第四十八話「ナイスガイの公約」



プロローグ

 一九九八年一〇月一二日午前一一時、事前のアポイント通りマドリガル・オーディオ・ラボラトリーの社長であるマーク・グレイジャーがドアを開けて入ってきた。「おはようございます。ミスター・カワマタ」と挨拶だけは達者な日本語を覚えられたようである。数日前に有楽町の東京国際フォーラムで開催されたインター・ナショナル・オーディオ・ショーにモックアップとして参考出品されたマークレビンソンの新製品、NO・32Lの実物をもって日本で唯一、一販売店の私のもとにマン・ツー・マンで説明して下さるということでわざわざ来訪されたのである。 そして、あれから七ヵ月たった九九年四月一三日、とうとうマドリガル社は昨年と同じ東京国際フォーラムにおいて期待の新製品NO・32Lを発表したのである。あいにくと業務の都合で私は発表会に参加出来なかったのだが、翌日の一四日の午前中に再びマーク・グレイジャーが単独で私のもとを訪ねてくれたのである。正直にいって前作の第四七話を執筆中で、じっくりと文章を考えるゆとりはなかったのだが、前作で述べているPADの試聴機材と環境をそのままにNO・32Lを受入れ緊急に試聴させて頂くという栄誉を頂戴したのである。マドリガル社の社長自らの訪問に答える意味でも、前作の執筆に割り込む形で急きょマークレビソンの新製品に関する分析を行い、皆様にお伝えする使命感を文章化した緊急のレポートとなった。従って、前作のような緻密な取材は出来ないものの、ヒアリングでの印象を主としたユーザー側に立った視点でNO・32Lの実態をお伝えしようとするものである。
 正直に申し上げて私は今興奮している。音が出ているモデルは日本にまだ一台という貴重なNO・32Lをいち早く持ちこんで頂いたハーマンインターナショナルの配慮に感謝申し上げると同時に、数時間という試聴を終えてたった今実物を送り出したところであるが、この衝撃の大きさは予想以上のものであった。短時間ではあったが、この私が驚嘆したドラマチックなNO・32Lの登場をこれから一気に文章化し皆様に紹介するものである。

 

第一部「technological innovation」



第一章「セパレートシャーシ」

 一九九七年三月五日の夕刻「ハイ!カワマタサン!」と聞き覚えのある声が私を振り向かせる。マドリガル・オーディオ・ラボラトリー社々長のマーク・グレイジャーが訪ねてこられたのである。以前にも数回来訪されディカッションを交わしていたが、今回は一人ではない。ビジネスマンらしいアメリカのメーカートップの雰囲気とは違う長髪に口ひげ、ブランドもののメガネをかけた人物を紹介された。頂戴した名刺をみるとフィル・ムジオ(Phil Muzio/Chief Executive Officer)とある。いや驚いた。マドリガル社の会長である。世界中を飛び回っているマーク・グレイジャーとは違って、この人は滅多に日本へ来ることはない。ましてや一販売店に足を運んでくれるなどということは初めてのことである。その他にも商品開発部長のジョン・ヘロンと技術部長のエド・マクマレーという同社のトップメンバーが訪れたのである。その一年前にマーク・グレイジャーにはリファレンスプリアンプの開発を煽る発言をしていたのだが、その企画段階で私と話しがしたかったらしいのである。
 アンプにはシャーシ・ボディーの筐体構造、肝心な回路、重要な電源、と三つの要素がある。私はその時にもジェフロウランドのコヒレンスを例に上げて、「御社のプリアンプでは回路と電源にこだわりを見せていることはわかる。しかし、電源につながるイメージも含めて筐体構造には物足りなさを感じている。」と、マークレビンソンの従来のトップモデルNO・26SLの本体重量四・五キロ、電源部は三・五キロという事例を挙げ、剛性の高い重量のあるバランスケーブルを接続しようものなら本体が浮き上がってしまうという事実を、もちろん優秀な音質であったという評価を大いに認めながら発言した。そして、電源についても同様に他社製品の強力な電源部のあり方を目に見える実例として例を挙げ、マドリガル社のトップを目の前にして知らぬうちに熱弁をふるっていた。当時はボルダーの2010と2020というアメリカでも三万ドルを超えるという製品が置いてあったので、それらを例に上げてマークビンソン・ブランドに期待するコメントを並べ立てたのであった。
どうやら彼らがアメリカでも目にしたことのない製品がいくつもあり、それを熱心に触れたり眺めたりしながら当フロアーに対するイメージと関心度が断然高くなったらしいのだ。当時マーク・グレイジャーと面識を持つようになって二年目であり、その時からリファレンスプリの催促をしてきたのだが、足掛け四年という時間を経過して遂に私の目の前にNO・32Lが登場したというわけである。
 さて、このNO・32Lのモックアップはすでに公開され雑誌にも写真が掲載されたことから、2シャーシ構成になっていることは知られていると思う。その各々の機能配分がユニークなのである。コヒレンスのように電源部とアンプ本体という分け方ではない。コントロールノブやスイッチ、ディスプレーがある方は電源部とコントロール部であり、サイズは幅四九五ミリ、高さ七七ミリ、奥行き三二九ミリ、と大変にスリムな外形であるが重量は一七・七キロと大変な重量級である。これはアルミブロックを削りだした左右二つのタワー部分、それを分厚いアルミパネルでつなぐ形で三つのケースを構成している。その一方で表面に一切の機能が見られずシルバーの曲面が中央に盛り上がっているのがオーディオサーキット部である。これもサイズは幅四九五ミリ、高さ一〇六ミリ、奥行き二八九ミリ、重量は一二・四キロとヘビー級である。 このオーディオサーキット部はアルミダイキャスト一体成型で作られ、中央で隔壁を設けて完全な左右モノラルコンストラクション構造となっている。シャーシ内部には導電性の高いイリダイトメッキ処理が施されアース効果を高め、分厚いアルミ引き抜き材のトップカバーが外部の音圧と振動からサーキットボードを保護している。これだけ見て触れても同社の従来製品には見られない徹底した設計方針がうかがえるものだ。



第二章「パワーサプライ」

 これらの物々しいボディーの構造が電源の新機軸を表しており、まず電源部中央に配置されデュアルワインディングされた巨大なトロイダルトランスの二次側から二系統のAC電源を取りだし、各々大容量レギュレーターでいったん直流電源に変換している。ここで通常のアンプであれば、この段階で各ステージに電源ラインを引いていくのであるがNO・32Lは違う。高精度オシレーターによって四〇〇Hz純粋なサインウェーブを発振させ、専用のパワーアンプで再び四〇〇Hz交流波形に変換するのである。そして、その四〇〇Hz交流電源が導かれるのが左右二つのタワー部分である。ここには急峻なフィルター特性を持つ特殊な四〇〇Hzバンド・パス・トランスが格納されており、ソフトリカバリーダイオードとローノイズ・ハイスピード・ボルテージレギュレーターアンプによって再び高純度な直流に変換されるのである。電源周波数を上げることによりフィルターキャパシターの充放電の高速化がはかれ、DC変換後の平滑度も向上する。六〇Hzの低周波電源に比べて熱や振動の発生も極小になり、クリーンな上にローインピーダンスの電源部を構成することが可能になったという。つまり急激な負荷変動に対して万全の対応と、電磁気的な影響も排した安定した高純度な電源はバッテリー電源をも凌駕する緒特性を確保したという。この強力なセルフジェネレーター電源で作り出された直流電源は後に述べるサーキットブロックへと送り出されるわけだが、その接続には更なる配慮がされていた。コントロールブロックのDCパワー出力、そしてサーキットブロックのDC入力部の各々にローノイズ・ハイスピード・ボルテージレギュレーターアンプが装備されているのである。これによってDCケーブルとコネクターに起因するノイズの混入を防止し、更にオペレーション回路にも独立した電源トランスとレギュレーターを設けて電源部に考えられるあらゆるノイズ成分から保護している。この重量が一七・七キロという電源部/コントロール部で全容積の八〇パーセントを電源部が占めており、コントロール・ロジック回路は厳重なシールドケースに納められ全体の五分の一というコンパクトさである。さて、前述で例を挙げたボルダー社のプリアンプは、電源部、コントロール部、サーキット部、と三筐体に完全に分離した構造であり、コントロール部からサーキット部を制御信号を伝える際に独特の手段を取っていた。電気的にワイヤーでそれを行なうのではなく、発光ダイオードを使って光学伝送しシグナルパスとコントロール部を完全にアイソレーションしている。このようにノイズ発生源となるコントロール部とサーキット部をNO・32Lではどの様にリンクさせたのだろうか。それを推測するにしても、この二者を結ぶもので光学伝送をさせているようなものは外観には表れておらず、前述のDC電源供給ラインがケーブルとして双方をつないでいるだけである。



第三章「ハウ・トゥ・コントロール」

 近来のハイエンドプリアンプは必ずといってよいほどコントロール手法にハイテクを駆使している。単純にいえばプリアンプの各種操作機能の主要なデバイスにマイクロプロセッサーを使用し、従来のアナログ一辺倒の設計で妥協を強いられる緒特性の改善に成功しているのである。 しかし、マイクロプロセッサーの採用によって高精度なコントロールが可能になったのは事実であるが、これはあくまでも機能性と精度の面での向上であった。そして、その代償としてデジタル・デバイスが発生する高周波ノイズの対策が必須の条件として設計項目に含まれるようになったのである。さて、このコントロール信号がオーディオ信号に与える影響に関してNO・32Lはどのように対処しているのだろうか。
 ここで前章で述べた両者の信号伝送に関して、どのような手段を用いているかを確認すると、唯一電源部/コントロール部とサーキット部を結んでいるものはロック機構付きコネクターの厳重なシールドを施した電源供給ケーブルしかないことはすぐに見て取れる。このDCケーブルのコネクターを見ると一〇本のピンがあるのがわかる。このうち四本がオーディオサーキット用の電源ラインであり、六本をコントロールロジックとオペレーション用電源にと振り分けて使用している。まず、このオーディオ用電源はサーキット部に入ると電源出力部と同様なハイスピードレギュレーターアンプによってアイソレーションと更なる安定化をはかり、NO・32L全体で何と合計三五個のローカルレギュレーターへと導かれ、それらは次のシグナルパスのそれぞれに電源を供給する。まず入力セレクターを通過した後のインプット・バッファーアンプ、次にボリューム・ステージ、そしてアウトプット・バッファーアンプ、最後に内部で更に三系統に分岐しながらオプションのフォノモジュールと、大別すればサーキット部のこれら四系統にクリーンなDC電源を供給しているのである。
 電源部/コントロール部に格納されたマイクロプセッサーからは六本のケーブルで段階的な電圧とパルスに変換されたコントロール信号が送られてくるわけだが、ここで大きな前提がある。コントロール信号はパネル、あるいはリモコンの操作が行われた瞬間だけ発生し、操作が完了した瞬間にマイクロプロセッサーのクロックごと休止状態とするオペレーション・スリープ機構が働き、演奏中にはコントロール信号の干渉を完全に排除しているのである。さて、サーキット部で受け入れた六本のケーブルによるコントロール信号は、まず最初にローボルテージ・マイクロプロセッサーに集められる。ここでの低電圧駆動のプロセッサーにいったんコントロール信号を集約するということも、回路の低電圧化と帯域制限を加えてのシグナルパスへの影響を抑止する手段となっている。 そして、ローボルテージ・マイクロプロセッサーを経由して、コントロール信号は次の各オペレーション回路へと連結されることになる。まず、入力セレクターとレックアウトソースセレクター、インプット・バッファーアンプにおけるゲインコントロール、ボリューム基板におけるボリュームコントロール/バランス/入力レベルオフセット/ミューティング、レックアウトセレクター、最後にフォノイコライザーにおけるフォノゲインをはじめとする各パラメーターの設定。これら各ステージをコントロールするわけだが、二つのボディーをつなぐDCケーブルは標準では二メートルのものが付属している。しかし、この入出力部には低インピーダンス伝送を可能としたハイパワーレギュレーターが搭載されているので、オプションで一五メートルのケーブルによる接続も可能である。また、細かな配慮として同社のNO・25L/SLを使用されている方のために電源部/コントロール部には専用の電源出力端子も装備されている。入出力系統はバランス入力が三系統、アンバランス入力が五系統、オプションのフォノモジュールはバランスとアンバランスを指定し、いずれかで二系統の入力を切り替えることができる。出力はメイン出力はバランス二系統、アンバランス二系統、レックアウトはバランス1アンバランス2と充実した端子群を装備している。



第四章「オーディオサーキット」

 構造的なモノラルコンストラクションは言うに及ばず電気的な回路構成も同様に徹底したシンメトリカル構成でチャンネル間の干渉を完全に排除している。NO・32Lではアンバランス入力についても電子的なバランス変換を行い、内部の信号処理はフルバランス伝送とし全入力に対して高レベルのコモンモード・ノイズリダクション効果を持たせた。 その各入力ごとにC/Rネットワークによる1メガHzRFフィルターを装備しており、一系統独立の高周波対策を施している。その入力系統間にはディスクリート構成のT型スイッチセレクター回路の採用や巧妙なパーツレイアウト、更に真鍮製シールドバーによるソース間の隔離処理などにより入力オープン時においても120デシベル以上のセパレーションを確保している。入力ショートの状態ではクロストークは測定限界の140デシベルというのだから、インプットステージにおける各チャンネル間の干渉に関しては文句の付けようがない万全の設計と言える。
 その後に続くシグナルパスはインプットバッファーアンプとなるのだが、ここでは入力ごとに四段階の独立したゲイン設定が可能となっている。工場出荷時にはバランス入力はプラス6デシベルに設定されているのだが、この他に0デシベルゲイン、プラス12と18デシベルの設定ができる。後ほど試聴結果をたっぷりと述べているが、実はこのゲイン設定について私は実際にノーチラスシステムにおいてその違いを比較したのである。バランス入力1を0デシベル、バランス入力2をプラス6デシベルとしてボリュームを6デシベルオフセットする。同様にバランス入力3はマックスのプラス18デシベルとして同じくボリュームを18デシベルオフセットした。つまり、各々入力系統に関してインプットバッファーアンプのゲインを上下三段階に設定するが、入力セレクターを切り替えても同じ音量になるようにプリセットしたのである。これで次々にケーブルを三つの入力端子に差し替え、後述する課題曲を比較試聴したのである。バランス入力2、そして3とゲインを大きくするにつれて楽音の出始めでエネルギーを圧縮して蓄積していたような立上りの鋭さが増してくる。特にドラムやベースのリズム楽器ではその傾向が顕著に現れる。ジャズにおけるシンコペーションが強調されるような勢いが付加され、演奏全体のテンションが高まり緊張感を演出するのでクラシック音楽についてもオーケストラを低音量で聴いたりするときには面白いかも知れない。バランス1の0デシベルゲインは対照的にエコーと余韻感がより引き立つ。小編成のデリケートなバロックやアコースティックな伴奏によるヴォーカルなどはこの設定がお勧めである。と、こんな芸当もできるのだから、トーンコントロールのような単純な方法ではなく、もっと高いレベルで楽音の質感もコントロール出来るのである。この機能には二重丸をつけたい。
 プリアンプの最も重要な機能がボリュームコントロールであるが、NO・32Lのボリュームコントロールは結論から言うとアナログなのである。マドリガル社オリジナルのディスクリート構成ステップアッテネーターボリュームがそれである。チャンネル当たり六六個のサーフェスマウント・プレジションレジスター(ビシェイ社のレーザートリムド・レジスターを採用)の膨大な組み合わせにより、実に六五、〇〇〇段階のレベルコントロールが可能となっている。ディスプレーの最大値は80・0デシベルであり、これを594ステップで変化させていくのである。ボリュームにおける解像度はディスプレー表示23・0、これはマイナス57デシベルに相当するが、それ以下では1・0デシベルステップ、それ以上では0・1デシベルステップという微細なボリュームコントロールを実現しているのである。このボリュームステージの基板は非常にコストがかかるが誘電率の優れた新素材アーロン25N(Arlon 25N)による四層基板が採用されており、独立したディスクリートレギュレーター電源の搭載によってTHD(全高調波歪/トータル・ハーモニクス・ディストーション)とノイズレベルともに測定限界値のマイナス140デシベルを記録している。そして、これらのスペックを満足させながらバランス/入力レベルオフセット/ミューティングなどのすべてを同一回路内で処理し、シグナルパスの短縮を可能としてしまったのである。



第五章「フォノイコライザー」

 当日私のかたわらで話しをしていたマーク・グレイジャーが重たそうな鞄から何やら取り出し、私の手のひらに乗ったのはNO・32Lのもう一つの大きな特徴であるフォノイコライザーモジュールであった。 大変コンパクトながらズッシリと質量感があるこのモジュールはミュー・メタルによるシールドボックス構造になっており、内部の基板はボリュームステージと同じ新素材アーロン25N(Arlon 25N)による四層基板を採用している。集積化された小さなボックス状のパーツがギッシリとつまっているが、この内部には三基のローカルレギュレーター電源が独自にパワーを供給し、本体と同様にフルバランス伝送の回路構成でかつてない高S/Nと正確無比なRIAAカーブが保証されている。このバランスサーキットのメリットが最大限に発揮できるように、本来バランス出力であるフォノカートリッジに対応できるようキャノン端子の入力も設定できる。また、出荷段階で組み込むのが無難な選択であるが、本体購入後でのインストールはユーザーの手で行なうには無理があり、輸入元のサービス対応となる。そして、同社がプレジション・チューニングと称しているカートリッジとのマッチングをはかる調整機構が大変に巧妙なのである。
 まず二系統のフォノ入力は独立して各々40デシベルと60デシベルのゲイン設定が可能である。そして、負荷インピーダンスの設定は3・3/5・0/7・7/10/33/50/77/100/330オーム及び47キロオームの一〇種類の設定が出来る。更に負荷容量も0/50/100/150/200/250/300/350ピロファラッド及び0・01マイクロファラッドの九種類から選択できるのである。しかも、これらを聴きながらリモコンで操作できるというのだから、従来の常識では考えられなかったものである。フォノイコライザー単独の商品では数種類のパラメーターをフロントパネルで切り替え出来れば良い方で、小さなディップスイッチをドライバーやペン先で切り替えるという手法が多かった。それがリスニングポジションで聴きながら調整できるというのはアナログファンにとっては夢のような話しではないか。その他にも左右チャンネルのバランスオフセット、20Hzのローカットフィルター、希望の抵抗素子を負荷として挿入しユーザーが希望する特殊な負荷の設定を可能としたオプションソケット、などとアナログファンにもハイテクの恩恵を提供する親切設計がなされているのである。単独製品としてフォノイコライザーを選択することにも楽しみはあるだろうが、この後に述べる一社純正のシステムが持つ説得力を考えると純正フォノイコライザーを強くお勧めしたい。

 

第二部「compare listening」



第一章「ノーチラスシステム」

 九九年四月一三日、ハーマンインターナショナルの藤田君が新製品の発表会場である有楽町の東京国際フォーラムから電話をかけてよこした。「明日午前中にマーク・グレイジャーが伺いますが、NO・32Lを会場から直接川又さんのところにお持ちしたいんですが、よろしいでしょうか。」こんなおいしい申し出を私が断るはずもない。内心の期待と喜びが声に表れないように注意して、「いいですよ。」と平静を装って返事をした。そして、待つこと一〇数分ガラガラと台車を押す音が聞こえたかと思うとハーマンインターナショナルの広報を担当する、その藤田君本人が梱包を抱えてやってきた。取引先各社の社員を君付けで呼ぶのは失礼ではないか、とお考えの方もあろうかと思いますが、藤田君はある学校の私の後輩であるのでついついこんな付き合いになってしまう。さあ、期待に胸膨らませてセッティングし、その第一声を聴き届けるまで藤田君も手伝ってくれるという。前作で日々試聴を繰り返しているノーチラス&PADのシステムに組み込むので、さほど難しいセッティングではない。配線を完了して、さあ注目の一曲目はどうしようか。私は迷うことなくヨーヨー・マを取り出してP−0にローディングする。
 さあ、スタート。「おいおい、本当かよ。」これではいけないと次をかける。大貫妙子、dmpビッグバンド、ネーメ・ヤルヴィとエーテボリ交響楽団のロリポップと四曲の課題曲をすべてかけてみたのだがダメ。マークレビンソンの製品に共通することなのだが、電源投入直後はまったくといっていいほど目覚めが悪い。「ああ、やっぱりだめか。」と思いながら一案を思い浮かべる。私は入社以来の習慣として閉店後は保安上の問題からフロアー内の電源はすべてブレーカーで落としてしまうので、明日午前中のグレイジャーを招いての試聴には間に合わない。そこでPOSのコンピューター用に二四時間通電している電源から延長ケーブルを引き出し、ライバルであるコヒレンス2も含めてフロントエンドの機材にPADのシステムエンハンサーをフルリピートさせて一晩のウォーミングアップをさせることにしたのである。もちろん私が気にしているのはジェフロウランドのコヒレンス2との一対一の比較である。前作でも述べているようにコヒレンスのセールスホルダーを握る私としては、どうしてもマークレビンソンとジェフロウランドの一騎打ちに結論を出したいという気持ちが強い。なぜかと言えば、これまでのマークレビンソンのプリアンプではもの足りず、同社のパワーアンプに多くのコヒレンスをペアリングして販売してきたからである。当時の状況判断に対して私は責任を感じており、もしあの時にNO・32Lがあったならばという仮定をいつも頭においてセールスしてきたのである。コヒレンスの高い能力を評価しながらも当時はマークレビンソンには対抗すべき商品がなかった。従って当時の判断においてコヒレンスをお勧めするしかなかったのである。そして、いよいよNO・32Lが出たからといってコヒレンスを否定的に扱ったのでは私は信頼をなくすだろう。従来からあったものを否定し、踏み台にするような表現を使って新製品を売り込むようなことはしたくないというのが私のいつわらざる本音である。明日はコヒレンス2との一対一の比較試聴をすることにしているが、どちらに勝敗が決するかという単純で安直な表現は出来ないという私の気持ちをぜひご理解頂きたいのである。

 翌日の朝、出社と同時に入室するとフワーッと室内の空気に熱気が感じられる。NO・32Lの電源部に手を当てると十分に熱を帯びていることがわかる。「ウンッ、これなら大丈夫だろう。」期待に胸膨らませて早々に掃除をかたづけ、だれも来ないうちにとセンターポジションに座る。まず、ヨーヨー・マをかける。「これだよこれ。」その日のすっきりと晴れ渡った青空のごとくエコーが伸びやかに空間に拡散していく。これで本来のノーチラスに問題なくマッチしているという実感が持てる。やはり一五時間に及ぶウォーミングアップの効果は大きかった。ここでひとつ注釈をいれておくと、昨日の初期判断でマークレビンソンに付属している電源ケーブルの使用は昨夜の段階でやめてしまっている。ACドミナスに差し替えたときの変化が大きく、大事な果たし合いの場でプアーな付属品の電源ケーブルでNO・32Lにハンディキャップを付けたくなかったのである。その代りコヒレンス2も最もよい電源環境で使用することにした。すなわち、電源ケーブルを一切つながずにバッテリー駆動のみで比較試聴することにしたのである。いきなりNO・32Lで聴いたヨーヨー・マをそのままに、そっくりプリアンプのみを交換する。もちろんバランスインターコネクトもドミナスを使ってのことである。再びコヒレンス2でポーズを解除してヨーヨー・マをかける。 「あれ、昨日まで聴いていたコヒレンスってこんな音だったっけ。」と自分の記憶にいくばくかの疑いをもちながらノーチラスの新たな音に警戒を深めた。「いや、でもいいよね、コヒレンスはやっぱりきれいなエコーを聴かせてくれる。」と内心で分析を進めながら半信半疑という気持ちは拭いきれていない。よし、もう一度NO・32Lに戻そう。藤田君に手伝ってもらい極力短時間で配線を変える。「アレッ、いいじゃない。」NO・32Lよりもコヒレンス2の方が美しい余韻をもっている、と先程の印象を確認するためにNO・32Lに戻したのだが、自分の分析におお急ぎで修正を加えることになった。NO・32Lが余韻を出していないのではなく、楽音そのものの存在感とコントラストが強くなり背後で演奏しているABOの楽器一つずつが発するエネルギーのようなものが強いのだ。そして、ヨーヨー・マの演奏にも変化が表れている。

バロック・チェロは楽音自体の音量の強弱に注目して聴くと、コヒレンス2で聴いたものよりもNO・32Lで聴いた場合の方がヨーヨー・マの演奏で弓を折り返す際の力の入れ具合にダイナミックさを感じるのである。これは好みの分かれるところであろうか。

 次にこれも最初にNO・32Lで大貫妙子をかける。イントロのアコースティックギターとウッドベースが表れた瞬間に「エッ、なんだ今のは。」と内心の驚きは同時に私の観察力がもたらした直感でもある。音が厚いのである。ギターが弾かれた瞬間、ベースの弦から指先が引き離された瞬間、どれを取ってみてもこれまでと違う鳴り方である。そして、ハンドベルの音が「チャリーン、チャリリーン」と入ってくるころには高音楽器にも圧縮されたエネルギーのような力強さを感じていた。やがてヴォーカルが入ってくる。今までのマークレビンソンのプリアンプ、例えば今まで最も高価であったNO・380SLであれば、もうこの瞬間に勝負が付いてしまったことだろう。ヴォーカルの口元に見られるフォーカスの収束感がなかったからである。しかし、さすがにNO・32Lが聴かせるヴォーカルは見事である。さあ、ここでコヒレンス2へ戻してみた。「待てよ、なんかあっさりして聴こえてしまうな。でもヴォーカルの口元はこちらの方が小さくまとまっているか。」と過去にしてきた自分の評価に対して弁護するかのように、コヒレンスの個性というものがNO・32Lと比較することによって改めて鮮明に理解出来た。
 そして、もう一度NO・32Lに戻したときのことである。「どうしよう、参ったな、これは。」私はコヒレンスで聴くときには無意識のうちにエコーの美しさを集中して聴いていたのである。だって、それこそがコヒレンスの面目躍如たる魅力であったからで、NO・32Lにコヒレンスが勝るとすれば余韻感の表現にもっともそのウェイトがかかっていたからである。ところが、ところがNO・32Lはコヒレンスと同レベルのエコーの際だちをもっているではないか。とすれば、第一印象となった演奏におけるエネルギーの高まりをどのように判断するか、というユーザーの指向が選択の基準になってくることだろう。これはいい。
 さて、次はdmpビッグバンドをやはりNO・32Lで最初に聴く。 「テイク・ジ・Aトレイン」のイントロでジオフ・キーザーが弾くピアノがまず違う。左手のリズムに弾力性とパワー感をみなぎらせてホーンセクションの登場を待つ。さあ、問題のルー・ソロフのトランペットが入ってきた。「ちょっと、ちょっと待った。ボリュームの設定はあってるだろうか。」いきなりだが、それほどルー・ソロフのトランペットはコヒレンスで聴いたものと力強さが違う。しかも、そこにはがさつな荒々しさや鮮烈さはない。したたかなほどにスムーズな鳴りっぷりなのである。これはいかん、とコヒレンスに切り替え、これまでに聴いてきたニュートラリティーを取り戻そうとする。「ウーンッ、やっぱりコヒレンスで聴くトランペットは右から左に飛散していくエコーが見事だ。」 それにマウスピースを強烈に支配するタンギングも切れ味がいいぞ。 これまでの数日間、PADのケーブルを吟味するに当たって着目してきたチェックポイントをおさらいしながらコヒレンスを聴き、それならばという意気込みで再びNO・32Lに戻す。さあ、ポーズを解除して。 「まいったな、これは。」まず、ジオフ・キーザーのピアノでは和音の展開が二度目の今の方が鮮明に聴こえる。さっきの印象は間違いだったのか。ルー・ソロフのトランペットに判断の糸口を求めて再度聴き直す。「もしかして、これって、いいじゃない。」藤田君の目の前で取り乱したくないので言葉には出さず内心でスウィングしている自分を抑える。 ルー・ソロフの立ち位置はコヒレンスよりも手前に聴こえる。トランペットの音量感は生々しいほどに高まるのだが、右から左へのエコーの流れ方に色彩感が鮮明になったようすとして言い当てられるだろう。マウスピースという本当に小さな音源からスタジオ全体に響き渡るほどの余韻感の保存性を、大変失礼ながらマークレビンソンが持っていたということ自体が私にとって驚きだったのである。後ほど述べる更なる発見にかかわるエピソードとして、この段階でNO・32Lのもつ情報量の再現性に大きな丸をつけたということでご理解頂きたい。
 さて、最後の課題曲はネーメ・ヤルヴィとエーテボリ交響楽団のロリポップに収録されている「金と銀のワルツ」である。これもNO・32Lで最初に聴き、コヒレンスから再びNO・32Lに戻して聴いた。 不思議なこともあるものである。オーケストラの楽員数は同じなのに密度感が違う。コヒレンスの方が各パートの距離感が近接していて密集体形をとっており、ノーチラスに向かう視野において楽器群が占める投影面積が小さく感じられ、その分周辺の空間にもたらす余韻がみずみずしくノーチラスを包み込む形で展開した。しかし、NO・32Lで聴くエーテボリ交響楽団は違うのである。弦楽器にしても管楽器にしても各々のパートが聴かせる色の濃さとでも例えられるようなエネルギーの集約が、まるでステージに歩いて接近していくような印象を与えるのである。しかも、しかもである。距離感がせばまって楽器群はクローズアップされたはずなのに、エコー感が萎縮してしまったかというとそうではないのである。凪いだ水面に石を投げ波紋が消えていく様を観察したとしよう。NO・32Lに比べればコヒレンスが投げた石は小さいのかもしれない。しかし、その波紋は岸辺まできちんと減衰しながらも伝わっていった。そして、NO・32Lはコヒレンスよりも大きい石を投げたといえるだろう。石が水面に没したときの第一波の波はコヒレンスよりも大きい。次に円周にそって立ち上がる冠状の波の第二第三の波紋は必然的にコヒレンスよりも大きくなり、そのエネルギーと低音階の重厚さが関与してホールを大きく天井を高く聴かせるのである。それらに空間との摩擦感がないので爽快な拡がりは新たなオーケストラの可能性を聴かせてくれるのである。ヨーヨー・マと一転してNO・32Lが聴かせてくれるフルオーケストラの魅力は大きい。



第二章「クロスチェック」

 実は冒頭にも述べているように当日の試聴にはタイムリミットがあった。夕方には取りに来てしまうというNO・32Lを時間の限りにと聴き込んでいくことにした。これまでのノーチラスシステムは4ウェイマルチという宿命上前作で述べているようにジェフロウランドのMC6を使用せざるを得なかった。むしろ私がリファレンスとしているスピーカーによる再現性の違いに重きをおいて第一ラウンドを戦ったわけである。残された時間で次に私が聴きたかったもの。それは何と言ってもマークレビンソンのパワーアンプを使用しての純正ペアリングの評価である。

まずフロントエンドは同じにしてスピーカーをノーチラス801に変更する。次に当フロアーで常設しているマークレビンソンのNO・33HLとジェフロウランドのモデル9TiHC(ハイカレントバージョン)に対して、双方のプリアンプを切り替えてクロスチェックを行なおうとしたのである。そして、これこそが、この日に私が体験した最も大きな、そしてショッキングな発見となったのである。
 現在当フロアーのオリジナルノーチラスには、私がデザインした特注のキャスター台を使用しており簡単に移動が可能になっている。移動の便宜だけでなく微妙なアライメントを調整する際にも現在では必須の道具となっており、私がお納めしたノーチラスのオーナーの皆様にもお勧めしたいアイテムの一つである。ガラガラとキャスターの音をさせてノーチラス801をいつものポジションにセッティングする。さあ、最初はマークレビンソンのペアで聴いてみよう。と、ここまでは軽いノリで配線を終え、再度ヨーヨー・マのディスクを用意して席についた。正直にいってノーチラス801がオリジナルノーチラスほどの感動を聴かせてくれるという期待感はなかったのであるが、演奏が始まった直後、背筋に戦慄が走った。「いや、これはウソだ。こんな801は聴いたことがない。」スピーカーの切り替えは私から見ればグレードダウンという方向の認識であり、更に正直にいってマークレビンソンのNO・33HLというパワーアンプの音は選択肢のひとつとして他社製品とまったく同列に考えていたのである。つまり、悪くはないが格別な存在でもない。しかし、NO・32LにコントロールされたNO・33HLは、まさに水を得た魚のごとくの変貌を遂げているのである。もし、ここに私のお得意様を一〇名程度ご招待し、同じ経験をしてもらったらならば一〇〇パーセントの確率でマークレビンソンのパワーアンプに対する過去の評価を覆すことだろう。「いやいや、これでは不公平だ。先程はジェフロウランドのパワーアンプを使って評価したのだから、今度はマークレビンソンのパワーアンプにもジェフロウランドのプリをつないで相互評価しなければ。」と、プリアンプをコヒレンス2に切り替えた。すると、ここで決定的な事態が持ち上がった。一聴してミスマッチと思える視野の混濁が発生したではないか。とにかく、先程までの晴々とした爽快な演奏に霞がかかったように楽音が色あせてしまい、余韻は枯渇したがごとくに干上がって潤いを失ってしまう。「ちょっと待ってよ、私は昨日までマークレビンソンのパワーアンプにはコヒレンスというペアリングを提唱してきたではないか。いくら当時は選択肢がなかったからといって、今この比較をお客様に聴かせたら絶対に、そう絶対にコヒレンスは選ばないだろう。これはえらいことになった。」オーディオとは恐ろしいもので、その時々でベストと思っていた組み合わせが、新製品の登場によって何とも脆くペアリングの根拠を崩壊させてしまうものである。これには参った。公約違反をおかしてしまったような心境であり、私は前述の組み合わせを提案し販売した皆様一人一人にお詫び状を書かなければいけないというところまで追いつめられてしまった。それほどジェフロウランドのプリにマークレビンソンのパワーアンプはミスマッチとしか言いようがないと、初めての体験をしたあとでは思えてしまうのである。それほどの説得力を持って、我が意を得たりと同社のパワーアンプの救世主としての存在感を発揮するプリアンプが登場したのである。

 これではいけないと、コヒレンス2のままでパワーアンプをジェフロウランドのモデル9TiHCに変更する。再びヨーヨー・マを聴き直してホッとため息を漏らす。「いいバランスだ。これならば何のストレスも感じない。いやはや、ハイカレントバージョンはさすがだ。」とジェフロウランドのアイデンティティーが演奏をよみがえらせ、しばしノーチラス801の魅力を再発見する心境で演奏を楽しんでいた。さて、ここで逆のクロスチェックをやろう。モデル9TiHCに対してNO・32Lをつなぎ、マークレビンソンの純正ペアからプリだけを変化させた時と反対の組み合わせで同様な失望感を味わうものかどうか、ちょっとしたスリルを感じながらプリを切り替えた。そして、恐る恐るNO・32Lのボリュームを上げていくと。「それってないんじゃない。」と内心皮肉な心境に支配される自分を情けなく思ってしまう。モデル9TiHCに対してもNO・32Lのコントロールは有効なのである。ただし、コヒレンス2のそれとは違う。緻密に静寂感を追い込んでいくジェフロウランドの感性に対して、陽性の開放感を信条とするかのようにNO・32Lはモデル9TiHCに光を当てようとするようである。ヨーヨー・マのバックを務めるABOの各パートは決して力まかせの演奏になるでもなく、ヨーヨー・マと距離を取りながらも自らの響きをエコーとして美しく自己主張する。それに対するヨーヨー・マは監督に演技指導を受けた直後の俳優のごとく節度を思わせる演奏に磨きがかかる。もちろんジェフロウランド純正ペアの方が両者のスタンスを見事に調和させる演奏なのであるが、NO・32Lの参入は違和感を覚えるほどではない。 この辺は絶妙と言える互換性の新たな個性の表れとしておおいに評価されるだろう。

 さて、NO・32Lにモデル9TiHCのままで曲を大貫妙子に変える。いやいや、ここでもモデル9TiHCの微細な表現力が余韻の保存性に関与していることがすぐにわかった。ギター、ウッドベース、そしてヴォーカルと、ノーチラスとは違う緊張感はモニタースピーカーの得意とする方向性なのか、テンションの高まりから拡散するエコーの美しさは中々のものである。これでよしっ、と一巡するようにプリをマークレビンソンのままでNO・33HLに切り替えた。「こんちくしょう!」英語ならば「オー、マイ、ゴッド!」ハイウッド映画のセリフであれば「シット!」とくることだろう。これだけは私の経験と威信をかけてもはっきり申し上げる。どこかのメーカーのパワーアンプにNO・32Lを組み合わせてもこの音は出ない。どこかのメーカーのプリアンプにNO・33HLを組み合わせても絶対に、絶対にこの音は出ない。ここのところは力を入れた発言である。しかも、私の発言はここでの実演によって立証できるのである。本日各社マスコミや評論家に先駆けて(これがもし隠密行動であり、不都合がおこればお詫びするしかないが)私のもとにマーク・グレイジヤーを引率しNO・32Lをお持ち頂いたハーマンインターナショナルとマドリガル社の名誉を損なうことになろうとも、加えて今回体験した驚きと発見を今後私のセールスでそれを補うことになろうとも、あえて一言申し上げたい。私は、そして日本のオーディオファイルは本当のマークレビンソンのパワーアンプの音を聴いていなかった。大変失礼な言い方であるが、私でさえも同社のパワーアンプを過小評価していたようなのである。なぜならば、今ここで演奏されている大貫妙子のヴォーカルで、これほどしっかりした質感を内包する余韻と、鮮明でありながらエッジを強調することのない三次元的な定位再現性。余韻感の再現性を最大の特徴とするジェフロウランドの純正ペアに対しても、マークレビンソンの新世代純正ペアは驚異的なエコー感として情報量の拡大、言葉を変えれば録音クォリティーの再現性に秀でているのである。どれをとっても非の打ちようがないのである。感動を通り越して興奮している自分に気が付くと、あまり時間がないことに多少の焦りを覚えた。もっと聴かなければ。もはやクロスチェックを繰り返す余裕もなく、残る課題曲を聴き続けた。
 dmpビッグバンドをP−0に入れ、ディスクを読み取る時間も惜しまれるほど演奏の開始が待たれる。NO・33HLもウォームアップを完了して熱気を立ち上らせている。さあ、ジオフ・キーザーのテンションのきいたイントロのピアノを聴き、ホーンが入ってくる瞬間に私は思わずP−0にポーズをかけた。「これって、出来過ぎじゃないの。」と一人ごちしてクールダウンするのを待つ。それほど鮮烈な印象のピアノであった。この際、数秒間のブレークを入れて先程のクロスチェックで知りえたこれまでの記憶を頭の中からイレースすることに全力を尽くす。
 ポーズを解除してノーチラス801が再び鳴りはじめたときに私は思った。音質を分析する必要などナンセンスとばかりに完璧な品質保証を提示し、演奏を聴き進むにつれて心が浮き立つような高揚感を与えてくれる。「演奏が生き生きしている。これこそ音楽を楽しめるペアだ。」あたり前のことだがマークレビンソンのコンポーネントをどちらかというと単品ごとに評価しようとしてきた私、もしくは日本のユーザーとマスコミは過去のマドリガル社に対して大きく見識を改める必要があると思われた。ルー・ソロフのトランペットは分析しようとする観察眼に無用の心配はするなとばかりにライブ、あるいはスウィングして圧倒的な存在感を主張する。先程までのオリジナルノーチラスにおける素晴らしいエコー感に勝るとも劣らない音場の展開が、ノーチラス801の再現性を数グレード上げたように聴かせるのだからたまらない。
 いよいよハーマンインターナショナルの担当者がNO・32Lを取りに来られ、「あと一曲だから待っててくれ。」と、厚かましいお願いをしてネーメ・ヤルヴィとエーテボリ交響楽団のロリポップ「金と銀のワルツ」をお別れの曲にとかける。「ノーチラス801で聴いたオーケストラでは、もしかしたらこれが最高かもしれない。」もちろん、これは私の胸中で絞り出された言葉であり、決して口に出すことはない。 今まで何一〇回となく聴いてきた「金と銀のワルツ」であるが、このときの演奏が一番輝いていたのである。誤解がないように申し上げるが、高音階において刺激成分を含有するアクセントがあって特定の楽音がギラギラするというそれではない。私も常々経験があるのだが、近来の住宅では常識ともなっている洋間の板張り床、フローリングの床に半年ぶりにワックスをかけた時の感動であった。最近のフローリングは水拭きだけでも美観を損なうことはないのだが、どうしても木目の質感は白々としてくるものである。それに久し振りにワックスをかけるとスーッと木目の鮮やかさが透明感を伴って質感に潤いと光沢感を蘇らせるのである。まるでエーテボリ交響楽団のホールにあるステージにワックスがけをしたような新鮮さが目をみはる変化をもたらし、これまで聴いてきた演奏をセピア色に変色してしまった思い出に変えてしまったようである。個々の楽器に起こった同質の変化を確認する時間的な余裕はなかったのだが、ただただ私はオーケストラを心底楽しむことが出来たという感動を与えてくれたことが、別れ際にマークレビンソンの純正ペアから頂戴した置き土産であったようだ。本当に一夜の逢瀬というには短い時間であったが、十分にウォームアップし熱を持ったボディーから感じられる肌合いと情熱は私にロマンチックなエピソードを残してくれたようである。マークレビンソンの純正ペアは、これから多くの人々に熱気を感じさせる演奏を聴かせてくれるであろうし、また私も同社と皆様の仲人役を喜んで買って出るつもりである。息せき切って本文を取りまとめたので細かい配慮にかける部分もあったと思われるが、これほどの短時間で私が随筆を書き上げるということは大変まれなことである。なぜ、これほどまでに短時間で書き上げることが出来たかというと、それは私が感動し興奮したからに他ならない。その高ぶりのレベルが高ければ高い程、皆様に早く伝えたいという私なりの使命感みたいなものが筆を進めるのである。私の気持ちが熱いうちに書いた生ものみたいな今回の随筆を、どうか賞味期限が切れる前に皆様にも読んで頂けたらと考えている。その後で一人でも多くのみな様が実物を聴きに来て頂けることを願い、事実を真実として皆様自信の耳で確認して頂けることを願って筆を置くことにする。

エピローグ

 本文中にも度々述べているように、実は前作となる第四七話を執筆中でしたが、日本で最初に持ち込んで頂いた新製品に圧倒され急遽次回作の予定を繰り上げて四日間という短期間で書き上げてしまったものです。従って、前作の表現を引用することが多々あり、意味が通じにくい記述があることをお詫び致します。第四七話は現在も資料を請求しながら執筆中であり、より長編作品となって近日中に完成の予定です。 どうぞご期待ください。
 さて、従来であれば当フロアーに四〇脚ちかい椅子を並べ、新製品をテーマにして私が解説するイベントを何年間も繰り返してきたのですが、ここでの演奏のクォリティーを追求した結果システムのレイアウトを大幅に変更することになりました。従って、以前のようにイベントとして多くのお客様を一時にお迎えすることが出来なくなり、NO・32Lの御披露目もイベントとしての形態で行なうことが困難となりました。 しかし、これも考え方によっては中途半端な音を大勢の人に聴いて頂くよりも、私がベストの状態と納得できるレベルまで調整した最上のコンディションで、ご自身の音を真剣に追求していこうとする方々にゆっくりと聴いて頂くことの方が望ましいというご意見も多数頂いております。
 今回ご紹介したNO・32Lの価格は三〇〇万円と決定し、この随筆が皆様にお届けできるころには当フロアーに入荷の予定でございます。 同時にマークレビンソンのフラッグシップモデルであるパワーアンプ NO・33Lと、最新最高のもう一つの新製品D/Aコンバーターの NO・30・6Lも勢ぞろいし、日本で唯一同社のリファレンスラインがトータルシステムで試聴出来るよう準備を進めております。
 このNO・32Lの登場によって、これまでのマークレビンソンに対する評価のあり方に素直な気持ちで改訂を加え、私が感じた同社の水準の高さを改めてこのフロアーで皆様にご提示しようと企画致しました。 マークレビンソンの最新最高の演奏を披露する席に、今回は本随筆の発送をもって皆様へのご招待状とさせて頂きます。ゴールデンウィークの期間中も全国からのご来店をお待ちしております。また、それ以後も常設として同ラインアップを展示する予定です。久々に味わった私の感動を皆様にも共有して頂ける日を楽しみにお待ちしております。最後に、私自身が皆様をお迎えしたいということと混雑を避けたいという事情から、ご来店の予定が決まりましたら前日でも結構ですので、私に一本の電話で結構ですのでご連絡頂けますようお願い申し上げます。  【完】            筆者 サウンドパーク・ダイナ店長川又利明


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