第四十六話「ノーチラス・ウィルス/増殖する鸚鵡貝」
プロローグ この随筆で新製品を紹介するにあたり、これまでは私が実物を聴く タイミングと執筆に要する時期が場合によっては雑誌発表よりも三か月も先行するということがしばしばあった。しかし、第四四話のP0の時のように詳細な記事が先に発表されてしまうこともある。著名な評論家の皆さんが鮮明な製品の写真と現地メーカーのレポートなどを交えて解説される記事は、私も一読者の立場から強い関心をもって読ませて頂いているものである。今回も季刊サウンドパル誌98年秋号とステレオサウンド誌のNo128に、何と二誌合わせて三〇ページという大きな特集が組まれているではないか。この随筆で実現できる程度のイラストや図面というささやなかグラフィックスを用いて、素人の私がこれから取り上げようとしているものが、これほど詳細に紹介されてしまったのではもう私の出る幕はないのではないかと思えてくるほどである。 しかし、これら雑誌による大々的な取上げ方も、私が自分の感性で分析し紹介したいという動機を押しとどめることは出来なかった。それほど今回のノーチラス801が私に与えた感動と衝撃は大きなものであり、同時にオーディオをビジネスとしている私から見て、ユーザーに対する満足感に大きく貢献するであろうことがほぼ一〇〇パーセントの自信を持って予測されるのである。この画期的な新製品ノーチラス801が私のフロアーに滞在したわずか一週間の間に、私の観測を見事に裏付ける セールスの実例が起こっている。何と、現在使用中の三〇〇万円のスピーカーを手放して二〇〇万円のノーチラス801に買い替えるという従来の常識では考えられないような日本初の正式受注を受けたのである。
第一部「inspiration」
九八年九月四日、縦横が八二センチ×六二センチで高さが一二八センチ、想像していたよりもはるかに大きなダンボールの梱包が私のフロアーに運び込まれてきた。半年くらい前から噂を耳にしていたノーチラス800シリーズ、サンプルがやっと入荷したという輸入元の内部情報を聴くに至り、「とにかく一度聴かせてほしい。」と懇願していたのだがこんなにも早くその機会が訪れようとは予想もしていなかった。 つい一週間ほど前に評論家とプレス関係に発表したばかりの新製品を 日本国内で初めて聴かせて頂けるという光栄に浴して、私はただただ感謝と興奮に包まれ一日千秋の思いでこの瞬間を待ち続けていたのである。梱包を解かれ目の前に表れたレッドチェリー仕上げのノーチラス801 を見ての私の第一印象。「ウーン、デカイ!」従来のマトリックス801のイメージで考えていたサイズからすると、ノーチラス801は重量も一〇四kgと一回り以上大きく感じる。八月末から導入しているシルバーの元祖ノーチラスと同居できるよう、この日のために当フロアーのレイアウトを大きく変えて準備をしていた。広々としたフロアーの真ん中に何のためらいもなくポンと置いて、第一声を聴きたくてはやる気持ちを抑えながらケーブルを接続していく。ラインアップはエソテリックのP0、そしてイルンゴのモデル705、プリアンプはジェフロウランドのコヒレンス2、パワーアンプはクレルの350Mという構成である。 「いやぁ、こりゃ便利だ。」と思わず私が喜んでしまったのはノーチラス801に標準装備されているボールベアリングのキャスターである。実は、この前日にノーチラス801のセッティングに関して従来のように米国のサウンドアンカー社製のような専用スタンドはでるのか、という質問を輸入元にしたところだった。答えとしてはアメリカにも正式な出荷は開始されておらず、当然サウンドアンカー社のもとにもサンプルはないであろうことから専用スタンドが作られるとしても大分先のことでしょう、という返事であった。 しかし、ノーチラス801の亜鉛ダイキャスト製ベースは斜めに傾斜しており、従来のマトリックスシリーズのようにスタンドをビスで固定しやすい木製の平面な底部ではないため、スタンドの設計には相当な困難を伴うであろうと思われる。また、金属のベース部にはネットワークが内蔵されているため形状も複雑であり、従来のような金属製のスタンドを金属製のベース部に直接取り付けることによる不要共振の発生の可能性も危惧されるものである。スタジオでミキシングコンソールよりも高い位置にセットしなければいけないという事情は理解されたとしても、果たして一般的な家庭における使用条件の中でそもそもスタンドが必要かどうか、初歩的でありながら肝心な私の疑問に今から答えが出るわけである。 従来のマトリックス801は製品には脚部がないために、それ自身が持っている独特の弾力性あふれる低域表現が直置きではルーズな低域となり正直言って評価に値しないものであった。そんな思い出を胸中にしまい込んで、とりあえず開梱したノーチラス801をただポンッと置いて音を出した。「あれっ、もうこれだけでも結構いいじゃない。」というのが第一印象である。昨日まで聴いていたノーチラスを彷彿とさせるミッドハイレンジのホログラフィックな音場表現を何の苦もなくフウゥーと出現させ、ノーチラスのネーミングをいただいた素性を何とも簡単に聴くものに悟らせる語り口である。もう、この瞬間にスタンドに対する疑問と必要性は私の頭の中から消えてしまったようである。思えば直径が五センチはあろうかという硬球が多数の小さな硬球によって支持されるボールベアリング自体が、大小二種類の球体の接点というほぼ点に近い機械的な連結によって構成されているわけである。おまけに一〇四kgという重量の安定感とあいまって第一声に低域を中心とする観察の目と耳を向けてみても、ノーチラス801はスタンド使用の前提を完全に否定している。後に残るのは片手で動かせるという便利さのみである。 さて、最初はスタジオモニターらしく左右のスピーカーをほぼ平行にした配置で、ウッドベースのソロを聴きながらベストポジションを探すために頻繁に移動を繰り返しながら試聴を繰り返していく。まずは恒例にしたがって、これまでスピーカーを置いてきたレンガ仕上げのステージ前面からはじめる。本当にこんな時にノーチラス801は便利だ。 五〇センチきざみで徐々に手前に引き出してくる。「まいったなぁ、こんなこと今さら認めたくないよ。」と内心私が嘆いているのは数年間知らずにスピーカーの置場所として使ってきたレンガ仕上げのステージ近辺における音の悪さである。一〇〇kg当たり前で、それ以上の重量級のスピーカーは一度セットしてしまうと数メーターという大きな移動の繰り返しによる試聴実験は事実上不可能である。そして、売場という性格上で求められる機能性から、複数のスピーカーを体裁よく配置するにはレンガ・ステージはやはり無難な置場所であったのである。 ところが、ノーチラス801の機動力に甘えて、聴きながらレンガ・ステージから大きく引き出してくるにしたがって低域の解像度がよくなってくるではないか。しまいにはノーチラス801の前面が後方の壁から約三・三メートル、レンガ・ステージの前縁から一・八メートル、ほぼフロアーの中央にあたる地点まで前進してきてしまったのである。 売場としての収容能力と機能性、そして見栄えのよい商品配置からすれば前例のないセッティングである。「でも、ここがいいということが一度わかってしまった以上は仕方ない。自分に嘘をついてお客様に音を聴かせるわけにはいかない。」というのがハイエンド・ショップとしてのこだわりである。このリプレースメントは次第に私の気に入るところとなり、他社のスピーカーも同時に大きく配置を変えることになる。 そして、低域の再現性に一応の納得を得てから中高域の分析に取りかかる。両チャンネルをほぼ平行にする配置で第一声を聴いてから、すでに疑問が纏わりついていたのだが何かおかしい。リスニングポイントからの距離は「これだ!」という新発見をしたのだか、ヴォーカルのフォーカスが一向に得られないのである。ノーチラスは広く深く高くという三次元的な立体空間を生成しながら、ピィーンッとテンションを含有するヴォーカルのフォーカスを見事に聴かせてくれるのだが、現状のノーチラス801はまるで寝起きの悪いシンガーのようにピンボケである。 雑誌の写真に見られるようなスタジオや試聴室でのセッティングでは、ほぼ平行か若干内側に向ける程度のオフセットアングルの取り方ではないか。これではだめなのか。次第に苛立ちをつのらせる私の頭の中にポンとわき上がった言葉が一つ。「自分が思ったとおりやってみたらどうだ。」それではと、思い切ってノーチラスと同じ手法を試してみることにする。リスニングポイントの約二メートル前方でスピーカーの主軸が直交するクロスセッティングに切り替える。「ピンポーン!」であり「ビンゴ!」であり「大当たり!」である。 先程までは、まるでくもりガラスの向う側で歌っているヴォーカルのように口元が見えず、聞こえてくる歌声はくもりガラスの面積全体から聞こえてくるように正体が見えなかった。ところが、思い切ってクロスセッティングに変えて曲が始まった瞬間にガラガラッとくもりガラスの窓を開けたように、青空を背景にした歌手がそこでにっこりとほほ笑んでいるではないか。三メートル先の歌手の口元はあくまでも点に近づき、読唇術を耳で可能にするほど唇の動きが鮮明になり、「ノーチラスの命名にふさわしい音はこれでなくちゃ!」と一挙に私の心境も晴れ晴れとしてきた。左右ノーチラス801のトゥイーター間は二・六メートル、トゥイーターと耳の距離は約四メートル、クロスポイントは前方約二メートル、これが私のフロアーでのベストセッティングとして床にマーキングテープが貼られたのである。「さあ、聴くぞ!」とセンター位置に腰を落ち着けようとしたちょうどその時、お得意様が一人、また一人と来店され、私の頭はマニアモードから素早くビジネスモードにスイッチングされ席を譲ることとなる。しかし、ここでも私は貴重な体験をすることになる。平日にもかかわらず満席状態になってしまったところで、これまでのセッティングを再度繰り返して実演することにした。私が腰を降ろすことが出来たのは、クロスセッティングした左側のノーチラス801を真横から見るポジションであった。リスニングポインからの距離は同じくして、二台のノーチラス801をほぼ平行状態に戻してエリック・クラプトンのアンプラグドをかける。私から三メーターほどの距離にある左側のノーチラス801からは、当然のことながら左チャンネルの音ばかりが聴こえてくる。ギターとヴォーカルも目の前のスピーカーから聴こえてくるので、距離の大小を感じながら左右二つの音源があるんですよ、とあからさまに聴き手にわからせようとしている。この時のお客様の表情を音といっしょに私は記憶した。そして、ガラガラとボールベアリングの音を出しながら、先ほどのクロスセッティングに変更する。これを体験したことのない人は、私のことを「変わった店員だ」「こんなんでいいのか。」と内心で疑問符を連発したことだろう。 さあ、こうして先程とまったく同じボリュームでトランスポートのポーズを解除する。曲が流れはじめたときのお客様の表情の変化を見るのは私にとっても大変楽しみなものである。グルメ雑誌で評判になったちょっと高い店に入り、注文した本日のおすすめメニューである料理を目の前にして最初の一口を口に運んだ後の、あの表情の変化である。見る間に顔面の筋肉は力を失い、温和な目つきに豹変したかと思うと両頬の緊張感は消え去ってほほ笑みが広がる。この時点で間違いなくノーチラス801は、味わう人の舌と耳に濃厚でありながら後味のよい、そして次の一口を無意識に求めてしまうような鮮烈な味覚を聴く人の大脳に浸透させていたのである。もう何百回と見てきたこの表情の変化は決して私を飽きさせることはない。これからの生涯、見られるものならば何千回でも見続けていきたいオーディオによる至福の瞬間の一シーンである。 そして、私自身も左四五度の角度から聴いていたノーチラス801の変化にハッ、と気が付く。目の前で押し付けがましく演奏されていた左チャンネルのギターとヴォーカルがポーンとノーチラス801のセンターに飛んでいってしまったのである。スピーカーとの距離は変わっていないのに、音圧はスーッと下がって聴き辛さはなくなり、スピーカーの中間にクラプトンのヴォーカルがフーッと浮かび上がっているではないか。一旦その空間定位が設定されると、もうどこへ歩いていっても変化はない。クロスセッティングは正面に座るものだけではなく、全方位にわたって臨場感あふれる音楽のイリュージンを展開するのである。 私が聴きたくて持ち込んでもらったノーチラス801は、分析をしようとする私よりも好奇心旺盛で一目惚れしてくれそうなお客様を初日の試聴の相手として選んだようである。これから先は幸運な来店をされたお客様がマイクを放さない、ではなくスピーカーを放さない時間が続き第一日目はアッという間に終わってしまったのである。 ところが、今日以上に私を驚かせる潜在能力をノーチラス801が秘めていようとは、この時点ではさすがの私もまったく予想していなかった。クラシックやヴォーカル曲を中心にオリジナル・ノーチラスを基調として理解し試聴した初日とは、対極的とも言える出来事がこれから始まろうとしていたのである。
一九八七年アメリカはフロリダのフォート・ローダーデイル、麻薬常習の末に喧嘩による殴打によって三五歳の生涯を閉じた天才ベーシスト、ジャコ・パストリアス。メキシコ系ドラマーのカルロス・セルバンテスをリーダーとしてジャコ・パストリアスをフィーチャーした幻のグループ「エッセンス」の八四年の録音が八九年に日本で発売された。アルバムタイトル「ラストフライト」(DIW-831ディスク・ユニオン)の一曲目「UNIVERSE IS MY HOME part 1」この冒頭たった二五秒間の演奏がこれまで数多くのスピーカーを裸にしてきた。リーダーであるカルロス・セルバンテスのシャープなスティックワークによって刻まれるハイハットの音に続いて、強力なエネルギーを一瞬にして叩き出すキックドラムの連打が初めて聴く人の度肝を抜く。業務用モニターとして設計されたというノーチラス801の成り立ちに関係があるかも知れないと思い、この日は何の脈略もなくこのディスクを最初に聴いてみようと思い立ったのである。この思いつきが、その後の試聴ポイントを大きくシフトチェンジさせるきっかけとなったのである。 このキックドラムを私が満足する音圧と正確さで聴かせてくれるスピーカーは多くはない。音圧として満足させてくれたものは、JMラボのグランドユートピア(八〇〇万円)やウィルソンのX1(一一四〇万円)アヴァロンのオザイラス(一三六〇万円)ボクサーのT2(四〇〇万円)レイ・オーディオのRMシリーズ、などがあるがいずれもかなりの大型で高額なモデルばかりである。これらと比べればどこの家庭でも受入れ出来る大きさのノーチラス801は小さいと見られるだろう。それに、三八センチ口径という大型ではあるがシングルウーファーのノーチラス801は一台一〇〇万円である。「シャッ、シャッ、シャッ」と刻まれるハイハットの九秒間の導入部を聴きながら、またぞろ価格並みの低音だろうとタカをくくっていた私は、その一秒後に叩き出された強力なキックドラムのアタックに思わず我が耳を疑った。不本意ながら、やむをえず「ドスッドスッ」という文字を当てはめて説明せざるを得ないのだが、イメージとしては「ド」と「ス」を一マスに重ねて書いて無理矢理超高速で発音させるような感じである。十分に重量感をもつ重厚な質感であり、アタック後に余分な響きを付加することを一切否定しており、タイトという一言を一〇回以上繰り返して強調したいようなエネルギーの瞬間的な放出を適度な緊張感をもって連続させるのである。まさに秒速三四〇メートルの爽快な衝撃波が体の表面をミリセコンドという極めて短時間でなぶりながら、「フッ!」と後方へ飛んでいく感じである。 「これは快感だ。実に気持ちいい!」ここ数年、音場感の美しさにスピーカーの判定基準を求めてきた感のある私は、本当に久し振りにスカッとするキックドラムの音に驚喜し、どこまでついてこられるかと次第にボリュームを上げて同じパートをリピートしていく。「参ったな、こりゃ底なしだ。」どこまでいっても破綻しないキックドラムの音に私のフロアー全体が振動し始めるのがわかる。本心から凄いと思った。これほど強力な音圧に出会うのは久し振りのことであるが、出てくる音は正確そのものである。その証拠は次の曲で明らかな実感となって確認された。 これも私がテストに度々使用するジェニファー・ウォーンズの「ザ・ハンター」(BMGビクタ−BVCP203)八曲目の「way down deep」の導入部で、ジョージ・カルデロンがゆったりとしたリズムで奏でるベースに続いてポリーニョ・ダ・コスタが叩く非常に低い音階のトーキングドラムが「ズィーンッ!」という感じで繰り返される。このタブラによく似ている重厚な音色のトーキングドラムがスピーカーシステムの低域のキャラクターをよく引き出してくれる。中程度の音量までなら他のスピーカーでも破綻をきたすことはないのだが、先程のキックドラムの音圧感にひとたび快感を覚えてしまうとついついボリュームも上がってしまう。 「参ったな、これは凄いや!」キックドラムのようにほんの一瞬のピストン運動で大音量を弾き出す演奏とは違って、ウーファーの振動板は肉眼で確認できるほど大きなストロークを繰り返す。同じ音量でこの演奏を再生すると、ノーチラス801よりも高価で有名なスピーカーのほとんどはリニアリティーを損ない、トーキングドラムの音色や解像度を損なってしまうものが多い。この連続するウーファーの巨大なストロークによって、多くのバスレフ型スピーカーでは流出する大量の空気によりポートの開口部で共振を起こし振動板の挙動にストレスを与えてしまうものが多い。なによりもポートから盛大な空気が吹き出しているのが肌で感じられるということに問題がある。風として感じられるのは音波ではなく、当然録音には含まれていない再生系で付加された余分なものなのである。ポートから排出されるこのような風を得意げにセールスポイントとして語るのは間違いである。搬送波である音波の性質を考えた場合に、エンクロージャーの内圧が高くなったようにキャビネット内部の空気を一方的に排出するということは振動板の動作によい影響を与えるはずがないのである。これらの演奏を繰り返しながら、ノーチラス801の本体とベース部のすき間から手を差し入れ、フロウポートと呼ばれているポートの開口部に触れてみた。するとどうだろう、これほどの大音量にもかかわらずポート開口部の空気はまったくと言っていいほど動いていない。言い替えれば手のひらに感じられるような風としての空気の流出がほとんどないのである。さすがにこれには驚いた。大音量ということでは、あのキノシタモニターも、世界的に名をはせるウィルソンのX1でさえも、この音量で前述のテスト曲をかけると扇風機のように盛大な風を顔面に吹き付けてきたものだった。その中でもJMラボのグランド・ユートピアに採用されたラミナー・フロウと呼ばれる長方形のバスレフ・ポートはよくチューニングされており、同様な大音量でもポート付近の風は少ない方であったのが記憶に残っている。 今思い出したが、この現象の過去最高記録では昨年話題になったプラチナムのエアーパルス3・1が、その低域用スパイラルホーンの開口部において想像を絶するエアーの排気量であったことを思い出す。まるで「バック・トゥ・ザフューチャー2」の冒頭でマイケル・J・フォックスが通称ドクの作った巨大なスピーカーを鳴らして飛ばされてしまったシーンを思い出すようであった。商品名をあげるわけにはいかないが、同様なテストを過去にも数々のスピーカーでやったことがある。ノーチラス801よりも価格的には高いのだが、盛大にエアーを吹き出していた人気モデルが複数あったことが思い起こされる。 さて、ここでノーチラス801の立体的な展開図とも言うべき図1をご覧いただきたい。詳細な写真は前述の雑誌でご覧いただくとして、ノーチラス801を理解するのに便利な雑誌には載っていない図である。 私が述べている空気の排出に関しては、この図1の一番下のPorttube/ Flowportと表示されている部分の下側に手をかざして感じたものである。このフロウポートの開口部はステレオサウンド誌No128の287ページに拡大された写真が掲載されている。なだらかな関数曲線によってポート開口部がフレアー状に形成されており、この写真には写っていないが図1でわかるように内部の開口部も同様な形状をしているのである。そして、このポートは強力なウーファーとあいまってマイナス6デシのポイントで24Hzという超低域を再生することを考えると、図1で見られるポートの全長も、推測だか三〇センチ以上あるのではないだろうか。そのポートの内側の開口部が垣間見えるのが、同じステレオサウンド誌の286ページ下のウーファーを取り外した写真である。よく気をつけてみればマトリクス構造の水平面の格子に丸くあけられた穴があり、その下の方に内側のフロウポート開口部が顔をのぞかせている。そして、このフロウポートの独特な形状という特徴のほかに、もう一つ独特のテクニックが用いられている。無数に刻まれているディンプルとよばれる細かいくぼみがそうだ。ゴルフボールと同じように空気抵抗を低減する効果があり、前述のエアーの噴出音を極少に抑えている。高速で移動する物体、逆に言えば固定されているものに対して高速でぶつかる空気によってノイズが発生する。新幹線のパンタグラフにも同様な原理から細かい突起がつけられており、騒音対策の重要な要素として知られている。これは夜行性のフクロウが滑空して獲物に接近するときに、小動物の発達した聴覚が防衛本能を刺激し逃がしてしまうわけにはいかないので、風切り音を出さないために羽根に見られる数多くの小さな突起からヒントを得たというエピソードを耳にしたことがある。 自然界には流体力学の法則にしたがった素晴らしいメカニズムが当然のごとく存在しているわけだが、B&Wに在籍するゲリー・ギーブス博士が流体力学の専門家であるということを考えればうなずけることである。B&Wは無駄な金を使っていないということだろうか。 そして、ノーチラス801の正確で強力な低域再生を可能としたテクノロジーが他にもある。マトリクス構造を取り入れたエンクロージャーデザインである。前述の286ページの写真を見ておわかりのとおり、従来のマトリクスシリーズから継承しているこの独特な構造である。 簡単に言うと、これには二つの目的がある。一つはキャビネットの内部からの補強である。これを内部に強固に取り付けることによって、あらゆる角度からの応力に対する万全の強度、そして波動エネルギーの速やかな減衰である。もう一つはウーファーの強力な背圧を最小の容積で瞬間的に減衰させてしまうというものである。音波は障害物にぶつかるたびに反射し、その度ごとにエネルギーを振動と熱に変えながら減衰していく。従って、音波が衝突する対象の数は多ければ多いほど減衰特性は急峻になるわけで、ノーチラス801と同容積のキャビネットでも空洞の場合はインパルス信号を入力すると毎秒一二〇〇回程度の反射を繰り返しながら減衰していくことになる。ところが、マトリクス構造を取り入れた場合に同様な実験をしたと仮定すると、音波が内壁の各部に衝突する回数は音速をもとにした単純計算でも一秒間に三〇〇〇回から六〇〇〇回以上にも及ぶのである。(これ以上は専門家にコンピューターを使って計算してもらわないとわかりません。あくまでも理解しやすいようにとの私の推測値です。)そして、その複数の反射面のアライメントによって、多くの反射波が同一方向を向かずに互いに拡散しあう方向に進行していけば、定在波の防止にもなる上に一層減衰効果が大きくなる。これがノーチラス801の素晴らしい低域再生を可能にしたエンクロージャーにおける第三のテクノロジー、優美なカーブをボディーに取り入れたキャビネットデザインである。これによってキャビネットを構成するパネルに平行面がなくなり、より一層マトリクス構造の効果を完璧なものにしているのである。 ノーチラスを開発したローレンス・ディッキーが考案したマトリクス構造を採用し、ノーチラス800シリーズのエンクロージャーをデザインしたのがモートン・ウォーレンであり、従来の同社のエンクロージャーの生産を手がけてきたデンマークのルードビクセン社が担当し、手作りにたよるのではなく全て金型とコンピューター制御による加工機で均一な製品を量産することを可能としているのだ。 そして、これまでに述べたエンクロージャーデザインによる低域再生のための技術は、驚くべきことにB&Wがすでに開発済みの技術であり、従来の製品で実証されてきたものであるということなのである。
第二部「aim at Nautilus」
初代の801は一九七八年に生産開始された。この当時としても特徴的な外観を有するスピーカーは以来三度にわたる改良がなされ現在もシリーズ3として人気を集めているわけだが、世界中のクラシック音楽の録音スタジオの約八〇パーセントで採用され、リファレンススピーカーとして多くのオーディオメーカーやオーディオ雑誌の試聴室で活躍するという実績を持っている。そのシリーズ通算の生産台数は三万七千台をこえるという、オーディオ史上でも類を見ない偉大な実績をもつスピーカーと言えるのである。それほどの存在感をもつ801を、B&Wは自らの手で超えるべくノーチラスシリーズの開発に着手したのである。 オリジナルのノーチラスが開発された当初、既にマトリクス801の頭部にチューブを乗せるという試みを初めており、五年以上の開発期間を経てノーチラス800シリーズが誕生したことになる。そして、モニタースピーカーの将来における革新性を考慮すれば、クラシック音楽のモニターとして求められる、低歪み、高S/N、ワイドレンジ、優れた音場空間再現性、シャープな音像定位、全帯域にわたる違和感のないスムースな音質、これに加えてポップミュージックのモニターに要求される最大音圧一二〇デシベルを超えるダイナミックレンジ、歯切れのよい音質と引き締まった低音という新たな要求がなされたのである。これらの事項をすべてクリアーしたノーチラス801は、まったく音楽ジャンルを選ばない次世代のモニタースピーカーとして開発されたのである。 そして、B&Wが開発に当たって技術的なベースとしはたのは、もちろんスピーカーの理想であるノーチラスのテクノロジーであり、マトリクス801との結合を目的としていた。それでは、このノーチラステクノロジーとは何か。それは大別すると大きく五つの要素に集約することができる。
1.テーパード・チューブ・ローディング そして、これらを800シリーズに導入するための条件も明確化された。
1.コストとサイズのセーブ これらを自ら開発の条件として取り組んだわけだが、簡単なようで困難な要素をたくさん含んでいた。わかりやすく言い替えれば次のようになる。この1.に関しては説明の必要はないだろう。業務用としての設備投資を考えても巨大であり高価すぎるスピーカーは数多くのスタジオでは受け入れられないだろうし、家庭用としては買いやすい手頃なサイズや価格として大きなセールスポイントを目標としたわけである。 2.に関しては低域にはチューブテクノロジーが使用できないことを意味している。3.では電気的な低域補正が期待できないということ。 つまり、ノーチラスではチャンネル・ディバイダーでウーファーに対する低域補正を行なっているが、800シリーズの場合にはウーファーのエフゼロにおけるQが臨界制動付近に規定される。もっと簡単に言えば電気的な手段を借りずにウーファーとエンクロージャーの設計のみで低域の再現性を確保しなければいけないということである。4.についてはノーチラステクノロジーの1.3.4.に関わってくるもので、ミッドレンジユニットおよびミッドバスユニットはピストンモーション領域だけを贅沢に使うということは難しいということ。また、チューブローディングも限定的なものとする必要があるということになる。 さて、前章でも述べているようにノーチラス800シリーズはB&Wが以前に開発した他のシリーズからのテクノロジーも応用されている。
1.マトリクス構造とフロウポートによる低域エンクロージャー これらが前述のノーチラステクノロジーと渾然一体となり次世代ノン・ジャンルモニタースピーカーの誕生となったわけである。
ノーチラス801では高能率でありタイトでパルシブな低域再生を目標としている。従って、従来にない軽量で剛性の高いコーンの開発が必要となった。まず、最初にはノーチラスで採用したアルミ合金コーンをテストしたのだが、次の理由で断念することとなった。 ひとつは三八センチ口径では必要な強度を得ようとすると重くなり過ぎることである。これまでにノーチラスを紹介している随筆は何編かあり、その中でウーファーの素材感に言及しているものがあるので記憶されている方もあると思うが、ノーチラスのウーファーに採用されたコーンは手にとって見るとたわんでしまうほどの柔軟性があったことを思い出す。強度の点では無理もないことであろう。次にあげられるのがアルミ合金コーンでは固有共振におけるQが高く十分な抑制が出来ないということである。つまり、クロスオーバーのスロープ特性を大変急峻にしなければならないということであり、同時にクロスオーバー周波数を極力低く設定しなければならないということである。これは3ウェイのパッシブネットワークでは実現不可能なことであると結論されている。 もしも、設定された重量で必要な強度が得られるのであれば、B&Wはペーパーコーンがベストであると判断し、このテーマに関して英国クルトミューラー社と共同開発を行なった。過去にはカーボンファイバー混漉コーンやシリコン・ウィスカー混漉コーンなど、数々のハイテク・ファイバー・ブレンドコーンが提案されたが、いずれも均質なブレンドの困難さや成形性の悪さなどの理由で採用はされなかった。パルプに重量比で一〇パーセントのケブラーファイバーをミックスし、オーブンタイプのノンプレスコーンとして仕上げることにより、軽量で比類のない強度と適度な内部損失を有する素晴らしいコーンが開発されたのである。 B&Wでは、まず一六五ミリ口径CDM7SEのウーファーにこれを採用し、十分な量産実績を積んだ上でノーチラス801の大口径ウーファーへの採用を決定しているのである。 センターキャップは大口径のカーボンファイバークロスで作られており、ミッドレンジとの音質的なマッチングを考慮しているという。よく見てみると、このセンターキャップはミッドレンジと同一口径であるのがわかる。細部へのさりげない配慮にも感心させられてしまう。そして、このセンターキャップは何とボイスコイルボビンに直結されているのである。通常はウーファーのコーンの中心部にボイスコイルボビンが接着され、ダストキャップとも呼ばれるセンターキャップは文字通りほこりよけ程度の役目しかない場合も多い。しかし、ノーチラス801ではエネルギーの発祥ポイントとなるボイスコイルに、センターキャップが直結されるという逆転の発想による設計となっている。このウーファーのボイスコイルは直径10センチのロングトラベルタイプで、ボイスコイル・インピーダンスは4Ω仕様(ただしDCRは3・3Ω)である。 ボビンの構成も手の込んだものでカーボンファイバーとカプトンをコンポジット化した高耐熱、高強度のハイブリッド構成である。サスペンションは保持力の高いラバーによるアップロールフリータイプのエッジと、ローリングに強く耐疲労性に優れたダブルダンパーによって構成されている。磁気回路は直径21センチの強力なフェライトマグネットを採用し、ポールピースはギャップ磁束の対象性を図ったT字型となっている。従来の経験と勘に頼ることなく、実際と極めて近似した結果が得られるコンピューター・シミュレーションを駆使した最も効率的な磁気回路の設計を行なっているのである。 フレームは新たに型を起こした亜鉛ダイカスト製で、単体重量でも12・8kg、マウンティングフランジを合わせると実に14・5kgというヘビーデューティーな仕上がりとなっている。B&Wでは、このウーファーユニットの量産に対するため、まったく新しい自動化された生産ラインをも設置したという。振動板の素材は過去に量産実績があるものを採用してはいるが、このように新規設計の大口径ウーファーを生産ラインごと設計するというのは他のメーカーでは考えられないことである。 前述のような素晴らしい低域再生は、このような量産を前提とする自信の表れからも能力を評価できるものであり、世界市場を意識した同社の取組みが、英国ポンド、アメリカ米ドル、そして日本の価格と、各々を現在の為替で比較してもほぼ同一価格に換算されることからもB&Wの戦略がうかがえるのだ。
ミッドレンジの基本的な考え方は、まずノーチラスのコンセプトからスタートしている。つまり、リバース・チューブ(逆ホーン)のことである。しかし、4ウェイではなく3ウェイにしようとすると、ノーチラス・チューブではうまくいかないことがすぐにわかってきたという。 その理由の一つは、スピーカーユニット後方に放射される音波の周波数がさほど高くなければ、音波はチューブ内部を平面波で進行し抑圧され消音される。しかし、周波数が高くなり波長が短くなればなるほど、音波がチューブ内の壁面をジグザグに反射しながら進行するクロスモード・レゾナンスが発生してしまうのである。これは大型ホーンで高域周波数にはホーンロードがかからないことと同じ原理と言える。もう一つの理由は、大きな磁気回路を有するユニットを使用すると、チューブ内壁と磁気回路のすき間がせまくなり十分な音道が確保できなくなるということである。 ノーチラスでは各々のユニットの受持ち帯域は2オクターブである。 しかし、ノーチラス801では少なくとも3オクターブ以上をカバーすることが必要になる。そこで次に考えられたのが図2の(1)で示したような球体エンクロージャーである。これはノーチラスヘッドと呼ばれるミッドレンジとトゥイーターのアッセンブリーを横から見た断面図であるが、(1)で示している球体の内部空間がそれにあたるものである。球体エンクロージャーは音波の回折が発生しないという点では理想的なのだが、残念ながら大きな問題も抱えている。吸音材をいくら内部に詰めても、取り除くことが困難な大きな共鳴が内部に発生してしまうのである。 この技術的な難関を突き破るきっかけは、B&Wの研究開発部門の若手エンジニアであるスチュアート・ネヴィルのアイデアであった。彼は球体エンクロージャーとノーチラスチューブを合体させたのである。早速、実験モデルとコンピューター・シミュレーションによって様々な組み合わせの検討が開始され、その結果スピーカーユニット後方に放射される音波を共鳴することなく、ほぼ完全に減衰させることの出来る条件にたどり着いたのである。これは既に知られている古典的なホーンの原理で、ドライバーユニットとホーンのあいだにキャビティーを設けると、高い周波数の音波を減衰させることが可能になることと同じ作用によるものである。ノーチラスチューブが球体エンクロージャーの共鳴を抑え、球体キャビティーがノーチラスチューブだけでは抑制できないクロスモード・レゾナンス領域の高域周波数成分を減衰させるのである。このエンクロージャーはノーチラス・ヘッドと呼ばれており、オランダの化学メーカーであるポリラック社が開発したマルランというポリエステル・レジン系の樹脂系新素材で作られている。強度と重量があり共振しにくいマルラン製のノーチラス・ヘッドは、最も厚い部分では六センチにもなるという設計通りの形状と寸法を正確に維持して作られており、外形は音の回折を起こさないスムーズなラウンド形状にしているのである。 ドライバーユニットは15センチ口径のウォーブン・ケブラーコーンタイプである。通常コーンタイプのユニットは周波数が高くなるにつれてピストンモーションしなくなり、ボイスコイルの動きに対してコーンの周辺部の動きが遅れベンディング・ウェーブが発生する。そして、コーン、エッジ、フレーム、と各々のメカニカルインピーダンスが異なるために振動の伝達にミスマッチをおこし、コーンからエッジへ、エッジからフレームへと伝わったベンディング・ウェーブが逆流してくるという現象を引き起こすのである。フレームから反射されるベンディング・ウェーブによって振動系内部に定在波を発生させ、これが再生音にカラーレーションを加えてしまうのである。 次に振動板の素材に着目する。B&Wのケブラーコーンは他社のファイバークロスコーンと決定的に違う点がある。B&Wのケブラーコーンはケブラーファィバーをバインダー(繊維に含浸する接着剤)で固めることはしていない。ケブラーコーンを採用する目的はコーンの剛性を高めることではないということを明確に示している。前述した定在波を自由に動くケブラー繊維の内部で分散させてしまうということが本来の目的なのである。この手法の方が、はるかにカラーレーションが少ないコーンを作れることをB&Wは既に知っていたのである。しかし、彼らはそれで満足はしなかった。定在波の発生を完全になくすには、コーンとエッジのメカニカルインピーダンスを等しくする方法を探し求めたのである。これはエッジに大きな機械的抵抗を持たせることを意味するが、大きな振幅を要求されるミッド・ウーファー帯域での使用には向いていない。これに対してもスチュアート・ネヴィルがまったく新しいアイデアをひねりだした。なんと、エッジレス構造にしてしまったのである。 そもそもエッジがなければ前述のベンディング・ウェーブも発生のしようがないというわけである。彼はエッジの代わりのサスペンションとして非常にやわらかなポリマーフォームでコーン外周を支え、ベンディング・ウェーブの折り返し点がなくなってしまい定在波の問題を、これまた逆転の発想でクリヤーしてしまったのである。そして、振動膜として見なされるエッジが存在しなくなった分コーンの動きがよりハイスピード化されるというおまけまでついてきてしまったのである。 一部国産メーカーのミニコンポにもエッジレスユニットが採用された例があるが、目に見えてわかる大きなストロークを得るためにエッジレスにしたようである。しかし、ノーチラス801のミッドレンジは、まったく逆にストロークが小さいことからエッジレスを実現できたのである。 350Hzから4キロHzまでと従来のマトリクス801よりも受持ち帯域が広く、しかも低域側にクロスオーバー周波数が下がり高い能率を要求されるミッドレンジは口径のサイズアップが図られた。公称15センチのユニットはエッジレスであり、コーンの有効面積は通常の18センチ口径とほぼ同一となっている。この高域特性改善のためにフェイジング・プラグが取り付けられており、センターキャップ・レス構成となっている。ここで興味深いのはミッドレンジのグリルネットの取り付け方法である。ノーチラスヘッドの前面には、グリルネットをはめこむような穴は一切見当らないではないか。でも、新品を開封するとちゃんとミッドレンジにはネットが取り付けられている。最初は私も外し方がわからずに悩んでしまったが、答えはステレオサウンド誌の275ページの写真を見ればわかる。フェイジング・プラグの先端に穴が開けられており、そこにグリルネットの中心にある突起部を差し込んで取り付けているのである。付属品のパッケージを見ると、先端に穴があいていないフェイジング・プラグがもう一つ入っている。グリルネットを使用しない人はネジ式のフェイジング・プラグを取外し、穴のあいていない方を差し替えて使うということになる。これもB&Wのこだわりであろう。 さて、実はこのフェイジング・プラグを回転させて取り外すと、その内部にボイスコイルを観察することが出来る。直径30ミリのショートボイスコイルはカプトンのボビンに巻かれている。磁気回路は外径90ミリのフェライトマグネットを使用した外磁型なのだが、じつはここにもB&Wの技術が生かされている。内径が一般的なスピーカー用フェライトマグネット(外径90ミリでは内径50ミリ)に比べて、内径は36ミリと極めて小さく見かけに比べて大変強力な磁束密度を発生しているのである。また、ボイスコイルのインダクタンス成分をキャンセルし、電流歪みの低減を目的としてポールピースに銅キャップがかぶせられているのも独自技術として明らかにしておきたい。。 そして、これまでの常識では考えられなかったアイデアがフレームである。ステレオサウンド誌の282ページの上部にミッドレンジユニットの裏側から見た写真があるのでぜひ参照していただきたい。 これはノーチラス800シリーズ・ヘッドの専用に型を起こしたものであり、亜鉛ダイカスト製のフレームは消音管であるエンクロージャーの特性を最大限に発揮するためユニット後方への音抜けを追求した思い切った形状になっているのである。通常の発想であれば、ユニット全体を強靱に支えるという目的がフレームに与えられ、リンフィールドの作品に代表されるような機械的強度の高まりをフレームのデザインに求めるものであった。ところが、あたかもタイヤのスポークのように交叉する数本のスティックの組み合わせでフレームをデザインしようとはだれが考えたであろうか。図2でも示しているが、本当にあきれるほどの斬新な開発力と自信とがうかがい知れる見事さである。この図2を見るとマグネットの後部に砲弾の先端を思わせる形の物体が取り付けられている。これは鋳鉄製のデッドマス兼ウェーブガイドであり、ユニットの背圧が球形エンクロージャー内部に放射された場合に、前述のような球形の内部構造を採用した原理と効果を損なわないために、マグネット後端部の平面部が定在波の原因とならないような拡散効果をねらったものである。 さて、ここでささやかな疑問である。ノーチラスヘッドにはユニットを固定するためのビスが一切見当らない。これはノーチラスも同様なのだが、図2で見られるようにミッドレンジはヘッドの中心を貫通するマウンティング・シャフトを後方へ引っ張る形でマウントされているのである。このマウンティング・シャフトは、後ほど述べることになるだれも思いつかないであろうユニークな働きをするのである。
ノーチラス801のトゥイーターユニットはノーチラスのトゥイーターをベースに、高能率、ハイパワーとトランジェントの追求をテーマとして新進のエンジニアであるグラハム・ランディックによって開発された。振動板はノーチラスと同じ硬化処理を施したアルミ合金ドームである。ここで図2をご覧いただきたい。ノーチラス・ヘッドのトゥイーターセクションには(11)の亜鉛合金製ハウジングの内部キャビティーが存在するが、雑誌ではこの内部キャビティーは何の機能も果たしていないとあるのだが、この点に関しては誤解を招かないように補足の解説が必要である。ステレオサウンド誌の281ページ左下にちょうど分解されたトゥイーターセクションの写真があるので参照されたい。振動板背面からの音波は(12)のノーチラスチューブに導かれて消音される。これは間違いではない。しかし、ノーチラスでは直径25ミリのダイヤフラム(振動板)の直径にほぼ近い開口部が直径23ミリ口径のチューブ端であるのに対して、ノーチラス801では開口部面積で約50パーセントに絞り込んだ直径16ミリ口径のチューブを使用しているのである。これはダイヤフラムに適度な背面負荷をかけて振幅を制限することとチューブの長さを短縮することが目的なのである。つまり、ノーチラスのように全帯域に消音ロッドの原理が適用されている場合はよいのだが、第一章でも述べているようにノーチラス801では部分的にしかノーチラスチューブを使用できない。もっと簡単にいえば、ノーチラスは4ウェイのすべての振動板に対して背面の負荷が一切存在せず、あたかもスピーカーが自由空間に浮いているように、理想的なハイスピードで振動板がまったくストレスを伴わずに運動することが可能なのである。ところが、前述のようにノーチラス801ではウーファーとミッドレンジの双方に関して、ノーチラスに比較した場合にある程度の妥協(これは適切な表現ではないかもしれない。新技術による新しい手法による制御と言った方がよいかもしれない。)を容認した設計のため、この下側ふたつのユニットには若干の背面負荷を残しているのである。そこでB&Wはトゥイーターにもバランス化という調整手段を施し、ダイヤフラム面積の半分が発生する音波を図2の(11)で示されたキャビティーに導き、ウーファーとミッドレンジに適応する分の背面負荷をトゥイーターに与えているということである。実に微に入り細に入りという感の配慮である。 そして、磁気回路には高磁束が得られるネオジウム・鉄・ボロン・マグネットを使用しており、CCAW(カッパークラッド・アルミワイヤー)リボン線によるエッジワイズ巻きのボイスコイルを使用している。 この五〇〇円硬貨一枚分程度の面積しかないダイヤフラムを有するトゥイーターは、ダイレクト・ラジエーターとしては驚異的な95デシベル/2・83Vという高能率を実現している。また、図2でもトゥイーターの磁気回路とノーチラスチューブが接合されていることに気が付かれるだろう。トゥイーターのギャップにはフェロ・フロイドを充填してボイスコイルのクーリングを確保しているのだが、さらにポールピースとノーチラスチューブをシリコングリスで熱結合させることにより、ノーチラスチューブを放熱器として利用しているのである。 前述のようにミッドレンジのマウントに関しても一切のビスや接着剤を使用していないという構成であったが、トゥイーターのハウジングを観察しても同様にビスや接着の跡は見当らない。これは単純かつ高精度なバイヨネット構造を採用しており、一切の工具を使用せずにユニットの交換が可能となっているのである。さすがにプロフェッショナルユースということでメンテナンス面でも配慮が行き届いているが、各々のパーツが必要かつ適度なマスと強度を持ち、加えて適度なコンプライアンスで結合していなければ再生音の劣化につながることになる。音質面で見逃してはならないハウジングに対する振動伝達の処理を十分に施していることに、それらを可能とした自信が見られるものとして高く評価したい。このトゥイーターはノーチラス801と802に搭載され、ハウジングとチューブを放熱冷却効果を必要としないプラスチック製にしたものをノーチラス803と805に搭載している。これらはパワーハンドリング特性を除けば、すべて同じスペックを保証している。ちなみにハイカットピークは一切のダンピングをしていないので、27キロHzでは約12デシベルにも及ぶ。しかし、フォールダウン特性は実用帯域においては実にスムーズであり、トランジェント特性を最重点目標として開発してきたもくろみが実際にヒアリングした上での素晴らしさとして感じられるのである。
ノーチラス800シリーズの新技術の一つにミッドハイ・レンジのデカップリング・テクニックがある。図2のなかに(4)がたくさんあるが、これに示されているのがアイソパスという新素材である。放射線工学の先端企業であるレイケムが開発したもので、コンプライアンスの高いゲル状の新素材である。ノーチラスの場合には御影石の台座と本体キャビネットのあいだ、キャビネットと各ユニットおよびロッドの接合部とゴムラバーを使ってフローティングさせていた。ノーチラス801では図2で示しているようにユニットの振動系からノーチラス・ヘッドの支持部までと、実に多くのポイントにアイソパスを使用してフローティングしているのである。 最後にクロスオーバーネットワークであるが、格納されている場所は図1の下から二番目、ステレオサウンドの287ページには写真もあるので参考にされたい。現在B&Wで生産されるスピーカーのユニットはすべて自社開発自社生産である。従って、スピーカーごとに要求される特性を各ユニットごとに反映させることが可能である。このことは、ネットワークにフィルター機能以外の複雑な各種補正を必要としないことを意味するのである。 ここで先日ここを訪れたゴールドムンド社長のミッシェル・レバション氏との会談を思い出してしまった。以前にこの随筆でも紹介している同社のエピローグを私は非常に高く評価し、今回九月二十二日から三十日の期間にフル・エピローグ・システムを導入し試聴することが出来るという機会を得たのであった。その最小単位である小型2ウェイスピーカーのエピローグ1には、なんとネットワークの素子数が一一七個も使用されているというのである。以前のアポローグのネットワークには六〇〇個以上の素子を使用していたということからも、ゴールドムンドがユニットそのものを極細部にわたりコントロールしようとした事がうかがい知れる。しかし、たった2ウェイのネットワークに一一七素子というのは強烈に私の記憶に残ったのである。 同じ2ウェイでもイタリアのソナースなどはコイルが一つだけというシンプルさだ。反対にアメリカのティールはCS5で約一二〇個、CS7でも約八〇個とネットワークで電気的な補正を施すことをセールスポイントとしていた。しかし、このティールもユニットすべてを自社製品にした新製品CS7・2では、ネットワークの素子数は前作のCS7の三分の一くらいに減らしてしまった。これもユニットを自社生産することでユニット各々の特性をコントロール出来るようになり、ネットワークにおける電気的な補正が必要なくなったと、設計者であるジム・ティール氏から直接きいたことがある。私は数多くのメーカーと直接話をする機会があるので、各々の設計方針の違いを比較することで色々なことが理解できる。特に、A社の設計者に「B社はこう言っている」逆にB社の設計者に「A社はこう言っている」と、他社の理論を引き合いに出して私が反論するとむきになって語りはじめる。私が海外メーカーのトップから技術情報を引き出すときの常套手段である。 さて、このネットワークに関してB&Wはビシッとこう言っている。 「我々はスピーカーユニットという機械的振動体が電気的振動(共振回路や反共振回路)と同じように振る舞わないことを知っている。ユニットの不都合な特性は電気的に補正しきれるものではない上に、複雑なネットワークはトランジェントを悪化させインピーダンス・ディップを作りドライブアンプの負担を大きくする。ハイエンドオーディオの世界では、このような補正によってドライブが著しく困難なスピーカーをもてはやす傾向があるが、B&Wではアンプのパワーは正しく音響エネルギーに変換されることに使用されるべきであると考えている。」 これを裏付けるようにノーチラス800シリーズのネットワークは、基本的には従来のマトリクスシリーズと同様である。これらは音質のつながり、連続性とパワーハンドリングを考慮して決定されたもので、逆に言えばこのフィルターに合わせてユニットが設計されたともいえる。 スロープはウーファー18デシベル/オクターブ、ミッドレンジは12 デシベル/オクターブ、トゥイーター18デシベル/オクターブですべて正相接続である。しかし、使用パーツはグレードアップされており、ウーファー用チョークコイルには低歪み低損失で飽和点が高いラジオメタル・コア使用のものを、キャパシターは特に低損失のポリプロピレン・フィルム・コンデンサーを使用している。アッテネーション抵抗はビシェイの板状タイプを採用し、内部配線はバンデンハル社の特注品を使用している。ノーチラス801ではダイカストのベースにネットワークが格納されており、ウーファーの背圧を直接受けないように、そしてベースにシリコングリスで熱結合させることでクーリング効果にも配慮している。ネットワークの各素子、特に抵抗は温度上昇によってインピーダンスが変化するため瞬時のインパルス応答にリミテーション効果をもたらすこともある。どこまでいっても細かい配慮はさすがと言わざるを得ない。最後に、これら細部にわたるこだわりを発揮した製品に、B&Wが設定した価格を考えていただきたい。一台百万円は絶対に安い! これから時間の経過とともに、他社に追随を許さない商品としての魅力が間違いなく大きくクローズアップされてくるはずである。
第三部「discover and recognition」
導入二日目にして発見されたノーチラス801の言語を絶する低域再生は私の好奇心を刺激し続け、何百回となく聴いてきたディスクをかけるたびに新しい発見が続き、仕事が手につかない日が繰り返されていく。そして、ノーチラス801の実物が遂に店頭に出現したということで、インターネットをはじめとするパソコン通信や口コミ、さらに偶然にも幸運な来店をされた人々など、どういうわけかお客様の数が倍増してしまい当フロアーが満席となる状況が続き、私自身がベストポジションで聴く貴重な時間を作るにも一苦労する有様なのである。やっと一人きりの時間を見つけては、ここにあるうちに出来るだけ分析をしておかなくてはと、テストに使用するディスクをむさぼるように聴き続けていた。 低域再現性のテストに重宝するソフトが二つ。両方ともだれでも知っているサントラ盤なのだが、最初はなんと「もののけ姫」である。 トラック21に「戦いの太鼓」という二分四五秒という短時間の演奏が入っている。拍子木か、あるいはクラビスか「コンッコンッ、カンッカンッ」と右側の奥の方でパーカッションのリズムが数回繰り返され、「ズドーンッ」と大太鼓の重厚な響きが重なってくる。本来私は数百万円のオーディオシステムが聴かせてくれる音を、こんな擬音としての活字で表現することに甚だ虚しさを感じてしまうのだが、雑誌とは違って私が比喩していることはすべてここで実演できることであるということを前提にお許しをいただきたい。この強烈な大太鼓の連打をパワーを上げて数々のスピーカーで鳴らしてきたのだが、あるものはポートからのエアーの排出とウーファーのピストンモーションに限界を見せて「バフッ、バルッ」というノイズに取って代わられてしまい音にならなくなる。そして、あるものはウーファーのストロークが臨界点を越えたのか、振動板がローリングしてコイルタッチを引越し「ガサッ、ガリッ」と異音が発生する。テストしている私も、ただそのスピーカーの限界点を知っておきたいという目的でハイパワードライブの実験をするのだが、これらのテストをしたスピーカーに対しても家庭用という前提をわきまえているので決して減点対象とするようなことはない。しかし、ノーチラス801が私に返してきた答えは「そんな素人を相手にするような手加減はしなくていいよ。どうぞ、あなたの耳がギブアップするまでパワーをブチ込んでくれ!」と叫んでいるようである。私も意地になってしまいボリュームを上げ続けると、震度4の地震に見舞われたごとくの振動がソファーを通じて全身に広がっていくではないか。とにかく、それでもノーチラス801の低域は破綻しない。なるほど、瞬間的な低音楽器のリアリティーはわかった。私の選曲には垣根とこだわりはない。 それならばと、二枚目のサントラ盤はジェームス・ホーナーがアカデミー賞を獲得したあの「タイタニック」である。この12トラックめに「A Life So Chenged」という、これまた二分一三秒という短い曲が入っている。トランスポートのカウンターがスタートした直後から「ズシーンッ!」という体感をともなう重低音が響き渡る。おそらくは大太鼓を音源としてイコライジングを施したものであろうが、この数秒感にわたって連続する極低音ははっきりとした脈動感を「ブルブルッ!」と全身に伝えてくる。あるものは、これだけの音圧では低音楽器の輪郭そのものをエンベローブとして脈動の起伏を埋めつぶしてしまい、唸りに近い「ブーン」という惰性的な表現にすり代わってしまうスピーカーもあるというのにノーチラス801は実にタフである。今度は震度5の余震に五〇畳はあるフロアー全体が震撼してしまった。日本中で最も数多くのハイエンドスピーカーを聴いてきたと自負している私だが、低域の再現性に関しては私の過去の記憶をもってしてもギブアップである。正直に言って、これには参った。 次は最近の私のお気に入りであるサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」(EMI TOCP-50399)から1トラックめのタイトル曲 「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」をかけ、ソプラノとテノール、そしてオーケストラの再現性を一挙にテストすることにする。よろしくない録音は、オーケストラが白い壁に映写されたモノクロフィルムのように 解像度を欠き、べったりと平面的な映像をイメージさせるものである。 まず、この点に関してはこのディスクでは問題がないことが直ちに実感される。弦楽器の相乗されるハーモニーはノーチラス・ヘッドが位置している三次元的座標をまったく意識させず、クロスセッティングした本体の両翼に色あざやかに展開していくではないか。イントロの数秒間は、あのノーチラスが聴かせてくれるスムーズな空間表現に思わず「ビューティフル!」と、ケンブリッジのイントネーションをイメージして頭の中で最高の賛辞を叫んでいた。そしてサラ・ブライトマンのソプラノが 左右ノーチラス・ヘッドの中間で頭上五〇センチくらいの空間にポッ、と表れた。聴き惚れているうちにアンドレア・ボチェッリのテノールが正確にサラとは定位を異にしてやや左側の中空に響き渡る。「ワンダフル!」と初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーの声を真似て、またもや頭の中で喝采を送る。エンディング近くなると、恐らくはパイプオルガン(もしかするとコントラバスか?)であろうと思われる重低音がとどろきはじめ、長いクレッシェンドを経てデュエットがフィナーレを迎える。今度はクィーンズ・イングリッシュを誇りとする紳士がスタンディングオベーションのためにスーッとやおら立上り「ブラボー!」と短く一声叫ぶイメージである。後は拍手喝采の情景が目に浮かぶ。 演奏にではい、ノーチラス801に送る拍手である。あの鸚鵡貝はマトリクスシリーズというロングセラー種と交配し、800シリーズという新種となって生まれ変わり、猛烈な勢いで全世界にむけて増殖を開始したのである。
実は、これから述べる事は前述のオーディオ誌による三〇ページに及ぶ特集や、本家B&Wのホームページにも紹介されていないエピソードである。これを読まれた方が実験を行なうのは結構だが、万一の事故があった場合には一切の責任はおいかねるので、ぜひ慎重に取り組んでいただきたい。 まず、最初にステレオサウンド誌の278ページ左上にあるノーチラス801の後ろ姿の写真をご覧いただきたい。本体の上部に銀色に黒い縁取りの丸いものが見えるのだが、これはミッドレンジのノーチラスチューブの後端を保護するためのキャップである。開梱すると、ここにカードがぶらさがっており、一度このキャップを外して輸送用の固定ビスを外してテールエンドの保護固定用器具を取り外すようにと指示が記されている。これを取り外すと見えてくるのが図2の(16)で示しているマウンティング・シャフトを締め付けるテンション・スクリューのネジ部分である。固定用器具を取り外した後は、もと通りキャップでふたをして使用することになるのである。実は、この(16)のネジを回すことでミッドレンジユニットを引き込んでいるテンションを変化させ、ミッドレンジの音質を調整することができるのである。従って、前述している万一の事故というのは、このテンションをゆるめ過ぎてユニットが脱落しないようにということなのである。この秘密を明かしたことでPL法の指摘を受け、メーカーや輸入元から非難を浴びてしまっては私の立場がなくなってしまうので、ノーチラス801/802のオーナーとなられた方は本当に要注意をお願いしたい。 ミッドレンジの音質がマウンティング・シャフトのテンションで変化する。この実験はデリケートであり、微細な変化を嗅ぎ分けるには条件を整備しなければならない。まず、工場出荷の初期状態は締め上げるリミットから反時計方向に3、4回緩めてあるというので、まず最初はこの状態から比較試聴を開始することにした。次に問題なのはテストに使用する曲である。実物がここにある時間も限られており、いつ一般のお客様が入ってくるかもしれないので、楽器の数が多い曲は避けて単純に聴き分けやすいものを探した。私が採用したのはコレである。大ベテランスターのトニー・ベネットが歌う「TONY BENNET ON HOLIDAY ビリー・ホイデイに捧ぐ」(SONY SRCS8267)の二曲目「オール・オブ・ミー(ALL OF ME)」である。もう相当な年齢であるにもかかわらず、鍛え上げられた喉と円熟を極めるエンターテイナーとしての貫禄もあってか、浅いリヴァーブがかけられて歌いだすトニー・ベネットの声量はたいしたものである。このハリのあるヴォーカルとラルフ・シャロンの軽妙なピアノとのデュオによるシンプルな演奏で、ヴォーカルを観察しながらミッドレンジの変化を見るには手頃な素材と言える。先ずは初期状態で何の気構えもなく曲をスタートさせる。まったくのソロで「オール・オブ・ミー!」と最初のセンテンスをダイナミックな声でトニー・ベネットが歌い上げた瞬間「パシーンッ!」と突然強烈なハンドクラップが入る。 ヴォーカルの力強さとエコーの引き方は、この上もなくスムーズでノーチラスの再現性を彷彿とさせるものがある。そして、この手拍子のリアルなこと。トランジェント特性に重きをおいたというノーチラス801のミッドハイレンジは、ハンドクラップの俊発的な立上りを正確にとらえ、にじみもしなければ半濁音的なにごりと厚みの増加もなく、見事な切れ味を見せる。恐らく他のスピーカーでは肉厚のある大男がバシンッと叩くように聴こえるかも知れないが、ノーチラス801では「パシッ」と時間が短縮された表現でハイスピードを印象付けるのである。そして、トランジェントの素晴らしさは、ヴォーカルのサ行(これに英語で相当する発音)の発音で一切のストレスを感じさせることなく、摩擦感やザラついた印象をほんの少しでも見せることなく、まったく素直なのである。ただし、大変力強いヴォーカルはそのままで、ハッと目を覚ますようである。心の中で「いいねぇ、いいねぇ。」を連発しながら、現状の音質をメモリーするために三回四回と同じ部分を繰り返す。 そして、ノーチラス801のゴムキャップを外し、十円玉を取り出して(16)のテンション・スクリューのネジ部分の溝に差し込み、グーッと力を入れて反時計方向に二回転ほどゆるめてみる。なにせ回し過ぎてユニットが飛び出してきたらば大事なので「この辺かな?」と、もう片方も同様にゆるめてみる。ここで一言。左右のテンション・スクリューのネジの手ごたえはかなり違いがあり、回しはじめに相当力を入れなくてはならないものと、あっさり動いてしまうものがあり、回転中の抵抗感も違いがある。本来メーカー側が音質調整のオプションとして公開しているわけでもなく、設計段階でもこのネジの感触に関しては配慮していないので、どうかおおらかな気持ちで理解して頂きたいポイントである。 さて、ほどほどのチューニングに一応の納得をして早足で席に戻り、トランスポートのリモコンに手をかけて再度スタートさせた…。 「アレッ!」と、微妙な変化を察知して、すぐにもう一度リピートする。「ハハァ、なるほど」と発見から認識へとリピートするごとに変化の方向性が明確にイメージ出来るようになってきた。周波数特性、分解能、ダイナミックレンジ、定位感、などなどと音を表すオーディオ用語は数々あれど、雑誌などで使われるこれらの単語に関して言えばほとんど変化はないと言えるだろう。そして、同時に各種イコライザーやプロセッサーによる電気的な手段で変化させたものとは明らかに違うのである。 テンション・スクリューをたった二回転ゆるめただけなのだが、トニー・ベネットのヴォーカルから緊張感がうすれる感じなのだ。極端な言い方をすれば、柔軟性を持つ方向へ発音の一字一句のメリハリを揉み解したように変化しているのである。しかし、面白いことにヴォーカルの口元がふくらんでしまい鮮明さを失うということはない。「これはイイッ!」 ということは締め上げていけば逆の結果になるのだろうか。そう思いつくと私はすぐにノーチラス801に走りよっていった。同じようにキャップを外し、適切な力加減をしながら時計方向に締められるだけ締めつけてみた。この時、うかつなことに何回転まわしたかを正確には数えていなかったのだが、リミットがカチッとした手ごたえで歯止めがかかるわけでもなく抵抗感が徐々に強くなっていくので、これまでのカウントはあまり意味がなかったように思われる。この時点ですでに音質変化を予想しながら早足で席に戻る。さて、と腰を落ち着けて、ひとつ息を吸いこんでからスタートする。「オール・オブ・ミー!」と歌いはじめた瞬間に、自分の予想があまりにも的中したことに思わず笑いがこぼれてしまった。大変単純な表現だが、たった一言で言い当てるとすればこうだ。「シャキッ!」とするのである。さらに一層ヴォーカルは鋭さを増していき、正直言ってサ行は多少の刺激成分を含有するようになる。エコー成分の残響時間が多少長引くような微妙な違いも発見された。 ハンドクラップは「バチッ!」という印象に変化し、ピアノは鋭さをまして高い音階にアクセントを残すようになる。しかし、聴きようによってはスタジオ録音のポップミュージックなどで、シンセによる打ち込みのリズムの切れ味にはカンフル剤となってくれる期待感もある。 この変化には聴き続けるのに忍耐を要することになり、再びスピーカーに走りより今度は反時計方向に四回数えて回してみた。当初の音質にほとんど近似するのだが、ヴォーカルのはりつめ方は意識しない程度に緩和され、刺激成分がウソのように消え去ってくれたことが大きくプラス方向に印象を塗り替える。「ウーンッ、このへんだろうな。」と私自身が納得できるポイントを特定し、クラシックの弦楽器を数枚連続してかける。「アレッ、こりゃいいや!」実験をはじめる前に比べて弦楽器の余韻が空間へ浸透していく自然さが際だち、ノーチラス・ヘッドの左右両翼、そして前方の奥へと見上げる感じのホールエコーの展開がスムーズに領地を拡大して広がっていく。スーッ、と胸をなで下ろす安堵感が肩の緊張を拭い去り、モニタースピーカーであるはずのノーチラス801がリラックスした観賞の時間を提供してくれるのである。 感心すると同時にノーチラス801のお化粧直しが大きな可能性を秘めていることを確認すると、ふと私はあることを思いついたのである。 今をさること一七年ほど前になろうか、当時ナカミチが輸入をしていたB&Wの初代マトリクス801が店頭にある時のことだった。その当時から私は販売を手がけていたのだが、当時の初代801を鳴らしていた時に印象に残っていることがある。単純なことだがユニット前面のグリルネットを外してしまうと素晴らしく音場感が改善されたのである。 そういえばノーチラスにもグリルネットは一切つけられていない。 精巧なバイヨネット方式で組み上げられたノーチラス・ヘッドのトゥイーターにも図2の(15)で示す保護用ネットが取り付けられているが、これはマグネットで吸引されながら軽くはめこんであるだけである。反時計方向に九〇度も回さないうちに、ポトリと取り外すことが出来る。 さあ、この状態ではどうだろうか。更なる変化への期待を込めて、もう一度「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」をかけた…。大当たりである。 イントロの弦楽器は更に一層のみずみずしさを得て滑らかさを増し、標準レンズから広角レンズに変化したようにオーケストラの存在するステージがパッと袖を広げるように拡大される。サラのソプラノが発するエコーの滞空時間は一・五倍くらい長くなったように思われ、ヴォーカルのフォーカスポイントを中心とする三次元的な余韻の拡散がたまらなく魅力的に変身する。これを体験すると、もう保護ネットをもとに戻した音は聴けないだろう。ノーチラス801はたった一枚のネットキャップの存在自体を通して、自らの美しさをオーナーに理解してほしいと使用上のテクニックを要求してくるのである。 そして、だれがやってもその本質を損ねることのないメカニカルなチューニングを可能としたノーチラス801は、様々な音楽ジャンルを指向するあらゆる人々に適応するための順応性をもっていると言える。 この能力は、ノーチラスという種の保存と繁栄を設計段階で意識したオーディオ的遺伝子の自己保存の摂理に他ならない。したたかなノーチラスは、あらゆるオーディオファイルの趣向に同化することによって、自らの種を自己保存する手段を手中にしたのである。 ノーチラス801を生み出したB&Wは、新技術、新素材、新生産技術に対して臆することなく挑戦し、二〇〇を超える新部品を採用し、金型や生産設備に約一〇〇万ポンド(約二億四千万円)に及ぶ投資を行なった。これだけの先行投資を行なえるだけの量産を想定しているという自信は、過去の実績から見てもうなずけるものであるが、実際の商品を聴くにおよび過去に経験がないほどのコスト・パフォーマンスを認めざるを得ないのである。これは将来の多大なる量産計画による最大の恩恵であり、プロとコンシュマー両者の世界市場を相手に成功を収めたB&Wのスケールメリットに他ならないのである。 エピローグ 今回は第三部において「増殖」と「自己保存」という表現を用いている。実は、最近読んだ日本人作家のモダンホラー小説があるのだが、その中でかわされる一説に生命の定義を言い当てる会話があった。 私は、その答えを読み進む前に自分なりに考えてみたのだが、どう考えてみても生命の定義とは「息をしているもの」「動いているもの」「心臓が脈打っているもの」としか思い当たらなかったのである。ところが、本編の中では「自己保存と増殖」が解答として書かれており、軽い衝撃をもって記憶することになったのである。つまり、ウィルスやバクテリアなど細胞レベルでの視点から生命を定義しているのである。 この三部作の小説を読み終えるという時期に今回の随筆を書き始めており、ノーチラスという種が様々な技術革新により新種である800シリーズを生み出し、これらがプロフェッショナル及びコンシュマーを問わず世界中のオーディオ市場に爆発的な勢いで増殖していくであろうことが強い確信を持って予測されるのである。そして、数万台という規模の量産実績を残しながら、近代のオーディオ史に名を残すことによって種を自己保存し、来世紀には更に大きく進化を遂げていくという未来像が見えてくるのである。 こうした連想が、あたかもノーチラスを一個の生命体として比喩し、その鸚鵡貝が種の繁栄を実現していくというストーリー性から、産みの親であるB&Wの開発力に賛辞を送るという私の結論に無理がなければ何よりであると考えている。 本文中では、すでに雑誌で解説されたことと極力重複しないように心がけたつもりであったが、書き終えてみるとなかなか思うようになっていない事が悔やまれる。しかし、これはあくまでもノン・フィクションであり私の実体験である。すなわち、実演として皆様に証明できる事実であるということに真実の重みを感じとって頂き、すべてのノーチラスシリーズを皆様の耳で吟味して頂きたいと願うものである。 その意味でも、恐らく日本国内で唯一という試みになるであろうが、 オリジナル・ノーチラスをはじめとして総てのノーチラスシリーズを当 サウンドパーク・ダイナに展示し、全国のオーディオファイルの期待に応えようと決心し「ノーチラス宣言」として実行を約束するものである。ノーチラスの国内販売記録を更新中の私は、当店のすべてを使ってこの「ノーチラス宣言」を実行し、ノーチラス全シリーズで国内最高の販売実績を勝ち取ることをビジネス上での目標とするものである。 「自己保存と増殖」を繰り返すための母体となったノーチラスは既に私の手元にある。増殖の起爆剤となるノーチラス801は、全国にさきがけて国内初の展示品が九八年一〇月下旬には手に入る予定である。 ノーチラス・ウィルスに感染した男が、次なる感染者を好意と期待をもって求めている。感染者の数が百から一千に、一千から一万に、そして一万の数倍へと拡大するにつれて、日本のオーディオシーンも大きく変貌していくことだろう。その変貌の先に見えてくるのは、欧米各国と肩を並べるであろうステレオフォニックへの評価基準の引き上げ現象とスピーカー以外のエレクトロニクス・コンポーネントへのより高い要求である。二十一世紀へ向けてのオーディオの進歩は、ひとえにノーチラス・ウィルスの増殖にゆだねられているといっても過言ではない。今、そのノーチラス・ウィルスの最初の細胞分裂がここから始まろうとしている。 【完】 ノーチラス・ウィルス発祥の宿主 川又利明 |
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