座を譲ろうとはしない。 つまり、グランカッサはそこにいるのであって、音像が膨張することによってステージ前方に張り出してくることはないのである。 見事に引き締まったグランカッサのフォーカスの収束感は、やはり昨日より素晴らしい。 そうだ、考えてみれば音像が肥大化するということも"歪"のひとつではないか! そう、定点にピタッと輪郭の大きさを抑えることも、トランジェントが素晴らしいからなのだ。 エネルギーが加速し増大するというプラス方向への追随性はインパクトの瞬間で見る事が出来る。 反対にエネルギーが減速し減少するというマイナス方向への追随性、いわゆるブレーキングもトランジェント特性の表れであり"歪"の発生要因でもある。 その両者ともに、これほど卓越した時間軸への忠実さを実現したスピーカーとアンプを私は経験した事がない。「う〜ん、今日からまた私の評価と記憶が更新されたか!!」 今まで何度となく味わってきた昨日までのベストがベターのひとつにランクダウンする瞬間であった。 15.「クロノス(Chronos)の存在感」 秀麗とも言うべき美しさと滑らかさの表現からパルシブな打撃音を体験し、それならばと取って置きのディスクを探し出してきた。 dmpのジョー・モレロの「スタンダード・タイム」Hoe Morello - Morello Standardである。この5曲目私がよく使う「Take Five」である。 これは「Chant」のようにスタジオワークのサポートを十分に受けたドラムというよりは、むしろジョー・モレロという職人が「余計なことはしなさんなよ!!」とばかりに アンプラグドの迫真のドラムを叩くテストにはうってつけの一枚である。英国製のスピーカーはジャズには向かないと言われたのは一体いつだったろうか。 そんな先入観は当の昔に捨て去った私はあらゆる選曲でテストを行ってきたが、これまでのエピソードでかなり予測できるものと高をくくってディスクをローディングした。そして…。 「ちょっと、ちょっと待てよ!!」自分の記憶に自信がなくなったわけではない。これまでの記憶と違いすぎるのである。特にキックドラム。ドラムスの中で最も径の大きなキックは「ドス!!」「バス!!」と言葉に置き換えできるのであろうが、 ここで打ち出されたキックは「ド!!」「バ!!」としか言いようのない短時間に圧縮された、いや!打撃音の引き伸ばしをスピーカーが行うことを拒否した鮮烈さなのである。 スピーカーの高速応答性は十分にわかった。しかし、これは他にも要素があるはずだとしばらく思案する。 「そうだ、もしかして!」とこれまでのクロノスとdcsのシステムから他社のD/Aコンバーターに切り替えた。 「ああー、やっぱりそうか!」とスピーカーの再現性と高速性を前提に新しい発見に狂喜する。 今まで私は初期のdcs Elgarでは低域のテンションの高まりを期待していなかったし、どちらかというと芳醇ではあるがピリッとしない低域がElgarのキャラクターなのだと理解して 数年間を過ごしてきた。そして、単体としても同社のプロ用dcs 954と同等、もしくは一面で引き離したと認識したのが現在のモデルElgar plus 1394になってからであった。 そして、今回のクロノスによる絶対精度のクロックでdcsのシステムを統一しての初日の演奏であったことをうかつにも忘れていたようだ。 クロノスの内部クロックとdcs992の内部クロックの違いをチェックするのは簡単だ。992のフロントパネルにあるスイッチで「Master」と「Slave」を切り替えればよい。 「おおー、なるほど…」P-0sからの44キロ、16ビット信号をPurcell 1394でDSD変換しElgar plus1394へ、そして、992を介してクロノスがP-0sを含めたすべてのクロックを支配する。 この図式の中で992を通じてクロノスの影響がシステム全体に、演奏の質感について緊張感と同時に逆の弛緩効果の両方をもたらすのである。 つまり、弦楽器やヴォーカルのように継続する楽音には滑らかさを含ませる。これは過去の実験でもちゃんと認識できた項目であった。 つまり、きめ細かい質感を増量する方向へのシフトである。 しかし、今回のような打撃音の輪郭表現をこれほどまでに引き締めるというのは、S800やdm68との共演で発見した新しい現象ではないだろうか。 dcsはこんなにも速かったのか!! 「ハイスピード」とは一種の麻薬なのであろうか。今までに体験したことのないスピード感は、それまでの記憶を更新しスローなものを拒絶してしまうのである。 それならば、もっとハイスピード感を満たしてくれるディスクはないものか…。 そんな欲求にちょうどよいタイミングで私にディスクを提供してくださるのがノーチラス・オーナーのK・S様であった。 Guitar Fingerstyle 2 このディスクはそれまで全然知らなかったのだが、K・S様が持参されたものを一度聴いてから瞬く間に私のテスト用の一枚に昇格してしまったものである。 一曲目の「Swing Shift」をとにかく一度お聴きあれ!!ギターの録音も数多く聴いてきたが、これほどスウィングしつつピックワークが鮮明に収録されているものも少ないだろう。 二人のギタリストArtie TraumとLaurence Juber、その弾けるようなテクニックの表現は、先ほどのようなキックドラムの低域表現とは違い、 スリリングな中高域のトランジェントを要求するものだ。まず、クロノスを992に受け入れる「Slave」のモードで聴き始める。 「いい、これはいい!!」今までHBの硬さの鉛筆で線を引き、ギターの弦の直線を紙に描いたとしよう。あくまでも中間のHBと例えるところがミソである。 さて、992を「Master」にして内部クロックと使って比較してみると…。 何と鉛筆の芯は2Bのそれに変化してしまって、紙にひかれた黒いギターの弦のイメージも質感がにじんでしまったようなのである。 「えー、そんな〜」何と言ってもクロノスがやってくる前でも最高と評価していたdcsの再生音は一体なんだったんだ!! そこまで見せてしまうのがS800の素晴らしさであり、スタジオユースのパフォーマンスを持ちながら家庭用としての進化を解像度の更なる向上として受け入れざるを得ないのである。 そして、その更にミニマムスケールになったスピーカーとアンプの進化に対して、CDシステム側の進化がその微細な表現力を発揮するステージとしてS800のパフォーマンスが適切であると 聴く人に納得させるのである。しかし、このクロノス、限定50台とは惜しい!! |