第二十七話「傑作の前兆」





第一章『 It's a SONY 』

 1995年8月7日午前11時。既に、この時間でも思わず立ちくらみを覚えるほど
の熱暑が東京の街並みをすっぽりと飲み込んでいた。先週は家族を引き連れて伊豆高原
で夏休みを取っていたこともあり、品川駅前に降り立つと夏の日差しにつき物の騒々し
い蝉の鳴き声が幻聴となって蘇ってくるようだ。目指すは五棟のビル群からなり約1,
500人が勤務するというソニー株式会社の芝浦テクノロジーセンター、同社のオーデ
ィオ部門が研究開発を行っている本拠地である。3年前のオーディオフェアーで参考出
品された同社のコンデンサー型スピーカーが今年いよいよ製品化されるということで、
ある事情も手伝って一般公開の前に単身で聴きに行くことになったのである。早速受付
で記名をして外来者用の名札を付け試聴室に向かう。そこで同社のホームAV部門オー
ディオ二部・商品設計二課の茶谷郁夫課長、道下政美係長、佐藤浩氏、国内営業部オー
ディオ営業部付きの山本順光氏という皆様にお出迎え頂いた。実は、この日に丁度ご不
在であった同課のもう一人のスタッフである佐藤和浩氏が、前述の「ある事情も手伝っ
て」という経緯の張本人なのである。お陰様で私が開催している毎月の試聴会は大変ご
好評を頂いており、回を重ねる毎に皆様のご支持を頂き愛好家の輪が広がっているので
ある。この案内状の発送部数も年内には一千部に達する拡大を見せている。昨年からだ
ったろうか、熱心に毎月この試聴会に通ってこられた青年が、この佐藤和浩氏だったの
である。名前よりも先に顔を覚えてしまった私が、ある日話しかけてみたらソニーでス
ピーカーを作っているというではないか。しかも、海外のハイエンドオーディオに対し
ての知識と情報、そして何よりも、それらの外国製品に対する理解を私以上に持ってお
られる。「こんな人が作っているスピーカーだったら、是非聴いてみなくてはいけない
。」と思ったのである。これまでにも、海外メーカーのトップの人達に出会うたびに、
その人となりを見て、その会社が作り出す製品に対して信頼感と期待感を膨らませてき
た。そんな私にとって、この佐藤和浩氏との出会いは、まさにソニー製オーディオコン
ポーネントの再評価をするきっかけとなってくれたのである。それに、今回のスピーカ
ーの開発に当たられた4名のうち3名が、佐藤和浩氏の27歳を筆頭に30代前半と大
変若い技術者であるということにも関心が持たれた。この随筆でも過去に何回か触れた
ように、私は日本メーカーの設計者に対して次のような要望を持っている。「海外製品
に対しての広い視野と最新の情報を取り込み、家庭用の再生装置として現代の日本人が
求める感性を理解し、これらの時代的な変化を察知して海外製品との共存共栄出来る音
質表現を模索して欲しい。」こんな私の身勝手な言い分に答えてくれそうな期待感が、
佐藤和浩氏との会話のなかで次第に高まってきたのである。

第二章『ソニーというオーディオ企業』

 これは意外と知られていない事実なのだが、昭和40年頃まで、マッキントッシュ、
トーレンス、オルトフォン、KLH、といった海外のオーディオ製品を日本に紹介し販
売していたのは、他でもないこのソニーだったのである。また、よく笑い話しとしてお
話するのだが、私も仕事がら様々な職種のお得意様がある。しかし、この世の中の数あ
る職業の中でも、この職種の人達だけはお付き合いがないというものがある。それは、
「政治家とヤクザ」である。従って、その多くの顧客の中には、古くからお付き合い頂
いているソニーの社員も多い。その方々に、以前から伝統的に共通していることが一つ
ある。トヨタ、ニッサンといった自動車業界では考えられないことだが、こと高級オー
ディオに関してはソニーの自社製品を使っている人は皆無といってもよいくらいにお目
にかかったことがない。もっとも、日本の他メーカーでも、オーディオを趣味にしてい
る人々は大同小異の傾向である。「趣味は趣味、仕事は仕事」と割り切って考えられて
おり、自分の金で自分の好きな音を楽しみながら仕事にも反映させていく、という「音
の勉強に対する自己投資」という解釈もあってよいと思う。もちろん、日本の大手メー
カーの社員もサラリーマンである以上は、自社製品で認めるものがあっても高くて手が
出ないという現実的な選択も大いにあると思う。さて、今回のソニー製フル・コンデン
サー型スピーカーの開発は、当時は取締役社長であり、現在は取締役会長に就任された
大賀典雄氏の希望によって約四年前から着手された。その大賀氏も前述の例にもれず、
英国のクォードESL、現在では米国マーチンローガンのコンデンサースピーカーを愛
用中ということである。大賀氏ご自身は、声楽でバリトンを歌うことでも知られており
、当然オーケストラを中心としたクラシック音楽の再生音には強い関心を持たれていた
。採算ベースだけを考えて商品化を行う、そんな姿勢が日本企業の習性であると思った
ら大間違い。音楽とオーディオに対する情熱が今回のようなプロジェクトを発進させた
というのは、むしろ海外メーカーのトップが決断するモノ作りの本能に近いものを感じ
るところがある。その大賀氏から直接の命題を仰せ使ったのが、ホームAV部門オーデ
ィオ二部・商品設計二課の課長であり主任研究員の前田敬二郎氏であった。しかし、大
変残念ながら白血病に犯された前田氏は、昨年志し半ばにして遂に帰らぬ人となってし
まったのである。その意志と熱意を継いで、先にご紹介した同課の茶谷氏をはじめとす
る皆さんが、ソニー株式会社の創立50周年モデルとして完成にこぎつけたのである。
ちなみに、1996年5月7日がソニー株式会社の創立50周年記念日であり、今年の
秋から発売するモデルをその記念碑としていくという事である。さて、茶谷氏にソニー
・フルコンデンサーの開発意図が、従来からあった他社のコンデンサースピーカーに対
して、どの様なところにあるのかを聞いてみた。「大変単純な目標ですが、なかなか実
現出来なかった課題です。ハイブリッド構成(低音再生にコーン型のダイナミック型ス
ピーカーを組み合わせる方法)に頼らず、全帯域を文字通りフル・コンデンサーで再生
するというものです。しかし、誤解のないようにお願いしたいのはソニーが手がけたか
らと言って、コンデンサー型の原理から発祥する再生音圧の限界点を飛躍的に向上させ
た、という様な型破りでオーバーなものではありません。むしろ、コンデンサー型の原
理には忠実に従いシンプルな構成によって、従来の完成度不満を感じるフルレンジ・コ
ンデンサー型、あるいはハイブリッド構成のコンデンサースピーカーでは満足出来ない
、そんな人々のために開発したものです。」なるほど、お話を耳で伺いながら、すでに
私の目はフル・コンデンサーの実物に吸いつけられていた。

第三章『正攻法の選択が生んだ奇手』

 高さが2メートル近くある物が多い海外製のプレーナー型スピーカーの大きさから比
べると、ソニーのフル・コンデンサーは明らかに日本的サイズである。横幅も800ミ
リ程度、高さも1,535ミリ、と私の胸元くらいでほとんど威圧感はない。正面から
見て、トゥイーターが取り付けられている内側は垂直にカットされているが、外側は上
に向かって幅が狭くなる片側が丸くふくらんだ台形をしている。私が聴かせて頂いた試
作機はラワン合板で出来ており、厚み0.5ミリのウォールナット仕上げのツキ板で覆
われていた。ただし、ユニットが取り付けられている55ミリもの厚みを持たせた長方
形の板材は合板だが、このラウンドしている外側の湾曲部分は無垢材から削り出してい
る。最終的にはラワン合板にするか、もう一つの素材候補である米松合板を採用するか
どうか、今後決定されるということだがウォールナット仕上げの外観には変更はない。
さて、肝心なユニットだが、独立した3ウェイ構成のすべてに化学的な分類でいう、ポ
リエチレン・テレフタレートと呼ばれる6ミクロンの超薄膜が採用されており、音響工
学的に言って相当面積に存在する空気の質量よりも軽い素材であるという事だ。この処
理方法は企業秘密ということで教えてはもらえなかったが、フィルムの厚みの100分
の1の厚みで、特殊な導電材を化学処理してコーティングしている。ちなみに、他社の
場合には8ミクロンから16ミクロン程度の薄膜を使用しているものが多い。また、こ
れに施す導電材も多くは酸化錫などを含む導電塗料をスプレーで吹いて塗布するような
原始的な手法をとっているところもあり、時には薄膜自体の質量よりも重たい層になっ
ているものもあるようだ。ユニットは縦方向に長い長方形で、各帯域が上下に一対ずつ
6個が取り付けられている。トゥイーターは幅二五ミリで高さが500ミリ、ミッドレ
ンジは幅70ミリで高さが500ミリ、ウーファーは幅270ミリで高さが500ミリ
、というのが1ユニットの振動面積で、これが縦方向のインライン状に二列並んでいる
。このウーファーは両チャンネル合わせて単純計算すると、38センチ口径のコーン型
ウーファー七個分に相当する振動面積を持っていることになる。コンデンサー型である
ので、これらの面積の振動膜を固定極が一定のギャップをもって挟む事になる。この固
定極となる黄銅製パンチング・メタルは琺瑯のような表面仕上げがなされ、外界との環
境的な絶縁によってシステムからのノイズ発生を絶つという大きな役目を負っている。
クォード社のESLは梅雨時にはジーというノイズが発生してしまい、製造元もそれを
認めているが対応は不可能とされていた。米国のマーチンローガンも、エアコンの風を
直接受けるとコンディションが損なわれるという。まず、国産である以上は自国の気候
風土による環境変化に十分な配慮をしたというのは、当然でありながら大変難しい課題
をクリヤーしたということで評価に値する。私としても、安心して販売出来るものであ
るのは大変ありがたいことだ。そして、3ウェイ構成のクロスオーバー周波数は、下か
ら600Hzと4キロHzに設定され、オクターブ当たりマイナス18デシベルという
スロープ特性を持つネットワークで帯域分割されている。凝っているのは各帯域の高電
圧バイアスの設定である。トゥイーターは2,000ボルト、ミッドレンジは4,00
0ボルト、ウーファーは8,000ボルト、と帯域によってバイアス電圧を独立させて
いるのである。しかも、固定極と振動膜のギャップも、トゥイーターでは前後の片側に
0.3ミリずつ合計0.6ミリ、ミッドレンジは一ミリずつ合計二ミリ、ウーファーは
5ミリずつ合計10ミリ、受持ち帯域別の細分化が行われている。この配慮によって高
域の再生帯域は、一枚の振動板で駆動されるコンデンサー型では至難の技とされている
40キロHzまで確保されているのだ。さて、この様な概要をご理解頂いたあとで、こ
のソニーが開発したフル・コンデンサーの面目躍如たる最大の特徴が、独自の低域再生
法にある事を特筆しておきたい。一般的に言って、ダイナミック型スピーカーの振動板
のように大きな振幅が得られないため、中・高域に対して低域の再生音圧が低下し低能
率となってしまう。そこで、どうしても低域の再生音圧を高める、ということがシステ
ム全体の能率の向上のために必要となってくる。更に、コンデンサー型スピーカーで超
低域まで再生帯域を拡大しようとすると、必然的に次のような問題に直面する事となる
。まず、一般的なコーン型のウーファーに対して、振動板の質量が比較のしようがない
くらいに極小であること。これは、オーディオ信号に対するトランジェント(過渡特性
)が大変素晴らしく向上するというコンデンサー型最大の利点を生むが、低域再生に関
してはそれ自身のエフゼロ(最低共振周波数の意・単純に言えば低域の再生限界として
理解しても間違いではない)を引き下げることが難しいという相反する一面がある。そ
こで、多くのプレーナー型の場合には、低域ユニットの振動面積を  大きくして低域の
再生音圧を引き上げようとし、同じに音響的な負荷(アコースティック・インピーダン
ス)を大きく取ることによって低域再生の限界点を引き下げようとする。ちなみに、一
般的な箱に取り付けられたダイナミック型スピーカーの場合には、ユニットの後方に存
在するエンクロージャーの容積や、バスレフポート、パッシブラジエーター、バックロ
ードホーン、などの手段によってエフゼロを調整することが可能であり、低域の再生レ
ベルもエンクロージャーの助けを借りることが出来るので小型化しやすい。反面、エン
クロージャーの設計が独特の個性となって特有の質感を演出してしまう点が、以前から
箱の音として指摘されている問題点となっている。それでは、単純に言ってコンデンサ
ー型をはじめとするプレーナー型スピーカーは、ひたすら低域ユニットの振動面積を大
きくしていけば良いのかというと、当然ながら家庭用としての大きさの許容範囲もあり
、いくつかの課題も発生してくる。これは他社のコンデンサー型スピーカーにも共通す
ることだが、ソニーのフル・コンデンサーの場合にはウーファーの動作を高い周波数に
向かって、オクターブ当たりマイナス18デシベルというスロープ特性で中・高域をカ
ットしながら600Hz以下を再生させようとしている。音波の波長が3.4mもある
100Hzや倍の6.8mもある50Hzは、単純に言って1秒間に振動膜が100回
50回と前後に振動するわけだ。そして、仮に600Hzの音を例に上げれば、波長が
0.56m程度で、文字通り1秒間に600回振動しなくてはいけない。低域再生を重
視して振動面積を増やすということは、目標とした特定の帯域だけを再生するならばよ
いのだが、前述の数値を例に上げれば、ひたすら振動膜を大きくしていった反作用とし
て600Hzの再生に肝心なトランジェントが伴わず、正確な倍音の表現に支障をきた
す事となってしまう簡単な実験で、団扇をゆっくりと大きな振り方であおぐ分には抵抗
は感じないが、同じ振り方で激しく高速であおごうとすると強い空気抵抗を感じるのと
同じ理屈だ。また、低域の楽音でもオルガンやコントラバス、ウッドベースのように継
続した音波を比較的ゆったりと発するものと、キックドラムやエレクベース、シンセサ
イザーによるプログラムを打ち込んだ鋭い立上りの低音など、低域の再生には倍音を多
く含んでいるがゆえに、重厚な脈動感を捕らえるべきスピード感も求められるのである
。こうした難関をクリアーするために、ソニーが採用した手段とは何か。両チャンネル
の振動板の裏表を合計すると38センチ口径のウーファー七個分に相当する振動面積を
持たせてしまった、幅270ミリ高さが500ミリの振動膜を内蔵するアッセンブリー
を何とそっくりもう一つ貼りあわせる形で後方に取付けダブルウーファーとしてしまっ
たのだ。正面から見ると1枚に見えるウーファーの振動膜が、その後にちょうど1セン
チの間隔を隔ててもう一つの振動膜があり、同一ユニット二つが抱き合せに取り付けら
れている形だ。このシステム全体で使用されているウーファーの振動板は全部で8枚と
いうことになり、この一対の振動膜は外界とは小さな通気孔で結合された空気層を挟ん
でおりパラレルで同相駆動されている。誤解のないように念を押すが、この通気孔はバ
スレフのような低域輻射を意図したものではない。航空機に乗せて輸送を行う際、気圧
変化によって振動膜が破れないようにと単純な理由からである。話しをもとに戻すと、
プレーナー型の場合には前述の音響抵抗の考え方として当然振動膜の後方にも空気が存
在しており、振動板の負荷としては前後両方を考慮しなくてはならない。リスナーの眼
前にある振動板から聴こえてくる音も、実は前後両方の負荷によって得られた低音を聴
くことになる。しかし、手前側の振動板の後方にあるはずの負荷が見かけ上無くなるた
めに、先程の団扇の例で言えば高速で振り回しても空気抵抗を感じない状況が得られる
というわけだ。従って、同面積で振動板が一枚だけの場合に対して、約6デシベルの再
生音圧の向上を実現させた。更に、前述の課題点の逆説的な効用を生み出しており、何
と30Hzを余裕を持って下回る超低域までのエクステンションと、ミッド・バス帯域
に十分なトランジェントを与えることに成功しているのである。もちろん、この抱き合
せとなった一対のユニットの微妙にして完璧なエフゼロ調整は、この手法を駆使する上
で欠かすことの出来ない条件となっている。それでは、各ユニットごとのエフゼロは、
前述の面積と音響インピーダンス以外の条件では、一体何によって決定されるのか。そ
れは、コンデンサー型の場合、少なくとも振動膜のテンション(貼り付けるときの張力
の調節)によって左右されることが多い。テンションを強めて張っていくと高域の再生
には有利になるがエフゼロも上昇する。テンションを緩めていくとエフゼロは低下する
が、度が過ぎると振動膜が不規則な動きを始めて変調歪が増加してしまう。言うまでも
なく、この調整も高精度のうちに処理されているという。そして、振動膜二枚を擁する
片側上下二つのウーファーには、このエフゼロを更に拡散させる効果を狙ってユニーク
な使い分けがなされている。通常、パワーアンプから出力されたオーディオ信号は、ス
ピーカー内臓のネットワークを通過して各帯域に分割される。コンデンサー型の場合は
、この後で高圧バイアス回路であるトランスを経由して固定極に電位変化をもたらすこ
とになる。この際、トランスのインダクター成分と振動板の前後に存在するキャパシタ
ー成分を応用した共振回路に、トランスからの出力に対して抵抗をシリーズで挿入する
ことによって定数の変化を与え、ネットワーク以外のハイカット・フィルターを下側の
ウーファーにかけている。この作用によって、2本のウーファーは異なる高域特性を持
つことになり、スタガー動作をするように下側のウーファーを駆動している。この工夫
によって、エフゼロの4オクターブから8オクターブ上に発生する周波数特性の谷を埋
めることが可能となり、120Hzから240Hzに相当する低音楽器群の充実した再
生を実現している。このエフゼロと逆特性となる気になるインピーダンス・カーブだが
、簡単な話アメリカのアヴァロンと大変酷似しているそうだ。つまり、30Hzから4
0キロHzにわたって所々に緩やかな起伏はあるものの、ほぼ平坦であり大きな山谷は
なく、最低でも3オームを維持しているとの事だ。パワーアンプからすれば、仕事のし
やすい相手であることは間違いない。思えば、英国のクォード社が世界初のフルレンジ
・コンデンサー型スピーカーを発表したのが、何と私がこの世に生まれた1957年で
ある。これから数年の後、第二章の冒頭でご紹介したようにソニーは海外のオーディオ
製品を輸入し始め、KLHなどを参考としながらコンデンサー型スピーカーの開発をし
ていた。同時期には、国内メーカーのいたるる所で同様な取組みがなされ、スタックス
は自社ブランドでの製品化に成功した。しかし、ソニーを含むその他のメーカーは商品
化の容易さから、ダイナミック型のスピーカー作りに移行し、コンデンサー型の研究開
発を断念していたのだ。この、ソニーにおける昭和40年前後のコンデンサー型スピー
カーの研究論文は現在も同社に保管されている。30年後の現在においても、立派に今
回の製品化につながる基礎研究の土台となっていたことをお知らせしておきたい。創立
50周年を迎えようとするソニー株式会社の30年前の悲願が、私と気さくに語らうよ
うな若者たちの手によって完成される。そんな、日本人の手になるソニーのフル・コン
デンサーを、私の手によって皆様にご紹介したい。こんな気持ちを、私の職性と性格か
らお察し頂ければ何よりである。

第四章『設計者の本領』

 お通し頂いた試聴室は、おおよそ四〇畳程度はあろうかという大きめの部屋である。
スピーカー後方の壁面から1.5メートルほど手前に、そのフル・コンデンサーが1セ
ットだけ置かれている。床には結構毛足の長い絨毯が敷き詰められており、私が話す肉
声の帯域はライブであるが、壁二面が二重のカーテンで覆われていることもあり、低域
と高域の両端ではかなり吸音されているのが一聴してわかった。スピーカー本体は試作
を繰り返してきた末の物であろうか、ユニットの周辺部にはケーブルも露出しており悪
戦苦闘の後がうかがえる。その各ユニット周辺の後側は、分厚い板材がえぐり取られて
おり後方への放射がスムースに拡散されるように配慮されていた。後日うかがってわか
ったことだが、このスピーカー本体のパネルそのものは、開発当初に作られたものをユ
ニットの開発を行いながらずっと使い続けてきたもので、量産に当たっては更に改善さ
れた本体パネルを採用するということであった。つまり、この日聴かせて頂いたのは、
現時点における試作過程の最新の姿であり、ユニットの開発の最終段階のもので、これ
から最終的な仕上げに向けて変更点が多々残された状態ということだ。さて、過去の経
験から、ここをコンデンサー型で聴いてみたいという曲で、聴きなれているCDを持参
してきた。私が日頃聴いているシステムを意識してご用意頂いたものか、マークレビン
ソンのプリアンプとクレルのパワーアンプ、そしてソニーのCDP−R10のペアでセ
ッティングされている。まず、弦楽器を中心としたクラシックで聴き始めた。ハッと思
い付いた第一印象は、「アレッ試作段階の割には、落ち着いているじゃないか。」と思
われるほど、既に感性の領域といっもよい安定感が感じられるのだ。この感想を裏付け
るものとして、各ユニットのつながりに誇張感や強調感と言ったアクセントは皆無であ
り、楽音の質感を大変自然に表現しているのである。コンデンサー型以外の動作原理の
物も含めて、ダイポール型の放射パターンを持つスピーカーを一つの集合体として考え
て、過去に聴いた何種類かのプレーナー型スピーカーで見受けられた、ヒステリックに
けばだつような印象がないのである。「これは長時間聴いてもいいなァ。安心して聴け
る。」これが、大貫妙子のヴォーカルを聴きはじめるころになると確信に変わる。イン
トロでのウッドベースがふくらみもせず、見事にコントロールされている。この曲は、
ちょうどジェネシスVで聴いたときに膨張したウッドベースとなり、サーボコントロー
ルアンプのパラメーターを変更した経験のあるサンプルとして記憶に新しい演奏だ。「
コンデンサー型にあって重量感とスピード感の両立か。ウーン、何だか期待出来そうだ
な。」と、後ろで控えているソニーの社員の皆さんに気どられまいと、口元が緩んでし
まう表情を見られないようスピーカーに顔を向けたまま聴き続けた。次に、これもジェ
ネシスVの試聴で使った曲で、オルガンのスタッカートとメッゾソプラノのデュオによ
る壮大な空間表現を聴く。「ウン、これはジェネシスVの勝ちだな。でも、待てよ。去
年のテクニクスのように部屋とシステムが変わってから、あれほど評価が変わってしま
った事もあった。こいつを私のフロアーに持ってきたとしたら、果たしてどんな可能性
を見せてくれるんだろうか。」色々と考えをめぐらせているうちに二七曲も聴いてしま
った。量産に向けた最終試作を九月末頃には間に合わせるという営業の山本氏の力強い
ご返事を頂き、お礼を申し述べて炎天下の品川駅へと向かったのである。あれから一週
間後の8月13日、九州に出張しておられた佐藤和浩氏が私の元を訪ねてくれた。お気
の毒なことに、製品の仕上げに向けてのツメで夏休みも返上だということだ。さすがに
ソニーの本拠地に乗り込んでいった日は、いつものペースで好き放題の注文を付けるの
も憚られたが、自分のホームグラウンドでは遠慮なく設計者本人である佐藤和浩氏に私
の所感をぶつけることが出来た。「コンデンサー型で一番おいしいはずの、あの余韻が
少なかったよ。」「ええ、そうなんですよ。吸音性が高いあの部屋の特性なんですよ。
いつだったか、違う所で鳴らしたら高域が出過ぎたのに驚いたくらいです。あの試聴室
も改装する必要があると思っています。」と、佐藤氏は即答。「低域のズーンと余韻を
引くはずのキックドラムがドシッで終わってしまって、あっさりし過ぎだったけど。」
と、私は続けてきいてみた。「それも承知しています。パネル構造の本体が強度不足な
のが原因です。あの日お聴かせしたのは三年間使い込んできた初期型の試作パネルなん
で、量産モデルは大分強度を高めた設計になっています。」なるほど。「ユニットの固
定極に対しては、企業秘密という琺瑯のような絶縁処理がされていますね。外側から手
で触れても安心ですが、振動板と向き合う内側はどうなっていますか。」と、見えない
所も聞いておきたかった。「よくぞ聞いてくれました。これがコンデンサー型として最
も他社に誇れる点なんです。クォードの場合には固定極が剥き出しになっているので、
バイアス電圧や増幅した音楽信号電圧の絶縁は振動膜と固定極の間にある空気の絶縁耐
圧に依存しているわけです。従って、湿度の影響によって空気自体の絶縁耐圧が下がる
と放電現象が起きて、ノイズが発生してしまうんです。そこで、我々はバイアス電圧な
ど高電圧の絶縁を空気層に頼らずにすむよう、固定極全体に絶縁処理を施したんです。
この固定極は一枚一枚2万ボルトの耐圧検査をしていますので、万一固定極と振動膜が
接触してもスパークを起こす心配はありません。ほんとうに、ここまで来るのに苦労し
たんですよ。」苦労したということを明るく楽しそうに語られてしまうと、こちらもつ
られて笑みが漏れてしまう。でも、これが趣味であるオーディオ製品を設計する人々に
は大切な事だと思う。作っている本人が喜びと生き甲斐を感じながら作り上げたもので
なければ、使う方にも大切なそれらの気持ちが伝わるはずがない。でも、人情だけでは
商品評価は出来ないぞ、と心を鬼にして次ぎの質問。「クォードもマーチンローガンも
、その固定極のパンチングメタルの穴の大きさは均一みたい。振動板を前後に挟んでい
るパンチングメタルは、振動板に対してアコースティック・インピーダンスとして一種
の負荷となっているはずだね。とすれば、この穴の大きさによってユニットのエフゼロ
が変化しちゃうんじゃないかな。これって問題にならないの。」「川又さん、鋭いご指
摘ですね。それって確かに問題になるんですよ。特に、ウチの場合は3ウェイですから
、帯域別に穴の大きさを変えているんです。トゥイーターが一番小さい穴で、ミドから
ウーファーへと大きくなっているんです。これも、手間暇かけてコンピューターを使っ
てシミュレーションを繰り返したり、厚みは同じで穴の大きさが何通りもあるパンチン
グメタルを何枚も作って、きちんとユニットとして組み立てて試聴を繰り返したんです
から、明確な根拠として自信のある音に仕上げてきたつもりです。エッ、他社はどうか
って?  理由は色々あるんでしょうが、皆さん同じ穴の大きさの一枚パネルを使って
ますね。」笑顔で楽しそうに話されると、よけいに自信として受け取れてしまうのが不
思議な佐藤氏のキャラクターである。お若いのに大した説得力だ。「トゥイーターをイ
ンライン状に上下1メートルに渡って配置してある割には、水平方向の指向性が狭く感
じられたのはなぜ。」と、続けた。「それはトゥイーター自身の振動板の幅が音圧を求
めた関係で広い事と、最大の原因はミッドレンジのユニットとの間隔が広過ぎることに
あります。このトゥイーターの幅も六種類くらい、長さも同程度の種類を試作して、全
部聴きながら決定したバランスなんです。アポジーのリボントゥイーターのように細く
したいのですが、コンデンサー型はリボン型とは違い振動膜の全周を固定しているため
、あまり幅を狭くすると実際の面積比以上に可動部分が減ってしまい能率が低下してし
まうんです。だから、カット・アンド・トライで実際に作ってみないと結論が出なかっ
たんです。それから、ミッドレンジとの間隔も、設計仕様では改めてありますからご心
配なく。」と佐藤氏の解答。「振動板の面積に対して、アポジーのバッフルデザインは
小さな面積だね。それに、トゥイーターの内側にあるバッフル板の末端も細い上にラウ
ンド加工されてるね。高域の拡散がきれいになされるような配慮はどうだろうか。」と
、私も他社比較を交えながら、ここぞとばかりに質問を繰り返す。「確かに望ましい処
置です。しかし、川又さん。アポジーのパネル構造が強度的に如何なものかはご存じで
しょう。私は、それを配慮した上でパネルのバッフル効果とのバランスを図りながら、
最終的には最大限の強度を持たせるつもりです。」と、勉強の跡が見えるスキのない解
答だ。私も勉強という意味では、ひけをとらない数のコンポーネントを聴いてきたつも
りだ。ハイ・スピードとして印象付けられる物もあったので。「ダイナミック型の場合
には当然ボイスコイルがあって、特異なインピーダンスカーブもあるよね。インピーダ
ンスが周波数によって変化するということは、均一な電流を送りこむことが難しいとい
うことでパワーアンプの力の見せどころとなるわけだ。でも、スピーカーの電気的な特
性はその動作原理において、正確な波形電送を行うためのハイスピード化につながるも
のがあると考えているんですが、いかがですか。」「川又さんのおっしゃるハイスピー
ドの概念というのは、判り易くていいですね。ダイナミック型は振動板の質量や箱の存
在から、本当の意味でのトランジェントを探り出すのは大変な事だと思います。コンデ
ンサー型の場合には、それらはないわけですから反応の速さは比較のしようがないくら
いです。しかし、もっと簡単に言えば、コンデンサー型は音波を発生させるために電流
を流す事を必要としない、という概念こそが大切なことなんです。振動膜上に均一に分
布させた電荷に対して、固定極より昇圧した音声信号を与えることによって振動膜を駆
動するコンデンサー型の原理は周知の所でしょうが、最も肝心なことは、コンデンサー
型では電流を流してはいけないということです。放電という電流が流れる現象が起きれ
ば、音になるどころかトラブルの原因になるだけです。一口にコンデンサー型の電気的
特性を語ればこんな感じかな。でも、パワーアンプに優秀なものを望むという点ではダ
イナミック型と同じですね。」淀みなくお話になる佐藤氏は、総合メーカーであるソニ
ーの社員でありながら、今回のフル・コンデンサーに合わせるべきアンプには、自社製
へのこだわりは持っていないようだ。「スピーカーの位置や角度で音質表現が変化しや
すいですね。言い替えれば、リスナーとスピーカー、そしてルームアコースティックを
考慮した上でのセッティングが必要だと思うね。私が出掛けていってやるのももちろん
可能だけれど、ソニーとしてはどう考えているのかな。」と、実際に販売した場合の納
品面で考えられる営業的な問いかけもした。「ご指摘の通り、セッティングは非常にデ
リケートな問題です。数年先はわかりませんが、しばらくの間は我々の設計チームがお
客様のご自宅までセッティングに伺う事が必要だと考えています。」なるほどね。私の
知りえる限りの技術的知識をもとに投げかけた質問に対しても佐藤氏の解答は、ご苦労
と実践のもとに得たノウハウを根拠としており、お茶を濁す程度の回避的な解答ではな
く明確で納得の行くものが即答でポンポン返って来る。ジム・ティールのようなエンジ
ニアが会社の代表者としてスポークスマンを兼ねているのとはひと味違って、まさに日
本人設計者の本領発揮とも言うべき爽快さである。この日もあっという間に一時間以上
も話し込んでしまい、つい足止めをしてしまったようだ。これから何処へいくのかと尋
ねたら、「これからS君の家へ行って、川又さんが売ったジェネシスVを聴きに行くん
ですよ。」と、私のフロアーで同僚の道下氏と待合せをしてS氏のお宅へ向かっていっ
た。佐藤氏と旧知の間柄であるS氏も私のお得意様の一人であり、佐藤氏ご本人も当フ
ロアーでお買物をして頂いている関係なのである。夏休み返上でフル・コンデンサーの
仕上げに取組み、週末の休みにも友人の自宅へ聴きに行く。なんと、勉強熱心なことか
と感心してしまった。確か、老子であったと思うのだが、「敵を知り己を知れば百戦危
うからず」と言う格言がある。佐藤氏の場合には、海外のハイエンドに対して「敵を知
る」というよりは、お友達感覚で敵と仲良くなってしまうようだ。敵視するよりも、そ
の方が相手の音という性格をよく理解出来るのもうなずける。「私が付けた注文にも、
こんな人が答えてくれるのだったら納得出来る。これから一体どんな素晴らしい音に仕
上がるのだろうか。そして、それは私のソニー観を根底から変える作品となる事だろう
。」と、私の期待は更にふくらんでいく。意外にも、オーディオに深い根を持っていた
世界企業のソニー株式会社、その社風とも言うべき人材育成と30年に渡る基礎研究の
成果として、間もなくソニー本来のオーディオとして開花しようとしている。
                                    【完】


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