第二十三話「ジェフローランドは斯く語りき」






第一章『ベビーフェイス』

 1993年5月、日本では華やかにプロサッカーJリーグがスタートした。この年の
8月には俗に云う55年体制の自民党単独政権が崩壊し、7党1会派による連立政権で
ある細川内閣が発足し、当時55歳という若さの細川護煕氏が率いるこの内閣は、歴代
最高の69.6%という高支持率を得た。まだ記憶に新しいこんな世情の年も半ばを過
ぎた頃であったと思うが、私の手元に大変可愛らしい赤ちゃんの写真が届いた。この写
真には赤ちゃんの顔しか写っていないのだが、左の頬にはシンボルマークである二つの
トライアングルと共に大層ほこらしげにジェフローランド・デザイングループと英文字
で描かれているのである。由緒あるインテリアに囲まれたアメリカのホテルの一室と見
受けられるテーブルの上で、まだ名前もつけけられていないベビーが父親の物であろう
と思われる黒皮のアタッシュケースの上にチョコンと座りこんだ姿は大変愛らしい。こ
の子の父親であるジェフローランド氏は兄貴分であるモデル8SPという、今までに類
のない重厚なコンストラクションを持つパワーアンプの製作に忙殺されていて、名なし
のベビーの事はあまり構っていられなかったようなのだ。私が立派に成長しコヒレンス
と命名された彼に初めて出会ったのは、それから一年たった昨年の秋であった。当時入
手していた情報と、私の印象を『音の細道』第一九話に書き記してあるので読み返して
頂ければ幸いである。さて、九段のグランドパレスにおいて、この年の九月に開催され
た「輸入オーディオショー」での発表には間に合わず、弊社の「マラソン試聴会」で最
初のお披露めが出来たのは大変幸運であったわけだ。しかし、大変残念ながら出品され
たのはサンプル機という事で量産機の発売が延び延びになっていた事情があり、本来な
らばジェフローランド氏が自ら来日して、このコヒレンスのプロモーションを行いたか
ったのであるが実現出来なかったのである。しかし、94年のクリスマスを過ぎた頃に
数台の輸入が行われ、大変お待たせしていたお客様にやっとお届けすることが出来たの
である。この辺からコヒレンスの生産ラインも一段落したこともあって、ジェフローラ
ンド氏ご本人がやっと来日する機会がもたれた。日本に滞在中も輸入元とのミーティン
グや雑誌各社からの取材インタビューと、過密なスケジュールの合間を縫って私のフロ
アーを訪問して頂いたことは大変光栄であり、同社の製品に対する理解が更に深まった
のである。

第二章『ハイスピード・アンプ』

 未曾有の被害をもたらした1月17日の阪神大震災、それから2か月後の3月17日
にジェフローランド氏が私のフロアーを訪れて頂いた。後年の記憶に折り混ぜて頂くた
めに敢えて書き添えるならば、「地下鉄サリン事件」の3日前ということになる。この
部屋に入ってきたジェフローランド氏に対して瞬間的に閃いた第一印象はたった一言。
「ウワッ、大きな人だな」身長177センチの私が見上げてしまうのだから、2メータ
ー10センチ前後はあろうかという身の丈だが、体形としてはスマートで痩せ形のほっ
そりとした方である。1952年生まれの43歳というお歳であることから、当時の呼
称であるローランド・リサーチとしてアンプを作り始めたのは1981年からというこ
とで、当時はまだ29歳だったということになる。私が発した質問に対しても一度飲み
下してから慎重に答えるような、温厚で紳士的なお人柄の人物である。この日は私のフ
ロアーにお客様をご招待してのセミナーを予定しており、お忙しい中をその打合せをか
ねて日中に単独でご来訪頂いた。当夜の本番では語られることのなかった、本音の部分
での話を是非聞きたいという私の無理を聴いて頂いたものだ。先ずは、誰でもが聞いて
みたいと考えるこんな質問から。「ハイエンドのアンプの製作者として方々で聞かれる
ことと思うが、どんなスピーカーを使ってご自身のアンプの音を作っておられるのか。
」通訳をお願いしている大場商事株式会社の内田常務が伝え終わってから一拍の間をお
いて。「アヴァロンのアセントKとティールのCS5を使っています。」私がなるほど
、とうなずくと「アセントKはアンプ側から見た場合に、インピーダンスやレスポンス
において大変フラットであり標準器としては最適である。ティールはインピーダンスが
大きく変化する傾向があり、アンプ側から見るとやっかいな特性だが今後の主流となる
であろうポイントソースのスピーカーとしての素晴らしい能力を評価しての採用だ。」
昨年はジム・ティール氏をお招きしてのセミナーを開催したことを思い出して、ジム・
ティール氏と面識はあるのかと聞いてみた。「オフコース、彼らの工場も視察したこと
があります。」ジム・ティール氏が初来日の際に立ち寄って頂き、セミナーを開催した
唯一のフロアー担当者として当時の事が思い起こされる。ハイエンドを志向するマニュ
ファクチャラーのトップ同志が親交と情報交換の機会を持ちながら、互いの作品に磨き
をかけるという風潮はアメリカならではの事で日本のメーカーにも参考にして頂きたい
業界の慣習だと思われる。「日本でのハイエンドユーザーが使うプレーナータイプ・ス
ピーカーの代表格としてアポジーを愛用しているマニアも多い。このアポジーが登場し
てからというもの低インピーダンス・スピーカーを如何に鳴らすか、つまり出力にハイ
カレント思想を重視して多くのアンプ・デザイナー達が取り組んできた歴史があると思
う。このハイ・カレント思想をどのようにお考えか。」と次なる質問を投げかけると、
これには逆に質問が返ってきた。「日本ではまだアポジーを売っているんですか。」〈
アポジーをご愛用の方は気を悪くせずに誤解なきようお願いします。〉「アメリカでは
どのショップに行っても、もうアポジーは置いていないのですが。」とジェフローラン
ド氏が問いかけてくる。「日本も同じですよ。ただアポジーを使い始めた方は、中々他
のスピーカーに取り替えることがありません。そして、大変熱心にマッチングするアン
プを探し求めているのもアポジーのオーナーであるといえます。」ここまで説明すると
うなずいて答えが返ってきた。「確かに瞬間的に求められる大電流を供給できることは
、一つの要素を満たしたことになるかもしれない。しかし、アンプの内部を通過してい
くオーディオ信号を如何に加速してやるか。言い替えればグループディレイ(群遅延特
性)を発生しないようなフラットな位相伝送能力こそが重要であると考えています。」
ここで、先程ジェフローランド氏が当フロアーに展示してあるマークレビンソンのNO
・33Lをしきりに観察していたのを思いだした。「そのマークレビンソンのNO・3
3L(480万円)は電源部から各増幅段には、幅2センチ、厚みが5ミリもあるバス
・バーで給電をしています。また、クレルのKAS(490万円)もやはり厚みが3ミ
リ程度の銅板を電源部と本体に橋渡ししています。貴社のモデル9は電源部と本体をカ
ルダス社製のジャンパーケーブルで結ばれていますが、この電源の導き方に対してはど
うお考えですか。」段々と技術的質問に入ってくるに従って、俄然ジェフローランド氏
の回答にも熱が入ってくるのがわかる。「電源部から得られる電力を電流として捉えた
場合、段面積の大きな導体を使用することは同じ水量の水を大きな川に流した場合と例
えることができます。確かにいっぺんに大量の水を流せます。しかし、川の中心と岸辺
の水の流れる速さは一定にはならない。この関係は電源部と増幅段の間だけではなく、
アンプ内部の基板上の各ステージ間にも言えることです。電源部から引き出す電流に、
流せる量よりも速度的なコントロールを必要とするならば、その条件に一致した優秀な
ケーブルの方が良いとの判断もあったわけです。」なるほどと思いつつ、私は一本のド
ライバーを持ち出してきて当時展示してあったいくつかのパワーアンプのボディーとヒ
ートシンクをドライバーの握りの部分で叩いてまわった。もちろんカーン、キーン、あ
るものはコキーンと色々な音がする。そしてジェフローランドのモデル9も同様に叩く
。コッ、コッ、とどこを叩いてみても尾を引くような響きは一切ない。そして、これも
前から聞いてみたかった質問を続ける。「近代のアンプを私なりに分類すると、先程の
ハイカレント志向のアンプほど大きく響く音がする。貴社も含めて、ゴールドムンドや
サザーランドなどのアンプは筐体の剛性が並みはずれて高いことがうかがい知れるが、
これについてのお考えは。」私がドライバーで叩き始めていた頃からジェフローランド
氏は、どんな質問がくるのかを既に察知していたようで、薄笑いすら浮かべている。「
良い質問です。先程の電流を流す川の川底に小さな岩がいくつもあったり、川底の深さ
が違っていたり不規則な形をしていたら、あるいは川岸が軟らかで流れに当たって変形
してしまったらどうなるでしょうか。オーディオ信号の原形を変えずに正確に流しなが
ら増幅していくには、そのシグナルパスの過程では機械的な剛性は見逃すことのできな
い要素なのです。ただ多くの電流を流せば良いのではなく、その原形を変えないという
ことに一定のハイスピードが必要条件となってきます。電子や素粒子の動きを加速する
ような複雑な電子物理工学ではなく、ある部分が全体の流れに遅れを取らないようなコ
ントロールが必要なのです。」私はセールスマンのくせに何かと技術的な質問はするが
、大学で電子工学や物理学を学んだわけではない。その辺の私のレベルを察してくれて
いるのか、ジェフローランド氏はたとえ話を交えての親切な説明をしてくれる。しかし
、私も若干の突っ込みはしてみたくなるもので、「一般論で言っても電気の伝わる速度
は光速と同じと考えれば、おおよそ毎秒30万キロ(科学的な定数では光速度cは29
9,700キロ/秒)も進行するわけです。オーディオシステムの入り口から出口まで
の経路を考えてみても、わずか数メートルか長くても10数メートルという距離しかな
いわけですよね。この距離を電気信号が走る時間と行ったら何千万分の一秒しかかから
ないわけですから、ハイスピードといっても実感が伴わないのですが。」「正にその通
りです。ハイスピードという言葉は大変誤解を受けやすいのです。しかし、真空中を走
る光と違って電気信号の場合は導体が必要です。そして、忘れてならないのは周波数が
存在することです。導体の質や環境によって、そして周波数によって電気信号には進行
速度の誤差が発生してきます。導体に関してはケーブル・メーカーの理論が多様に公表
されているのはご存じのはずです。周波数に関してはメガHz帯域のような高周波にな
ればなるほど遅れを生じます。オーディオ帯域だけでは問題ないとされながらも、皆さ
んのような熟練した耳には差異として聴こえてしまうのだから仕方がない。そして、ま
ったくの無音は電気信号はゼロなわけで、この状態から如何に正確に信号が立ち上がる
かはこれに含まれる高周波成分の正確な再現が必要な訳です。逆に音が余韻を引きなが
ら消えていく場合に、静寂の一歩手前の微小な余韻を再現することにも同様な遅れが発
生しない高周波の再現が必要です。つまり、ハイスピードということは、すべてのオー
ディオ信号の原形に限りなく近付ける正確な波形伝送手段の一つと思って下さい。」な
るほどと感心してしまった。波形の再現性のためのハイスピードか。1Ωの負荷に対し
て何キロワットのパワーが供給できるというセースルポイントのハイカレント志向のア
ンプに対して、ジェフローランドのアンプが筐体の剛性、電源供給の手段、素子へのこ
だわりとモジュール構造の採用、そして電源のインピーダンスを極力低下させることに
よって瞬間的なレギュレーションを向上させるというバッテリー駆動の採用など、これ
らの難問に対する取組みの成果とその手段を選択した根拠が皆この一点に集約されてく
るわけだ。特にバッテリー駆動のメリットについては何度も私のフロアーで比較試聴を
行ってきたが、その激変ぶりを考えるとジェフローランド氏の説明が大変的を得た解説
として裏付けられるのである。そして、更に同社のパワーアンプ・モデル2/6/8S
P等に見られる、斬新な電源部の設計にも共通する理論が見えてくるのである。1Ω負
荷のスピーカーが現存しない今、ハイカレント志向とドライブ能力の優秀さをどこで評
価し物選びの判断基準とするかは個々の選択に任せるとして、アンプの設計者に直接イ
ンタビューをすることによって理論の集約ができたことは私にとって大変大きな収穫で
あった。

第三章『コヒレンスの最終形態』

 さて当日の夜7時、普段は静かな私のフロアーも満席となったお客様の熱気で蒸し暑
いくらいである。予定より少し遅れてジェフローランド氏が到着した。誰からともなく
湧いた拍手が全員に広がり、氏は照れ臭そうな表情をしながら席に付く。同社の製品は
いつでも聴けるが、ジェフローランド氏の話が直接聞ける機会は滅多にない。演奏は途
中に数回挟むだけにして、日本のユーザーを代表し私が質問をしながら司会進行役を務
める。先ずは導入部としてこんな質問から。「アメリカのお店では、この様にエンドユ
ーザーと直接膝を交えてのセミナーを行っているのですか。」この時も通訳は大場商事
株式会社の内田常務にお願いした。「10年くらい前は度々講演をしましたが、この5
年くらいは開催されていません。」私の立場から当然のごとく次の質問を重ねた。「そ
れは、メーカーサイドの事情ですか、それとも販売店側の事情でしょうか。」「企画し
て主催するのはお店側ですから、販売店側の事情でしょうね。」私が伝え聞いたところ
によると、現在アメリカのハイファイ・ショップはTHXシステム等のホームシアター
が全盛で、多くの店では専用のデモブースを設けて販売に余念がないそうだ。次に、こ
こには大変貴重なジェフローランドの新型プリアンプであるコヒレンスが展示してある
。現在はコヒレンスの付属品として、RS−232・25ピンターミナル対応のデータ
リンク・ケーブルが付属している。コヒレンスのフェイスパネルを外して、このケーブ
ルで本体と結べば有線のフルリモートコントロールが可能となる。「このコヒレンスに
ついては、本体は完成したもののワイヤレスリモコンがいまだ未完成ということである
が、どの様な最終形態をもって完成を見るのですか。」この質問の回答は早かった。「
先ず価格に含まれる付属品として、赤外線方式のワイヤレスリモコンを現在製作中です
。但し、これは最低限の機能を持たせたシンプルな物になります。受信部は外付けとし
てケーブルの付いた小箱をコヒレンスに接続し本体の周辺に置きます。」この赤外線リ
モコンには、ボリューム、位相反転、LRバランス程度のコントロールだけにして、小
さくシンプルなものにするということだ。当然、既に販売したコヒレンスをご使用中の
方には無償でご提供する。「そして、最終的にはオプションとして、まだ価格やデザイ
ンは決定していないが、FM電波によるRFリモートコントロールシステムを完成させ
る予定です。コヒレンスのフェイスパネルを取外して電源部と送信用アンテナを内蔵し
たリモコン・ベースに乗せる。従ってコヒレンスのすべての機能が操作できるフル・リ
モコンとなる。受信用アンテナ等は本体に格納できないので、赤外線方式と同様な外付
けの小箱が用意されます。そして、フェイスパネルを取外した顔には、デジタル・ディ
スプレーパネルを取付けボリュームレベルは勿論の事、可能であればインプット、動作
モードなどを表示させるつもりです。しかし、このディスプレーは表示開始から五秒間
で消灯させ、ディスプレー用の回路は完全にスリープモードに移行しデジタル部からの
ノイズの心配はまったくありません。」なるほど、それでは質問の矛先を内部に向けて
いくとしましょうか。「コヒレンスのボリュームノブは無限回転のデジタル制御である
が、マドリガル社(マークレビンソンの製造元)のNO・38Lと同様か。」「NO!
」この一言が真っ先にかえってくるということは自信の表れか。「マドリガルはボリュ
ームコントロールにDAC(D/Aコンバーター)を使っているが、我々はクリスタル
セミコンダクターが開発したボリュームコントロール専用デバイスであるCS3310
を採用している。」従って、一部の雑誌でマークレビンソンのNO・38Lと同様と表
現されたのは明確な間違いであることを強調しておく必要があるようだ。この件につい
ては、これから述べるトランスの話題と共に第四章で詳細を述べる。「さて、家庭用の
オーディオコンポーネントの範疇ではMCフォノカートリッジの昇圧と管球式アンプの
出力、そして肝心な電源部等にトランスは使用されてきたが、ラインレベルのシグナル
パスにトランスを採用するような前向きな姿勢は今まで見られなかった。貴社のモデル
2と6、そしてコヒレンスとトランスを多用し始めたのはなぜですか。」これを力説す
るために日本へ来たのだという面持ちで語る。「従来のトランスに対するイメージは確
かによくなかったかもしれない。しかし、そのメリットとデメリットを見較べて、デメ
リットを解消する事ができる設計がジェンセンによって可能となった時に時代は変わっ
たのです。そのメリットとは、回路を大変シンプルにすることが出来ます。そして、コ
モンモード・リジェクション効果が高く、高周波ノイズに対してフィルターの役目を果
たすことが重要です。」まだ言い足りないような顔をしているが、興味の対象は当然次
の新製品へと向けられ。「なるほど、トランスの効用はわかりました。ということはモ
デル2とモデル6の上級機、モデル8とモデル9には採用しないのですか。」「ご想像
の通り採用していく予定です。まだ時期と価格は未決定ですが、モデル8T、9Tとし
て発表する予定です。当然ライントランスの搭載によりインピーダンス・マッチング回
路が省略出来るために従来の回路も手直しが必要です。」私はこれまでにジェフローラ
ンドのパワーアンプは、DCタイプも含めて数多く販売してきた。従って、既にお納め
してきた皆様にも、この改良をお願い出来ないものかと直ちに質問した。「もちろん考
えています。当社で作製したバージョンアップ・キットを使用して、日本国内でもアッ
プ・トゥ・デートが出来るようにします。」納得です、それを聞いて安心した。さて、
コヒレンスはライン入力専用のプリアンプである。そしてコヒレンスのバッテリー電源
部には二系統の出力があり、本体に一系統使用してもう一つはあいている。「現在のコ
ヒレンスではLPを聴くことが出来ませんが、アナログは眼中にないのですか。」ジェ
フローランド氏はここで顔をほころばせる。「はLPとアナログ大好き人間です。良い
質問をしてくれました。コヒレンスと同様の無垢アルミから削り出したボディーにフォ
ノ・イコライザーを組み込んだものを作る予定です。サイズはコヒレンス本体の半分の
幅くらいで、電源は勿論コヒレンスのバッテリーから供給出来る。我々とジェンセンは
フォノカップリング用の専用トランスの共同開発を既に開始しています。でも一年位は
待って下さい。」いいですとも。そんな事だったら喜んでお待ちしましょう。ただでさ
え高い増幅率が必要で、高いS/N比を要求されるフォノ・イコライザーが、コヒレン
ス同様のバッテリー駆動が出来るとは願ってもないことだ。こんな気持ちは、私だけで
なく同席されたコヒレンスのオーナーであるお客様も同じで、早速ご予約を頂戴する事
となる。これはまいった、商売がうまいのは私よりもジェフローランド氏の方ではない
かと頭が下がる思いである。さて、コヒレンスのバッテリー駆動についての将来的な応
用がジェフローランド氏によって公言されたところで、コヒレンスのAC電源とバッテ
リー駆動時の音質を比較試聴することにした。以前のモデルDC8やDC9ではバッテ
リーの充電がフローティング・チャージ方式が取られていたため、電源ケーブルをAC
コンセントに接続したままでは完全なDC駆動にはならなかった。故に、これらのパワ
ーアンプでACとDCを比較するときには、バッテリー電源部の電源ケーブルをコンセ
ントより抜き取って試聴するという手間があったわけだ。しかし、コヒレンスでは電源
部のフロントパネル中央にある電源モード・スイッチによって簡単にACとバッテリー
が選択出来る。ACモードは事実上の充電状態であるが通常に使用が可能だ。DCに切
り替えるとACとの接続が完全に解除され、純粋なバッテリー駆動によってその真価を
聴き取る事が出来る。時間の関係で、この比較試聴は一曲しか演奏をしなかったが、ご
来場の皆様にはうなずいて頂ける変化を感じ取って頂けたことと思う。よりフォーカシ
ングが明確となり、楽音とエコーが明確に分離し、もうここまでと思っていた余韻に実
は続きがあり、更なる深みが加わる快感は例えようがない。そして、このバッテリー駆
動で約8時間の連続使用が可能となり、電源部に搭載された〈チャージング・マネージ
メント・システム〉と表現されるマイクロプロセッサーの管制能力によってバッテリー
の残容量がリミットに近づくと自動的にACモードに切り替え、演奏は途切れることな
く充電モードに移行するのである。この機能は前述のモデルDC8とDC9のバッテリ
ー管理方式から比べると大変便利な機能である。しかし、プリアンプのように負荷がほ
ぼ一定の消費電力であればコントロールしやすいが、スピーカーのインピーダンスと能
率、そして再生音量と、消費電力に対する各種パラメーターの予測が難しいのでこれま
では採用されていなかったのであろう。そこで、質問する。「モデル2と6はバッテリ
ー駆動が可能な設計がされているが、BPS2(50万円)とBPS6(100万円)
と型番と価格が決まっていながらに発売が待たれているわけです。これには、コヒレン
スと同様のバッテリー管制方式が採用されるのですか。」ジェフローランド氏は、「も
ちろんです。大変お待たせして申し訳ありませんが、あと2・3か月のうちには出荷し
たいと思っていますので楽しみにお待ち下さい。」目の前のコヒレンスにおいて、バッ
テリー駆動の素晴らしさを見せつけられてしまうと、更にパワーアンプをDC化する進
化発展にはいやがおうでも大きな期待がもたれてしまう。ということは前述のような〈
パワーアンプにおける消費電力に対する各種パラメーター〉に対応するバッテリー管制
用マイクロプロセッサーが開発されたということである。そうすると、以前からあった
モデルDC8とDC9のバッテリーも同様な進化をたどるのだろうか。この私の予感は
的中したようだ。これから輸入されるモデル8SPには、バッテリー接続用端子が増設
されてくるらしいのだ。ただ、このモデル8SPという大型のパワーアンプに対しての
バッテリー電源部の開発には今少し時間がかかるようで型番や大きさ、価格といったも
のはまだ未決定である。つまり、モデル2/6/8SPといった、単独でAC電源を持
ち使用可能なアンプに対してのバッテリーオプション化である。ちなみに同社のフラッ
グシップモデルであるモデル9については、極めて高い完成度は変えようがないとの思
い入れから、またバッテリー駆動のDC9とドライバー部は同一でもある事から変更の
計画はない模様だ。ただし、DC9に対しては〈チャージング・マネージメント・シス
テム〉を外付けする形でオプション化の可能性はあるらしい。もちろん、実現の時期に
ついては不明でジェフローランド氏の頭の中では、この開発をもくろんでいるというこ
とでご理解頂きたい。こんな調子で皆さんが聞きたいであろうと思われることを私が代
表して質問を繰り返し、皆様も非常に和んだ雰囲気で宴も酣となってきた。「さて私か
らはこの辺にして、ご来場の皆様からジェフローランドさんに何かご質問があればご遠
慮なくどうぞ。」待ってましたとばかりに。「コヒレンスの名前の由来は、どんなこと
からイメージしたのですか。」「ある日、ハイウェイを車で走っている時にカーラジオ
からシューマンのピアノソナタが流れてきた。素晴らしい演奏だった。その時の自分の
感動と同じ思いを、この放送を聞いている多くの人々がしていることだろうと考えまし
た。この様な、音楽を通じて生まれる一体感は素晴らしいもので、それらの感動を集約
・凝縮〈コヒレント〉出来る道具として作り出した物は、それを象徴するものとしてコ
ヒレンスとしたのです。」「アイデアのインスピレーションは日常生活のどんな時に閃
きますか。」今日はこの質問が一番難しかったらしく、しばらくの沈思黙考のあとに。
「ウェル・・・・、モーニングシャワーを浴びている時かな。」〈一同爆笑〉

第4章『ジェフローランドの置き土産』

 私は翌週の月曜日には大場商事株式会社の内田常務に電話をかけ、今回の計らいにつ
いて感謝の気持ちを申し述べた。ジェフローランド氏は当フロアーにおけるセミナーを
終え二日後に帰国の途に付いたとの事で、ご本人も日本のエンドユーザーと有意義な一
時を持てたと喜んで下さった様子だ。そして、私から発した多くの質問では、技術的な
やり取りが多かったことを意外に思われたのか、当日お別れした後に「ミスター・カワ
マタが私のアンプに対して理解を示してくれたことは大変うれしいことだ。テクニカル
な質問に対して私の説明にも限界があったようなので、これから(アメリカのジェフロ
ーランド社へ)電話をかけてFAXで資料を送らせるから彼に渡して欲しい。」と内田
常務に語られたそうである。現地時間3月17日の午後10時15分と記され、発信人
がジェフローランド・デザイン・グループのエンジニアであるマーク・J・メドラッド
氏から10数ページに及ぶFAXが送られてきた。もちろんすべて英文であり技術用語
が多用されているので、多少意訳で解釈を取りまとめているところはあるが、ジェフロ
ーランド氏の意志でもありぜひご紹介しておきたい。内容は第三章で話題となったジェ
ンセン社製ライントランスJT−10KB−Dとボリュームコントロールに採用された
クリスタルセミコンダクター社製CS3310についてのものだ。「多くの人々がトラ
ンスの音響的な性質をイメージする場合に、古くからあるアウトプット・トランスを思
い浮かべていたのではないだろうか。電磁誘導の効率から帯域が制約されたり、過渡特
性(トランジェント)が障害を受け強弱の表現に正確さを欠き、コアの磁性化と磁気飽
和による弊害から高調波歪や位相歪を引き起こす結果となっていた。一方で60年代中
盤からレコーディングスタジオではシグナルパスに非常に高価で高品位なライントラン
スを採用しており、その素晴らしい録音は現代に再リリースされていることからもうか
がいしれるところである。しかし、このスタジオ用のライントランスはあまりにも高価
であり、家庭用のコンポーネントに組み込まれるという事は考えられていなかった。こ
れらのラインレベルトランスのなかでも、今回ジェフローランドがモデル2/6やコヒ
レンスに採用したジェンセン社のラインレベルトランスJT−10KB−Dは品質的に
他を圧倒しているのである。わずか直径が1インチの円筒状で高さも1インチ、親指の
先程度の大きさしかないこのモデルが如何に優れているかを何点か挙げてみた。

(1)コア材に高価なニッケルを使用し、理想的なヒステリシス・カーブを生み出す。
(2)必要なパワーハンドリングを確保するための大変大きなコアサイズ。
(3)スーパーワイドパスバンド、180キロHzまで1%以内の誤差で高域レスポン
   スを確保し、0.5Hzから150Hzという低域についてもハイエンド・オー
   ディオで必要な優秀な反応を示すのです。
(4)ほぼ正確なグループディレイを実現しオーディオ帯域での正確な位相表現を可能
   とした。

 そして、ディーン・ジェンセンは1989年に亡くなる直前、ベッセル・ローパス・
ファンクションを他に先駆けて使用した。その後の同社の果敢な取組みにより不要ルー
プを排除し、オーバーシュートやリンギングのない、立ち上りや戻りが大変瞬間的な、
しかも 超高域と超低域がフラットで完璧なスクウェアウェーブ(矩形波)を オシロス
コープ上に表示出来るトランスを作り上げたのである。これらから優れたラインレベル
トランスが音質にダメージを与えないことはご理解して頂ける事と思う。では、このト
ランスがどうやって劇的な音質の改善という奇跡を起こすのだろうか。この説明は難し
く完全には理解して頂けないかもしれない。そこで、なぜレコーディングスタジオがラ
イントランスをこれほど愛用しているのか、先ずその理由を説明する事にする。

(1)トランスはグランド・ループを遮断する。
   当然の事ながら一次側と二次側は電気的には接続されていないので、グランドル
   ープ電流は流れることなくハムやノイズの原因はなくなる。
(2)すなわち(1)の効果の一つとしてトランスはグランドに対して無限大の絶縁効
   果を持っており、差動増幅回路を持つアンプへのバランス化された直接接続を可
   能にしている。ただ、理想的な要求に応えるトランスは大変高価であり、スタジ
   オでの多用が進まなかったわけだが、近年のプロオーディオの世界で急増してい
   る完璧主義者が究極のシグナル・インターフェイスとしてライントランスを選び
   始めたのである。

 さて、業務用の電気的な使用目的にふさわしいことはご理解頂けることと思うが、一
般的なハイファイ・オーディオ・ファンにとっての音響的な価値観はどうだろうか。現
在、我々はRFI(高周波妨害)とEMI(電磁波障害)の海の中で生活しているとい
っても過言ではない。発生源は電子レンジからテレビ放送まで様々だが、CDプレーヤ
ーがもっとも大きな元凶となっている。RFIはオーディオ信号に影響を与えないとす
る意見もあるが、実際には帯域外の妨害波に取ってオーディオ・コンポーネントはキャ
パシタンスやインダクタンス、そしてダイオード・ジャンクションなど様々な電気回路
が隠れ蓑となっているのだ。我々の専門用語では、この現象を〈ヒドゥン・スケマティ
ック・隠れた図式〉と呼んでいる。デバイスにおけるノン・リニアリティーはハーモニ
ック・ディストーション(高調波歪)とインターモジュレーション・ディストーション
(中間周波数歪)を引き起こす。ちょうど、チューナーのフロントエンド方式でいうス
ーパーヘテロダイン方式と似たような現象である。つまりノン・リニアー・デバイスに
影響を及ぼそうとする二つの以上の様々な周波数が、そのオリジナルの合計の差という
新しい障害要素を生み出してしまうわけだ。例えば1.001MHzと1.000MH
zのRFIのペアがアンプに侵入して一キロHzの差を生じさせると、1.001MH
zや1.000MHzは聴こえなくても一キロHzは聴こえてしまう。この原理につい
ては簡単に実験が出来る。低価格の携帯用AMラジオを使われていない周波数に合わせ
てノイズが大きくなるまでボリュームを上げる。蛍光灯やパソコン(ファミコン)CD
プレーヤーといった機器に近付け、RFIを放射していればガーガー、キーキー、とい
った音を発するはずである。ジェンセン社のラインレベルトランスJT−10KB−D
のように、180キロHzの帯域を持つライントランスは、後に続く回路が正確にフォ
ロー出来る幅の周波数帯域だけを通過させる。外界のRFIはヒドゥン・スケマティッ
クに侵入することも働きかけることも出来ず、またミックスされた差としての周波数に
なることもなく充分にブロックしているのである。そして、高周波の上限ではベッセル
ファンクションローオフは位相に対してリニアであるだけでなく、理想的な防振効果に
よって超高周波のリンギングをも消滅させ、音楽に取って障害となる周波数に限ってブ
ロックするのである。更に、トランスの一次側と二次側の捲線には、残存静電容量に関
連する妨害波をグランドに流してしまう静電シールディングが施されている。トランス
全体は外部の磁力による妨害から守るため、ミューメタルのシールドケースに納められ
ている。この様に正しいライントランスの使用は、純粋なオーディオシグナルを得るた
めのシンプルでエレガントな方法なのである。」そして私からも補足的な説明を加えさ
せて頂くと、ラインレベルトランスの採用目的には欠くことの出来ない、正確なインピ
ーダンス整合のメリットを挙げなければならない。オーディオシグナルを100%正確
な形で伝送するためには、送信側と受信側のインピーダンスを合わせることが必須条件
である。今までローインピーダンスの送りをハイインピーダンスで受けるという妥協が
まことしやかに言われてきたが、受信部の初段が飽和したり極端に言えば損傷を受けた
りしないようにとの配慮から、精度よりも安全策が一般化してしまったようだ。しかし
、幸いデジタル技術の最先端をいくコンピューターネットワークの発達と共に、多くの
情報量と高周波を伝送するに従って、インピーダンスの整合性が及ぼす影響の大きさが
再認識されてきた。オーディオアンプの場合には、前述のコスト的あるいはトランスの
音響的な性質に対するイメージの誤解から、このインピーダンスの問題はローのハイ受
け的な妥協の上で設計されていたのである。しかし、インピーダンスとは各周波数に対
する抵抗成分なので、第二章で述べたハイスピード・アンプの条件としてはインピーダ
ンスの不整合はグループディレイの原因ともなり、フォノ・レベルのような微小電流ラ
インではオーディオ帯域の周波数特性さえも大きく歪めてしまうのである。一部のメー
カーが、使用するケーブルまでも指定したり自社生産したりする、こだわりの理由もそ
こにある。さて、次にコヒレンスのボリュームコントロールに話を進める前に、一般的
に言うデジタルボリュームに対してのおさらいを簡単にしておく。まず、誤解を受けや
すいのがデジタルボリュームと言う名称なのだが、ボリュームレベルの表示方法が数値
を直読するものすべてを総称するものではない。例えばカラーテレビなどは、IC化さ
れたVCA(ボルテージ・コントロール・アンプリファイアーの略)を使用しているも
のが多い。レベル表示こそ数字だがVCA自体はアナログ制御されており、デジタルボ
リュームとは言い難いものがある。次に、D/Aコンバーターの出力レベルをコントロ
ールしているものでも二種類ある。ゴールドムンドのミメーシス10Pは表示こそデジ
タルであるが、ステッピングモーターを介して一般的なアナログボリュームを操作して
いる。そして、本格的デジタルボリュームとして近来有名なのがワディアとヴィマック
であろう。至極簡単に言えば、内蔵された高性能CPUの働きによってD/A変換の過
程で操作を行い、出力される電圧をコントロールするようにしたものだ。実際には特殊
な処理によってCDに記録されている16ビットの原信号を、20ビット以上に精度を
高める操作をしてからボリュームコントロールを行い分解能を落さないように工夫して
いる。実用上は問題ないが、大半のものは36デシベル以上絞り込むとCD本来の16
ビット精度にもどってしまい、それ以上低い音量では本来のCDよりも解像度が落ちる
事になる。私は意地悪にも、この状態を実験して聴いたことがあるが、ノイズが増えな
いのでなかなか耳で検知するのは難しいものだ。さて、プリアンプでいうところのデジ
タルボリュームであるが、D/Aコンバーターと同様にオーディオ信号が通る部分とそ
れを制御する部分の二つの要素がある。この二つの要素を分離しておくと理解しやすい
。先ず、必ず制御用のCPUが搭載されており、このマイクロプロセッサーを使用する
ことがデジタル(コントロールド)ボリュームと称することの最低条件になると思われ
る。この実際のオーディオ信号が通過する部分の選択が各社の腕の見せどころとなるわ
けだ。ここにマークレビンソンのNO・38Lは、PMI製のマルチビットDACを各
チャンネルで一個ずつ使用している。スレッショルドのT2では、マークレビンソンの
NO・38Lとは違って純然たる抵抗ネットワーク・モジュールICを使用しているの
である。この様な前置きから入っていくと、はるばるアメリカから送られてきた資料も
理解しやすくなると思う。先ずジェフローランドからの解説の前に、実際にデバイスを
製造したクリスタル・セミコンダクター・コーポレーションの二人のエンジニア、ラリ
ー・ハリス氏とベーカー・スコット氏からの「シングルチップ・ステレオボリュームコ
ントロール」と題されたコメントをご紹介したい。「これはマイクロプロセッサー制御
のハイエンド・オーディオシステムのために特別にデザインされた。二つの独立したチ
ャンネルをコントロール出来る16ビットシリアル・インターフェイスを搭載しており
、アジャスタブル・レンジは0.5デシベルごとでトータル127デシベルとなってい
る。これは九5.5デシベルのアッテネーターと31.5デシベルのゲインに分かれて
いる。100ピコFのキャパシターに対応して600Ωの負荷をドライブでき、20H
zから20キロHzの周波数帯でTHD(トータル・ハーモニクス・ディストーション
・全高調波歪)を0.0007%に、ノイズの総和も10マイクロVに抑え、ボリュー
ムを変えるときの雑音は完全にカットしている。」そして、ジェフローランドから届い
た資料は、「DACとクリスタルセミコンダクターCS3310の比較」と題されてい
る。「マルチプライングDACは現在市場で最も一般的だが、デジタル制御のボリュー
ムコントロールへの使用では、いくつかの内部的な問題点が指摘されている。コヒレン
スで使用されているCS3310ボリュームコントロールも同じくデジタル制御だが、
以下のようなDACの欠点は全く見られず優れた特性が得られている。

(1)DACの2−2Rラダー部分に使用されているシリコン抵抗は、1キロHzの信
   号に対して86デシから88デシベル程度の限られた歪を発生させる事が知られ
   ている。これはDACが通常のD/A変換でデジタル信号処理に使用されている
   なら問題ないのだが、音楽というアナログ信号を入力させるボリューム制御とし
   て使用されると、音楽信号がノンリニア・シリコン抵抗器を通ってしまうからで
   ある。CS3310は特殊な物理的、電気的構造を採用して、ポリシリコン抵抗
   のノンリニアリティーを克服した。
(2)シンプルな構造によって通過する抵抗器の数が大変少ないため、オーディオ信号
   が素直に流せる。ちなみに20ビットのDACでは、41個の抵抗と20個のス
   イッチを音楽信号が通ることになる。CS3310のアッテネーター及びディバ
   イダーの回路には確かに多くのスイッチが接続されているが、音楽信号はその中
   の選択された一つだけを通る。そして、このスイッチは電流信号を低インピーダ
   ンス回路に接続するのではなく、高インピーダンス回路に接続する。従って、ア
   ナログスイッチの持つ抵抗分は原波形の正確性を維持でき、音楽信号のリニアリ
   ティーに影響を持たないのである。
(3)特に小音量時に威力を発揮する、リニアリティーに優れたボリューム操作が可能
   である。0.5デシベルの繊細なボリュームコントロールが可能でDACのアッ
   テネーション・スケールのようにリニア・ステップではなく、CS3310は5
   デシベルステップの対数ステップで設計されている。

 更にコヒレンスの静粛性を特徴づけるものとして、マイナス95.5デシベルの範囲
を持つメイン・アッテネーターに続くバッファーアンプを搭載している。このバッファ
ー部はゲインコントロールが可能な抵抗ディバイダーを持っており、これがボリューム
コントロールの範囲を更にプラス31.5デシベル増やしている。つまり0デシベル以
下はアンプのゲインも0となり、完璧主義者を満足させるものだ。しかも、アンプのゲ
インの変化が音質に影響を与えないように補正コンデンサーの値は10デシベル単位で
変化するように設計され、ゲインの変化による周波数特性に影響はない。最後にコヒレ
ンスのために開発したCS3310の総合的な効果をまとめると、全高調波歪率とノイ
ズについては精密な高性能オーディオ用測定器の残留ノイズと同程度の低さである。従
って歪率を測定できるものはなく、ノイズは測定側のそれを観測することになってしま
うのである。カーボン系の抵抗が音楽信号の経路に横たわり、慴動ブラシとの不安定な
接触点に音楽信号を通さざるを得なかった旧来方式のボリュームコントロールをコヒレ
ンスは採用しなかった。これもより高い完成度と未来を予測しての事なのです。」なる
ほど・・・。と感心してしまった。果たして、ここまでの資料が輸入元で製作するカタ
ログ、あるいは数々のオーディオ雑誌に掲載されるかどうかは予測しがたい。しかし、
わざわざ日本に滞在中に電話で資料を送るよう本社に指示ををして下さったジェフロー
ランド氏の誠意に答えるためにも、敢えて長文になることは覚悟の上で設計者の思想を
ご紹介した。

第五章『対症療法』

 私がハイエンド・オーディオを現在の拠点で取り扱うようになってから、明確な記憶
の中で素晴らしいと評価できるプリアンプは2機種あった。一つは、ヘイルスのシステ
ム1リファレンスで試聴した米国MFA社のMCリファレンス(248万円)である。
管球式でありながら静粛性が素晴らしく、ともすればソリッドで鋭角的な印象が先行し
がちなヘイルスへ〈しなる柔軟性〉を吹き込んだように実にうまく鳴らしてくれた。も
う一つは、ティールのCS5で聴いた米国のサザーランド社の第一号機であるC100
0(230万円)である。まるで色鮮やかではあるが写真という紙の上で油絵を見た後
で、肉筆のオリジナルを見た時のようにティールの精緻な音像表現と空間表現がぐっと
厚みをもって聴こえた。しかし、大変残念ながら現在は両機種とも生産はされていない
模様だ。さて、私の信条からすると「プリアンプは何が良いのか。」と問われた時には
、そのお客様がプリアンプに対して何を望んでいるのか、という質問から答えを導き出
していくのが常である。つまり、「今の音はこうだから、こうなるようなプリアンプは
何か。」何らかの不満があり、それを改善するための方法として自己分析しながらお考
え頂くのだ。こんな場合は対症療法となる。何故かと言えば、不満に思う症状が原因で
あり、その症状のみを抑えることが目的となるからだ。多くの場合、その原因はスピー
カーとパワーアンプの選択が好みに合っていなかった事にある。こんな時には、スピー
カーとパワーアンプの個性が志向している方向と反対側の個性をプリアンプに求めたり
するわけで、いわば中和作用を狙った選択となる。従って、ニュートラルな印象よりは
目的に合った反対方向の個性を意識的に採用する事になる。しかし、「現在のシステム
には特に大きな不満はない。だけど、自覚症状がないだけでプリアンプ以外のシステム
はもっと素晴らしい潜在能力を持っているのではないか。」こんなケースは、正にコヒ
レンスのために用意された活躍の場なのだ。対症療法的に一つの個性を中和する事では
なく、コヒレンスは音質を表現する全てのオーディオ用語のどれに対しても中立を保ち
高度な完成度を有する貴重な存在なのである。言い替えれば、色を塗り潰してしまうた
めに色を上塗りするということではなく、そのをキャンバスからはぎ取ってしまうプリ
アンプと言えるであろう。従って、コヒレンスを所有するということは、それ以外のス
ピーカーやパワーアンプについての見直しを迫られる覚悟が必要になる。それに挑戦す
るか否かは皆様の選択ということになるが、対症療法ではなく根本的な体質改善の手段
であるとお考え頂きたい。本章の冒頭に述べた二機種に次ぐ第三のプリアンプとして、
コヒレンスを自信を持ってお勧め出来る裏付けには単純だが大きな理由がある。それは
、私が通信販売のように電話と電卓だけで商売をしているのではなく、毎日ここでコヒ
レンスと共に仕事をしているという事である。「恋焦がれた女性との、結婚前の同棲生
活と同じだ。」と例えたら、ジェフローランド氏に怒られてしまうだろうか。
                                    【完】


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