第二十一話「音楽を切り取ったジグソーパズル」
第一章『反論の狼煙』 「先ず最初に、私はエンジニアであって政治家ではありませんので、日本の方々が考 えられていることを正すのには不利な状況にあることを最初にお断りしておきます。」 昨年の夏頃であったと記憶しているが、この謙虚な出だしで始まるメッセージの一文が 私の手元に届いた。この文章は非公開であって、我々の業界の内部にあってもこの存在 を知っている人間は一桁の数であると思う。私も同業他社、マスコミ関係はもちろん、 自社の社員にさえも見せることをはばかった手紙なのである。この手紙の主は、何を隠 そうあのジム・ティール氏その人からの一文であったのです。現在では、名実共に高級 スピーカーのメーカーとして知られるようになったティールについては、会社のプロフ ィールとその製品群について雑誌を通じて色々な情報を目にしておられることと思う。 同社のフラッグシップ・モデルであるCS5が輸入され始めたのが三年前であるが、昨 年の春辺りからこのCS5とCS3・6の間に位置する仮称CS4の開発を手がけてい るという情報が入ってきたのである。さて、事の発端はこのCS4の開発に際して大口 径のパッシブラジエーターを搭載する予定であるというティール社の構想に対して日本 側が示した反応が、いささかジム・ティール氏の癇に触ったらしいのだ。このパッシブ ラジエーターをどの様に理解したら良いのかは、前回の『音の細道』第二十話で私なり の簡単な説明をしているので、ぜひ読み返して頂きたい。しかし、このパッシブラジエ ーターについては、調べてみると結構古くからスピーカー作りに使われてきたテクニッ クである事がわかってきた。スピーカー・マニュフャクチャラーとして大変な歴史を持 つ老舗であるJBLを例にあげて、パッシブラジエーターの起源をひもといてみた。同 社は1960年にLE(リニア・エフィシェンシー)シリーズの第一号システム、ラン サー33を発表している。このJBL初のブックシェルフ型スピーカーのために開発さ れたユニットが20センチ・フルレンジとして有名なLE8である。そして、このフル レンジ・ユニットの名器は2年後の1962年にコーンの質と形状に改良を受け、D1 30と同様なアルミのセンタードームを装着されLE8Tとして生まれ変わるのである 。これを搭載した新製品はモダンな超薄型のエンクロージャーを採用し、ランサー54 「トリムライン」という名称で発表された。このLE8Tのペアマッチとして開発され たのが、同口径の20センチ・パッシブラジエーターでPR8なのである。何と、33 年前のことだ。その3年後、JBLでは38センチ口径のPR15を名代の名器C50 「オリムパス」のシリーズに採用し、3年後にはランサー54と同じユニットを搭載す る超小型スピーカーL75「メヌエット」とパッシブラジエーター採用のシステムが続 く。C50「オリムパス」の時代に開発されたPR15には、70年代になってから再 び活躍の時代が到来する。素材に改良を施されたPR15Cという型番に改められ、3 6センチ・ウーファーのLE14Aとコンビネーション化され1979年に発表された L220として脚光を浴びることとなる。そして、当時のヨーロッパを代表するモデル の中でも、パッシブラジエーターをうまく取り入れていたメーカーがあった。セレッシ ョンがそうだ。現在のセレッションのスピーカーからは想像も出来ないことだろうが、 「ディットン」というネーミングのシリーズと、ULシリーズが思い出される。この中 でも、16センチ・ウーファーと同口径のパッシブラジエーターを搭載したUL6とい うモデルが大変印象に残っており、UL6の清楚で上品な音色が気に入って、当時の店 頭で好んで聴いていたヘンデルの「水上の音楽」が大変なつかしく思い出される。私の 記憶が正しければ、このスピーカーが日本に紹介されたのは、確か1976年から77 年にかけてであった。この1977年という年はトーマス・エジソンが蓄音機を発明し てからちょうど百年目であり、これと時を同じくしてアメリカの東部ケンタッキー州レ キシントン市の郊外にティール社は誕生しているのである。この時期の日本では家電メ ーカーがオーディオ製品を作るようになり、テレビコマーシャルにも盛んにシステムコ ンポが登場し、ステレオの普及が一種のブームとして世の中を賑わしていた。私はこの ティール社が創立された77年に現在の会社に入社しており、偶然にも同社が成長して きた期間の同世代の業界人として仕事をしてきたことになる。さて、これら60年代初 頭から登場していたパッシブラジエーターは70年代から高級スピーカーに取り入れら れてきたわけだが、当時の雑誌を含むカタログなどの表現ではパッシブラジエーターが 搭載された理由が次のように語られていた記憶がある。「パッシブラジエーターの採用 により量感のある低音再生が可能。」「低域の放射面積をパッシブラジエーターによっ て拡大、小型ながら迫力の低音再生を行う。」また、別名ドロンコーンと称される場合 も多く、その意味を「ウーファーのユニットから磁気回路を取り去り、軽く反応するコ ーン紙のみを残したもので、エンクロージャー内部に対するウーファーの背圧で振動( 励振)し低音を放射する仕組み」と定義されていた。つまり、当時の設計者が技術的に どのようなレベルであったかは定かでないが、設計者の意図とは別にこの時代の日本で は「自分自身で駆動機構を持たないウーファー」という位置付けで、低音の量を補い追 加する目的というのが一般論であったようだ。しかし、確かに時代の変化進歩というも のを認めた上で考えれば、当時の製品群に独特の雰囲気は認められたものの「個性的演 出」の領域を脱しているとは思えない。低音の量は確かに増えたが、膨らんでしまい分 解能に劣り、質的に重厚さはなく、低域の過渡特性が鈍く立上りが遅く余分に思える付 帯音を引きずる傾向、大きい音量ではパッシブラジエーターが追随出来ず共振してしま う、などのデメリットが感じられる場合も多々あった。現代的な表現を借りれば「スピ ード感に欠ける」「反応が遅い」ということになるのだろうか。言い替えれば、このデ メリットとしてあげられる現象を対象語として表現出来るものが、現在のハイエンドス ピーカーとして評価されているのではないだろうか。 第二章『怠け者との出会い』 1977年、ティールは設立と同時に最初の製品を発表した。モデル01という2ウ ェイ小型ブックシェルフ・スピーカーで、エンクロージャー容積と搭載出来るウーファ ーの大きさに限界があるために、アクティブイコライザーを付属させて低域を補正して いるのが特徴である。そして、78年には最初のマルチウェイ・ダイナミック・スピー カーとしてモデル03を誕生させている。このモデル03がティールの原形というべき スピーカーで、傾斜させたバッフルを採用し位相と時間軸の 補正を行って「コヒレン ト・ソース・ラウドスピーカー」という設計思想を打ち出した最初の製品となった。こ のモデル03に対して、七九年七月に刊行された米国のオーディオ専門誌アブソリュー ト・サウンドの第一五号で、同誌編集長のハリー・ピアソン氏が大変な評価を与え絶賛 していた事実がある。そして、この年にモデル03の発展型としてモデル04を開発し ており、同社はこの04で初めてパッシブラジエーターを搭載するのである。しかし、 不思議なことに91年に発表されたCS22までティールは、パッシブラジエーターを 採用しないブランクがあったのだ。この理由をジム・ティール氏本人に問い合わせたと ころ、「生産コストを抑えるため。」と単純明快な答えが返ってきた。この意味合いを 探っていくと、1983年にコヒレント・ソースを型番に取り入れたCS3を発表し、 フロントバッフルを傾斜させる事に加えて不要輻射をなくすためにラウンデッドバッフ ルを採用。ユニットにはダイキャストフレームを使い、ネットワーク用の高品位パーツ の採用と進化の加速度がついてくる。1986年には、ジム・ティール氏が自ら妥協を 排したユニットのデザインを行うようになり、より低歪率化を目指し磁束の安定化を図 りウーファーとミッレンジ・ドライバーを改良してCS3・5を発表しヒットさせてい る。88年には現在のCS1・5の原形となるCS1・2を発表しビジネスの面でも商 品構成を充実させている。このCS3・5からCS1・2を開発していた二年間でジム ・ティール氏の頭脳はハイエンド・モデルの開発に向けて様々なノウハウを蓄積してい たのである。そして、89年には、ティール・ウルトラトゥイーターと称する高域への エクステンション、ケブラーコーンのミッドレンジユニットの採用、マーブルポリマー という新素材バッフルの採用、位相と時間軸をアライメントする九一のエレメント数を 擁する高精度ネットワーク、これらの総合的なアプローチによって完成されたCS5の 登場によりハイエンド市場でのティールの評価が不動のものとなった。これらの背景事 情から、パッシブラジエーターの採用にブランクがあったことを好意的に解釈出来るの である。さて、この後にティールはユニークなダブルコーンを採用したCS22で再び パッシブラジエーターを組み込んだシステムを発表した。そして、このダブルコーン技 術をミッドレンジに転用してアルミニウムを素材とするウーファーとパッシブラジエー ターを搭載して、92年の発表のCS3・6へとつながっていくのである。ここで、ユ ニットの駆動方式として注目すべき変化が起こっている。ティールの技術資料によると 、「ダイナミック型ドライバーのダイナミックレンジに限界を与える最も基本的な制約 条件は、ドライバーのダイヤフラムを駆動するボイスコイルがピストン運動のある量を 超えると、磁気ギャップの範囲から外れてしまうことから発生するダイヤフラムの可動 幅の制限である。CS5の3個のウーファーは、すべて磁気ギャップの幅よりも12m mも長いロングコイルを使用している。」と解説されている。そして、CS22のダブ ルコーン・ウーファーも同様なロングボイス・コイルを採用し高出力を得ている。しか し、CS3・6のダブルコーン・ミッドレンジ・ユニットからは、まったく対照的なシ ョート・ボイスコイルへと駆動方式を変更してきたのである。特にCS5の最低域を受 け持つサブ・ウーファーには独特の「マス・ローディング」とよばれるウェイトを取り 付けて低域の更なるエクステンションを図っているため、音量をあげていくとかなり大 きな振幅を発生することからもロング・コイルの必要性が推測出来る。ただ、ロング・ ボイスコイルを採用した場合は、磁気回路を慎重に設計しないと磁気ギャップの両端に 磁束の不均衡な個所が発生して歪率の限界を生む原因ともなりえる。最新モデルのCS 7では全帯域がショート・ボイス・コイルによる駆動方式に変更され、リニアな磁束の 範囲を拡大する磁気ギャップを作る磁気回路の設計に成功した成果を素直な形で取り入 れている。これらの変節はジム・ティール氏がユニット設計の自由度を高め、結果的に はCS7のウーファーをティールで自社生産するようになった進歩の過程から説明の出 来る事である。いずれにせよティールとしては、このようなパッシブラジエーターの採 用に自信と実績を持っているのだが、前述のパッシブラジエーターのデメリットとして 「スピード感に欠ける」「反応が遅い」という表現をした通り、ドロン(怠け者の意味 )コーンと呼ばれていた命名の由来に誤解のもとがあったのだろう。このドロンコーン と呼ばれていた時代の印象が、なかなか拭いさることが出来ない先入観があり、ティー ルが当時開発を進めていたCS7に対して日本側が危惧を表明したところが、冒頭のテ ィール氏からのメッセージによる反論のきっかけとなったのである。 第三章『ABOUT PASSIVE RADIATOR vs PORT』 「先ず、低域周波数帯域において、どちらもリフレックス型に属するパッシブラジエ ーターとバスレフポートは数学的にみても全く同じ性能を示すことは周知の通りである 。両者の働きに違いがあるなどとは世界中の誰もが理解出来ないことです。(現にティ ールが輸出している多数の国々からは、何の議論も持ち上がっていない)私が察すると ころでは、日本のオーディオ界で影響力のある人が間違ったことを提言され、それが日 本での定説となってしまったのではないかと思われます。」ジム・ティール氏はメッセ ージの序章として、議論の原因を推論としてこのように指摘をしている。私が思うに、 現代的な評価を前提にして、残念ながらパッシブラジエーターを採用したモデルに対す る印象は、第一章で述べた思い出があるばかりで、パッシブラジエーターに対する既成 概念を突き崩そうとするメーカーが今まで無かった事も事実である。また、1979年 に期せずしてパッシブラジエーターを搭載したJBLのL220と、ティールのモデル 04がアメリカではほぼ同時期に発表された。しかし、それから10年以上はティール も認めるとおりのブランクがあった訳だ。この期間は「コストを抑えるため」というテ ィール氏の返答通り、パッシブラジエーターという方式は生半可な取組み方では成功し ないという難しさを認めるべきであって、現在のティール社の経営的安定があればこそ 彼らも90年代になってから本格的に取り組んだ結果が成功したということだ。従って パッシブラジエーターという方式を採用した成功例に、なかなかお目に係れなかった時 代に日本側は判断の基準を見定めることが出来なかったということではなかろうか。さ て、ティール氏は次第に核心に話を進めていく。「ある方はパッシブラジエーターは遅 いと思われていますが、ポート方式では空気の質量がそこに存在するにもかかわらず、 それが目に見えないのに対して、パッシブラジエーターの場合そこに実際の物理的な質 量(mass)が見えてしまうためにそう思われるのではないでしょうか。事実パッシ ブラジエーターの質量は、それと同一サイズのポートが持つ空気の質量と全く同じなの です。もっともパッシブラジエーターと同じ周波数にポートチューニングを施すと、数 メートルにも及ぶ極端に長いポートサイズになってしまいすが。いずれにせよ質量は反 応を遅らせることはありません。実際には質量を小さくすると結果的にブーミーな音に なり、質量を大きくするとベースは過度にタイトでドライな音になります。両タイプの スピーカーにおいてはポート(又はパッシブラジエーター)の質量、ドライバーユニッ トのダンピング、キャビネットのサイズ、そして様々なパラメーターを入念に、そして 正確に設計することによってのみ正しい結果が得られます。」なるほど、と思わせるよ うな技術者らしい解説が続く。要は、数学的物理的に相当緻密な計算の上で決定すべき 要素がパッシブラジエーターの設計では肝心なのだ。確かに今まで聴いてきたパッシブ ラジエーターは軽かった。ドライバーユニットの能力が現在ほどではなかった時代は、 能率を重視すると仕方が無かったのだろうか。ティール社のスピーカーデザイン部門で は、コンピューターを駆使して様々なシミュレーションを行っている写真を見かけたこ とがある。少なくとも70年代に存在していたコンピューターの能力と、その使いこな しについて現在と大きな隔たりがあった。また、聴感上のポイントでこんなことも語っ ている。「他に重要な事で理解しなければいけないことで、スピーカーの特性が低域側 に延びた場合、それがより自然でリアルであっても、その音はむしろゆるやかで「タイ ト」ではないということがあります。より「タイト」な音を演出する事は、超低域を減 らし倍音を残し、そのことを強調して聴かせることによって可能です。大きなエネルギ ーを持つ楽器(パイプオルガンやベースドラムなど)で、その音が「タイト」なものは 存在しません。」これは間違いの無い事実です。しかし、ここでティールの物作りの方 針で、明確にしておかなければいけない事を私なりに補足しておく。例にあげられたパ イプオルガンとベースドラムについての録音環境と、その音楽的な傾向を一緒には出来 ないということである。言い替えれば、ティールは純然たる家庭用であって、レコーデ ィングスタジオで使われるモニタースピーカーとは違うということだ。パイプオルガン は、その性格上スタジオに持ち込むことは不可能で必然的に録音は教会やホール内で行 われる。加えてマイクセッティングについても、パイプのリード部分にあてがうような 至近距離で収録するのではなく、ホール・エコーといっしょに収録する事が大半だ。し かし、私達が聴くベースドラムの演奏はどうだろう。決して、教会やホール・エコーを ふんだんに含んだ録音ではない。スタジオの壁に埋め込まれた高能率のモニタースピー カーが、ドラムの皮になりかわって目の前でヒットされなければならないのだ。このス ピーカーと同じレベルの音圧を求めようとする、あるいは比較することでティールの感 性を感じ取ろうとしても見当違いであると思う。ティールの音を例えるならば、ドアを 開けて入っていった部屋は録音スタジオのミキシングルームではなく、演奏者が演奏し ている部屋でありホールであるということをぜひご理解頂きたい。つまり、ティールは 楽音が放たれて消えていく空間を一緒に再現することに、その存在価値があるといえる のである。さて、このような分析をした上で、私の考えが独断と偏見でないことをどう やって証明しようかという衝動が頭を持ち上げてきた。「そうだ。理屈よりもお客様に 聴いてもらおう。」ということで、昨年の9月2日に当時のAEXルームで試聴会を開 催したのである。当時CS7はまだ完成していなかったのでCS3・6と、同価格帯の ポート方式の代表としてフランスのJMラボの自信作「ベガ」を低域を中心として比較 したのである。私が選曲した低域にポイントがあるパートを再生して、二〇名の参加者 に挙手でそれぞれの好みに投票してもらうという単純な方法だ。ジャズ、ロックからク ラシックまで、様々な演奏を一八曲も比較した。総得票数でティールのCS3・6は1 72票、JMラボのベガが181票と、ほとんど差がでなかったのである。しかも、大 きく予想に反したことで、ドラムスやウッドベースといった楽器の録音ではティールを 支持する人が多い場合には70%もあり、パッシブラジエーターは遅いと言った人が同 席していたら赤い顔をしたのではないかという結果になった。ジム・ティール氏が居合 わせたならば、多分満面に笑みを浮かべたのではないだろうか。まとめとしてジム・テ ィール氏のメッセージはこのように結ばれている。「それでは、レフレックス型が同じ 特性を示すのにティールはなぜパッシブラジエーターを採用しているのでしょうか。そ れはパッシブラジエーターが、次の二つの点でポートのもつ問題点を解決しているから です。 (1)ポート管が独自(オルガンパイプと同様)な共振を持っており、測定上でも聴覚 上でも500Hzから1,000Hzの中音域に「色付け」として現われるから です。それは、それほど大きな問題ではないのかもしれませんが、私達はそれを 取り去ることに価値があると考えました。 (2)ポートはポート内部の乱気流と、キャビネット内部よりポートを通って逃げる風 のノイズによる影響を受けてしまいます。ポートを使用することはティールにと っても安易で低コストですが、それより割高になってもポートによる問題を解決 し、よりよい結果が得られるのであれば私達は価値のあることと考えました。 私の以上の説明で、日本の皆様がパッシブラジエーターに対しての考えを、少しでも 変えられることを期待します。」 第四章『寡黙なエンジニア』 平成6年10月26日午後7時、私のフロアーは平日にもかかわらず詰めかけたお客 様で一杯で、今や遅しとジム・ティール氏の到着を待ちかねていた。十日ほど前に、シ リアルナンバーの1番と2番のCS7が日本に到着していたが試聴会当日の一時間前ま で雑誌の取材があり、主役が二人とも到着しないもどかしさで私もいささか緊張気味で あった。もちろん、私もじっくりと聴いたことは無く、販売店においてCS7の音を出 すのは初めてである。皆様が既に着席している中でやっとCS7が到着した。あらかじ め決めてあった当フロアーのベストポジションに慎重に置いた。約92kgはやはり重 たいが、世界に1セットしか音の出るCS7は存在していないので当然の事ながら慎重 になる。この後も、すぐに搬出して大阪のオーディオショー目指して車で向かうという のだから輸入商社も楽ではない。そして、いよいよジム・ティール氏が輸入元株式会社 アクシスの本間社長と室井専務に案内され到着した。よく雑誌でもお見受けするマーケ ティング・ディレクターのキャシー・ゴーニック女史もご一緒である。大変上品な起居 振舞で美しい女性であり、アメリカのハイエンドオーディオ界でも存在感を発揮してい る典型的キャリアウーマンである。普段は男ばかりのイベントにパッと華やぎが加わっ た。一度私のイベントに参加して頂ければわかるのだが、このようにゲストを迎えた場 合には、私は徹底してユーザー側の立場で司会進行をすることにしている。低域側から ユニットの説明を求め、まず問題のウーファーとパッシブラジエーターについて、クロ スオーバー周波数から聞いてみた。「ウーファーはマイナス6dB/オクターブで上と つながっており、クロスは100Hzです。」ウーンッ、ずいぶん低いところで使って いるんだと感心した。第一章でも引合いに出したJBLのL220に搭載されたLE1 4Aは、800Hzがクロスオーバー周波数として使われていた。パッシブラジエータ ーのPR15Cは、JBL独特の塗布型ダンピング剤がコーン紙の表面を覆っているの だが、指先で叩くとカンッカンッと比較的高い周波数の音がして反応良く動いていたの を思い出す。一般的に言って、形の大小を問わず2ウェイスピーカーのクロスオーバー 周波数は、おおかた一キロHzから三キロHzの間に設定されているものが多い。これ が3ウェイ4ウェイになったとしても、250Hzから800Hzでウーファーを切っ ているものが大半である。ましてや100Hzという、サブウーファー的な領域で低域 のユニットを駆動させている例はごく稀である。ところで、最近ガルネリオマージュを 発表して脚光を浴びているイタリアのソナース・ファベール社では、独特の使い方でパ ッシブラジエーターを搭載したエクストリーマーを91年に発表している。エクストリ ーマーは、ダイナオーディオの創始者であるスコーニンというエンジニアが始めたスキ ャンテック社のユニットを採用しているわけだが、クロスオーバーが二キロHzで設定 され何と許容入力が1200Wもあるという高性能19cmウーファーを擁する2ウェ イスピーカーとして高く評価をされている。このエクストリーマーの背面には、B5サ イズ位の小判型で楕円形のパッシブラジエーターが搭載されているのだが、5段階のダ ンピングコントロールが可能なロータリースイッチが設けられている。これは簡単に言 えば、パッシブラジエーターの振動板にスピーカーの磁気回路とボイスコイルを取付け 、通常ならアンプを接続すべきボイスコイルの終端に5段階の各設定値の抵抗を装備し たロータリースイッチを取り付けたものだ。この場合、抵抗値が下がればショート状態 に近づきパッシブラジエーターのダンピング量が大きくなり放射される低域を抑える傾 向となり、逆になれば振動板の反応は開放される方向に向かうわけだ。しかし、あくま でもボイスコイルと磁気ギャップは非接触であるので、放射される音圧を振幅をもって 制御しようとしているので共振点の移動は避けられるわけだ。それではエクストリーマ ーのパッシブラジエーターは、動作の中心周波数である共振点をどのように設定してい るのだろうか。正面のトゥイーターとウーファーのクロスオーバーが二キロ に設定し ている割に、何と45Hzというごく低い周波数なのである。当然各種のパラメーター を検討の上でパッシブラジエーターの質量を、前述のボイスコイルとそのボビン等の質 量を含めての設計をしている事と思われる。しかも、ドライバーであるウーファーが二 キロHz以上の周波数もマイナス6デシ/オクターブの割合で放射しており、その背圧 を受けて振動するパッシブラジエーターの原理からすると中高域のエネルギーも当然の ことながら巻き込んでしまうこととなる。そこでエクストリーマーでは、パッシブラジ エーターから数センチ浮かせたところに無共振反射板を取付け、機械的なハイカットフ ィルターを設けるという小技を用いている。この点ティールのCS7は、ウーファーを 100Hzでマイナス6デシ/オクターブで設定しているために、パッシブラジエータ ーの中高域に渡る不要輻射の心配は大分軽減される。だからこそCS7のパッシブラジ エーターの共振点を、25Hzと極めて低い帯域に設定することが可能になったわけだ 。また、このアルミニウム素材にアルマイト加工を施した30cmウーファーは総重量 が約15kgもあり、そのほとんどを12.7kgの超大型マグネットが占めている。 一般的なウーファーのコーンの中央にはセンタードーム(ダストキャップとも呼ばれる )が取り付けられているのが思い出されるが、CS7のウーファーの中央部には硬質樹 脂をヘアライン仕上げしたドーナツ型の突起が数センチも飛び出している。これは何か 、とジム・ティール氏に質問したところ、「二つの目的がある。マイナス6デシ/オク ターブで中高域まで倍音が放射されるので、一つはフェーズプラとして働くディフィー ザーの役目を持った造形物であり、二つ目はユニットの取付け強度をサポートしていま す。」この二つ目の役目という意味を解釈するのには、更に説明を求めなければならな かった。金属粉を混入させて成型した、30kgもあるレジンコンクリートのフロント バッフルは、高剛性で制振性が高くエネルギーの蓄積が少ないという大きなメリットが ある。しかし、いかんせんコンクリート素材であるということ自体で機械的な伸長圧縮 は一切ない。言い替えればストレスにはもろいわけで、本体が80kgもあり15kg ものウーファーをコンクリートの板に取り付けた構造だけだと、輸送中の衝撃には耐え られずにひびが入ってしまう可能性がある。このドーナツ型の突起の中を見ると、直径 で20mm近いボルトの頭が見える。何と指ほどの太さのあるボルトシャフトがウーフ ァーの内部を 貫通して、エンクロージャー内部の補強材に埋め込まれたナットまで 延 ばされ、内部からその荷重をがっちりと支えている構造なのだ。いやはや、事前のプレ スキットやカタログには何も書かれていなかったが、設計者ご本人に聞いてみると大胆 で緻密な設計に驚かされることがあるものだと感心した。さて、そのウーファーから一 キロHzまでを受け持つのが、同じくアルミ素材の16.5cmのメタルコーンのミッ ド・ローレンジドライバーだ。但し、見た目にはコーンの表面は露出しておらず、グレ ーの制動剤をコーティングしたキャストポリスチレンがコーンに充填され平面振動板と して見受けられる。この上の帯域で一キロHzから三キロHzを再生する、同軸構造の トゥイーターの外輪を囲む周辺部のドーナツ型のミッドハイ・ユニットも同様な「ウェ ーブガイド」と称する充填処理が施されている。これらは表面的な外見を持つ、平面振 動板の放射特性を狙ったものではない。全帯域に渡りショート・ボイスコイルとメタル コーンで質感の連続性を重視したCS7は、最高域を1インチ・メタルドーム・トゥイ ーターが三キロHz以上を一手に引き受けている。コーンを充填剤で埋めてバッフル板 の凹部を徹底して排除したのは、すべてこの働き者のトゥイーターの労働環境を良くし てあげようとする配慮からなのである。なぜかというと、三キロHzでの音波の波長は 、11.3cmであり、10キロHzでは3.4cm、20キロHzではわずか1.7 cm、となってしまう。同様に考えると各ユニットのダイヤフラムからは、このような 波長の音波が毎秒三千回、一万回、あるいは二万回と繰り返し放射され、球面を維持し ようと努力しながら広がっていくわけだ。この大変細やかでデリケートな高域の音の行 進が、何の抵抗もなく気持ち良く球面の原形を留めながら空気中に広がっていくために は、バッフル上に落とし穴があってはまずいのである。音波の進行拡散する方向に向か って、その落とし穴の音源に近い方の周辺部で一回、遠い方で一回、同方向に向かって いる円周部では例えが難しいような不規則性をもって乱反射が起こる。従って、せっか くの同軸構成でコヒレント・ソースの理論を完成させようとしても、その乱反射によっ て音像の肥大、フォーカシングの劣化、空間表現力の低下を招くことになるのだ。「ウ ェーブガイド」というネーミングの由来が、このような解説からご理解頂ければ幸いで ある。たぶんコンピーターによるシミュレーションとヒアリングによって、音波の放射 拡散特性を吟味した上での設計であると思うが、細やかな気配りには本当に頭の下がる 思いがする。また、古くからあるアメリカ製の多くのスピーカーは、10数年前からウ ーファーやミッドバスのユニットにウレタンのロールエッジを採用しているメーカーが 多かった。それが今になってみると、無残にも長期間の経年変化によって硬化してしま い、ボロボロと崩れてしまうものを多く見かけた。しかし、CS7に関してはプレーン ゴム系の素材によってエッジを構成しているため、日本の気候風土においても大変長い 寿命を維持するものと思われる。この辺はジム・ティール氏の発言を元にしての私の解 釈であり、ご本人はどちらかというと、必要最小限の言葉しか口にしない寡黙なお人柄 とお見受けしたのである。エンジニアが語るよりも、作品自体がその人の能力と感性を 代弁するという好例であろうか。アメリカだけでなく、世界的に認められる作品を世に 送り出した実績を分析すると、技術力一辺倒ではなく氏の人柄も大きな成功の鍵を握っ ていたという思いがする。ともあれ過密な滞在スケジュールの合間を縫って、一販売店 のイベントにティール社のトップが来訪して頂いた事に深く感謝すると共に、株式会社 アクシスのお力添えにもお礼を申し上げたい。 第五章『情報のレスポンス』 些細な点でも質問すると、ジム・ティール氏自らが即刻FAXで返事を届けてくる。 私も色々な海外製品を各輸入商社を通じて聴かせて頂いているが、本当に情報提供に対 するレスポンスには素晴らしいものがある。そのお人柄とCS7の音に初めて触れてか ら早いもので三か月たった。昨年10月に聴いたときには、CS7のパッシブラジエー ターの質量は150gで共振点は25Hzのチューニングであると言っていたのだが、 どうやら現在お借りしているシリアルナンバー1と2のサンプル機に対して更なる改良 が施されて量産化に入ったようだ。つい数日前に入った情報によると、パッシブラジエ ーターの質量は190gに増加し、共振周波数も何と19Hzに引き下げられ、当然の 事ながらネットワークもそれに伴った定数の変更が行われたらしい。また、100Hz から一キロHzを受け持つ平面型のミッドロー・ユニットのバックキャビティーも変更 されたらしい。100Hz以上を受け持つという事はエネルギーの大きな低音階のほと んどの楽器の帯域を再生する訳で、どうしても振幅が大きくなってしまう。このミッド ・ローレンジ・ユニットを取り外すと、直径が20cmもありそうなトンネルがエンク ロージャーの背中まで続いている。このパイプ状のトンネルの突き当たりに円錐形のコ ーンを取付け、振動板の背圧を吸収拡散する効果を付け加えたらしい。また、振動板は アルミ系の素材を一貫して採用しているのだが、それを駆動するボイスコイルを巻きつ けるボビンの素材は何かと質問した。回答はすぐ届いた。ボイスコイル・ボビンの素材 はカプトンであるという。ボイスコイル・ボビンの素材としては、一番安価なものはク ラフト紙のロールにコイルを巻いたものだが、高級スピーカーといわれる大半の物が現 在はこのカプトンを採用している。カプトンはアラミド繊維で有名な米国の化学会社デ ュポンの製品で、瞬間的には200度以上まで温度上昇してしまうボイスコイルに対し て、耐熱性に富んでおり剛性も高く軽量であり非磁性体であるというのが使われている 理由である。このカプトンを薄く引き延ばしてアルミリボンの裏に貼り付け補強材とし て採用しているのが、リボン型スピーカーで有名なご存じのアポジーである。さて、こ れらの紙やカプトンなどに加えて、もう一つボイスコイル・ボビンとして使用されてい るものがある。アルミニウムである。古くはダイヤトーンがDUDと称して、ダイヤフ ラムとボイスコイル・ボビンを一体成型したり、英国のAE(アコースティック・エナ ジー)社の得意とする9cmメタルコーン・ウーファーも同系統のメタルボビンを採用 している。しかし、メリットあればデメリットありで、その特徴を活かすように設計す るところがエンジニアの腕の見せどころとなる。アルミのボビンにコイルを巻いて交流 信号を流した場合に、ボビン内部でわずかながら「渦電流」が発生してしまうのだ。こ れがボイスコイルに反作用として働くために、ダイヤフラムを信号とは逆の方向へ制動 する微量な力が発生してしまう。従って、大口径のウーファーなどに使用すると反応が 鈍く締まりのない低音になってしまう可能性がある。しかし、ティールではトゥイータ ーにこのアルミ・ボビンを採用している。微量ではあるが発生する「渦電流」の存在を 知っている上での採用なのだから、きっとジム・ティール氏の頭脳では、禍転じて福と なすような根拠があったにちがいない。さて、この様な事前情報を分析しながら大変出 荷が遅れてしまった量産モデルの到着を待つこととなった。 第六章『ジグソーパズルの最後の1ピース』 平成7年2月1日待ちに待ったCS7のプロダクツモデルがやってきた。先ず外観上 では私が発注した「ナチュラルオーク仕上げ」が大変上品な白木の色合いで大変好感が 持てる。標準色の「アンバーウッド仕上げ」と二通りの選択により、インテリア的にマ ッチした仕上げを採用することが可能である。そして、ミッド・ローレンジ・ユニット の表面仕上げが変わっている。今まであったサンプル機は、キャストポリスチレン材の 発泡状の模様が透けて見える程度のグレーの塗り物であったが、量産機は薄いコールタ ールのようなしっとりとした感触のコーティング剤に変更されている。期待に胸膨らま せてセッティングを始めた。私のフロアーでは、スピーカーを置くステージはコンクリ ート基礎の煉瓦タイル仕上げになっているため、いきなりスパイクを取り付けてしまう と位置を決めるのに苦労してしまう。タイル・カーペットを敷いた上にCS7を乗せて 、とりあえずは音を出し始める。記念すべき第一声は、最近聴き込んでいるパリ管弦楽 団とセミヨン・ビシュコフ指揮によるビゼーの「アルルの女・カルメン」(PHILIPS PHC P‐5276)である。「アルルの女」第一組曲の冒頭「プレリュード」の出だしを聴いた瞬 間にアッと思った。過去の経験から同じ旋律を奏でるバイオリンを聴いた場合、優秀な スピーカーになればなるほど楽器の本数が目に見えるように聴こえてくることに判断の 基準を持っているのだが、CS7の描写力は凄まじいの一言につきる。例えるならば、 手編のザックリとしたセーターを手に取って見れば畝るような編みめを目にする事がで きるわけだが、数メートルと離れてしまうと、ただの色の塊にしか見えないようになっ てしまう。この瞬間に私が感じたイメージをこの例えで表現するならば、手編のセータ ーを目の前50cmの距離で見せつけられたものとご想像頂きたい。20数本のバイオ リンの弓が、極わずかな角度の違いがありながらも正確に同一の動きを繰り返している 情景が目に浮かんでくるのである。また、第2組曲の「ファランドール舞曲」では独特 のリズムを刻むプロヴァンス太鼓の響きが、パリ管特有の録音スタイルである長く尾を 引くホールエコーに相乗りする形で、ステージの奥から響き渡ってくる様子はまさに快 感である。さて、話は変わってしまうがジョルジュ・ビゼーが「アルルの女」を書いた のは1872であり、その2年後の1874年の秋にビゼー最後の歌劇となった「カル メン」が完成している。プロスペル・メリメ原作の「カルメン」は、盗賊やジプシーや 煙草女工が登場し、最後には恋人を殺すことになる筋書は、いかに脚本化されたとは言 え1875年の初演では決して好評とはいえなかったらしい。というのも、もっぱら当 時の主流を占めていた華やかな舞台と繊細で抒情的な音楽を聴きなれた聴衆には、あま りにも生々しく現実的過ぎたらしい。そして、ちょうどこの同じ年に誕生するのが、皆 様ご存じのモーリス・ラヴェルである。スペイン趣味が高じていたラヴェルは、189 5年に2台のピアノのための作品〈耳で聴く情景〉の第一曲として書いた〈ハバネラ形 式による小品〉を始めとして、1907年には〈スペイン狂詩曲〉の第三曲にも〈ハバ ネラ〉を登場させている。この三拍子と二拍子が組み合わされた「ゆったりとけだるい 感じ」の〈ハバネラ〉が、ビゼーの「カルメン」では第一幕でカルメンがホセを誘惑し て歌うアリアとして、妖艶で奔放なジプシー女の気質を表現している。このディスクの 15トラックに収録されている〈ハバネラ〉は、「ゆったりとけだるい感じ」という解 釈に付け足してダイナミックな余韻の拡散が特徴的である。パリ管とビシュコフという コンビは光沢と光彩を放つ演奏で〈ハバネラ〉を描いているのだが、その瞬間の強烈な 光が消え去った後に目に焼き付いたような残像を美しい余韻としてCS7は見事に再現 している。コヒレント・ソース理論の真の目的は、音源を集約し定位感と音像表現を細 密化していくだけでなく、情報としての微細な余韻を表現するのに位相と時間軸のコン トロールが如何に大切かを実証したものといえる。そして、次には3年前にCS5が登 場したときに再三聴いていた、大貫妙子のヴォーカルを聴きながらCS7の位置と角度 を調整していった。オーケストラにおいて音場の広がりを十分に確認し、センター定位 のヴォーカルによってスピーカーのセッティングを進めていくのは私の常套手段である 。案の定、スピーカーの間隔が少し広いことが直ぐにわかった。両スピーカーを30c mほど狭めて内側に振る。テレビのゴーストのようにダブっていた口元が、目の前でピ タッとフォーカスを結ぶ変化が手に取るようにわかる。この時のスピーカーとの距離は 約3m程度、気がついて見るとCS7の間隔も同様な3m程度まで狭めていたことにな る。前回の随筆第二〇話でも述べているように、歌手の喉元を何の抵抗もなく伝わって くる息ずきとバイブレーションが感じられる。ここにもコヒレント・ソース理論の第二 の実証例が見受けられる。CS7は瞬時に移動する音階、言い替えれば再生周波数の瞬 間的な変化を繰り返す音楽再生において、複数のユニットを同時駆動するマルチウェイ ・スピーカーでありながら、位相の完璧なまでの整合によってエネルギーを相殺するこ とはない。つまり、複数のユニットがある音階を共同作業によって再生するという宿命 上、位相のずれによっておこる部分的周波数の音圧の低下がないのである。これをビジ ュアル的に例えるならば、シャッタースピードが二万分の一秒程度で撮影された、ユニ ットの振動板の挙動を超スローモーションで見た場面を想像するとよいと思う。単純な ピストンモーションを繰り返している振動板が二つか三つあるとして、その前後運動が ピタッと足並み揃っていることが大切なのである。位相がずれるということは、この足 並みが揃わずに出遅れてしまう振動板があるということだ。そうすると、振動板が作り 出す気圧の上下変化が互いに相殺しあってしまうという理屈がわかってくるのではない かと思う。この様にコヒレント・ソース理論の目的が、精密さを伴う音場感の拡大と、 音像の核心に及ぼすエネルギー感の再現性という、相反するような二つの大きな効果を あげていることを実感されたのである。こんな経過を経て大体の位置が決まってきたと ころで、イーグルスの再結成ライブアルバム「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」を聴き 始めた。 オリジナルの雰囲気を残しつつ、アコースティックなアレンジの 〈ホテル・ カリフォルニア〉は最近の試聴曲として多用している。まず、いやがおうでも思いしら されるのがイントロでのギターの美しさである。そして、スタジオでオーバー・ダブし たと思われる鮮明で重厚な、広々とした響きを伴う低音のリズム楽器が入ってくる。「 やはり、これも違うぞ。ウン、イイ!」と直感でわかる変化がある。ヒットする低域楽 器はわかった。問題はオルガンだ。たてつづけにパイプオルガンの入った曲を三曲かけ てみた。第五章で述べたパッシブラジエーターのチューニングの変化が好意的に実感さ れた。膨らまないのである。エンクロージャーの設計いかんではオルガンの低域が唸り 正体なく膨らんでしまうのだが、CS7は肝心なオルガンの管共振が発する脈動を正確 無比に、しかも心地良く響かせてくるのである。十分に重みを感じさせながら、パッシ ブラジエーターの存在を感じさせないほどの過渡特性を発揮している。ジム・ティール 氏は冒頭でご紹介したメッセージの具体例としてCS7を作り上げた訳で、ここに至っ てパッシブラジエーターをめぐる数々の議論に対してCS7が実証例を提供し、過去の あしき亡霊であった先入観を見事に葬り去ってしまったのである。それでは、とアナロ グレコードを試してみた。プレーヤーはセイコー・エプソンのΣ5000、フォノイコ ライザーはFMアコースティックのFM222、プリは同じくFM266、パワーは同 じくFM411というラインアップである。LPレコードは、この日のために私のコレ クションを自宅から持ってきたものだ。ちょうど一〇年前のジョージ・ベンソンのアル バム「20/20」からこの一曲を選んだ。A面ラストの「BEYOND THE SEA(La Mar)」 である。そもそも、この〈ラ・メール〉はシャルル・トレネが作った古いシャンソンで あるが、フォー・ビートのジャズ・ヴォーカルとしてアレンジされており、今聴いても 新鮮で魅力的だ。しかも、ギターのフレディー・グリーンやフランク・ウェス、ベニー ・パウエルといったカウント・ベイシー楽団のメンバーが多数起用され、ジョージ・コ ールマン、ジミー・ヒース、ジョン・ファディス、スライド・ハンプトンといった黒人 ジャズメンがサイドを固めるという豪華な顔ぶれの曲だ。ピアノのイントロからしてカ ウント・ベイシーを思わせるリードを見せるが、このピアノの伸びやかさと揺らぎのな い余韻はさすがである。「これがLPの音なのか!」と思わせる安定感があり、ジョー ジ・ベンソンのヴォーカルが見事に眼前に浮かび上がる。再生周波数帯域が広いという メリットをアナログに認めるならば、コヒレント・ソース理論の熟達が花開く独壇場で あり正確な描写力によって、これっぽっちのにじみもなく展開するヴォーカルとシンコ ペーションをきかせたバックバンドは壮観の一言につきる。CS7で聴くアナログサウ ンドは、芳醇な空間情報の中に緻密な立体音像を描き出し、何の抵抗もなく空気中に拡 散するエコーが大変美しい。アメリカで毎年行われるCESに出品メーカーの多くは、 デモンストレーションの半分でアナログを使用しているらしく、ティール社の試聴室に もアナログプレーヤーがセットされていたのが思い起こされる。優秀なスピーカーにと ってはAもDも関係なく、ただただ完成度の高さに驚かされるばかりだ。CS7のサン プル機を聴きながら、あるいはジム・ティール氏からのメッセージと技術的質問に対す る明確な解答の数々を含めて、これまでの期待と推測というジグソーパズルをコツコツ と1ピースづつ填め込んできたような充実感がある。完成したCS7の音を聴いて数分 後には大変な満足と喜びが感じられ、気が付いてみたら最後の1スペースに残りの1ピ ースを填め込み、演奏者とステージが描かれている完成したパネルがそこにあった。試 聴を終えてから輸入元の担当者に、ジム・ティール氏へ一言だけメッセージを伝えてく れるよう頼んだ。「Congratulation!」 【完】 |
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