第十九話「オーディオのサムシング・エルス」
第一章『軽さを支える重さ』 平成6年11月4日、池袋のサイシャインシティープリンスホテルでは弊社が年に一 度開催するイベントであるマラソン試聴会の準備のため、20社以上のメーカーが搬入 の真っ最中であった。私もその中の一つの試聴室を担当しており、運び入れられる数々 の製品を手際良くセッティングしていくために頭の中はフル回転していた。そんな状態 の中で、とあるメーカーのプリアンプを台車に乗せて持って来る人を見かけた。私も仕 事上60kg程度は素手で持ち上げてしまうのだが、この忙しい最中にプリアンプ程度 を台車に乗せて来るとは何事かといぶかったのである。じれったくなった私は、「いい ですよ、ここからは私が持っていくから。」と、少々お年を召されているメーカーの人 にいたわり半分、情け無さ半分で言いました。「まったく、プリ一台をご大層に台車で 運んでいたんじゃ仕事になりゃしない…。」などと心中でブツブツ言いながら、そのプ リアンプに手をかけ…ウーン。「エッ、なんだコレ…。」持ち上がらないのです。それ を台車に乗せて来た人が心の中で、「それ見たことか。」と思ったかどうかはわかりま せんが、そのセパレート構造のプリアンプを一台ずつ運び入れたのは恥ずかしながら事 実である。これまでの職業上の認識から、片手で持てるのがプリであり、指一本で動か せるのがプリアンプではなかったのか。そのプリアンプとは、待つこと久しい待望のジ ェフローランドの新作コヒレンス( Coherence )である。電源部と本体の両方で40 kgを超える重量というから驚いてしまう。幅が44cm、高さ8cm、奥行き25c mの無垢のアルミニウム材の塊を彫り起こしてシャーシーは作られている。ちょうどワ ディアのD/Aコンバーターが同様な構造を取っているが、彫り残された肉厚には大変 な差がある。同様な素材を使っているサザーランドの製品も、ボトムとトップ、フロン トとリアー、両サイドパネルと組み上げる構造を取っていることからコヒレンスの独自 な着想に関心が高まる。そして、トップパネルは同社のモデル2と6、それにモデル8 SPなどで採用された、黄金分割比によって彫り込まれた分厚いパネルが填め込まれて いる。フロントとリアーのパネルも同様だが、フライス盤で切削加工された後が美しく 栄える。回路構成の詳細はまだ知らされていないが、特に完全バランス伝送という構成 上、本体のリアパネルにはぎっしりと入出力用のキャノン端子が並んでおり実に壮観で ある。 電源部と本体とはジャンパーケーブルで結ばれるわけだが、電源部にはバッテリー駆 動用の電池が内蔵されていることも重量の増加を招いている一因だ。ジェフローランド は既にパワーアンプにおいてバッテリー駆動を実現しており、その効果については幾度 も実感している素晴らしさがある。コンセントのパネルを取り外して屋内配線に使われ ているケーブルを見れば、建物の建築上で電気工事が如何にオーディオ的な配慮に欠け ているかがわかる。電源環境をこの段階で理想化するという行為に限界がある以上は、 バッテリーを採用することは、単純であるが得られる効果の大きさには他の手段とは変 えがたい魅力がある。さて、慌ただしいい喧騒の中では思いつかなかったことなのだが 、これと同じような経験をしていることを今になって思い出した。この10日ほど前の 10月25日、私のところへ一台のプリアンプが発表を前にして持ち込まれてきた。本 体は17.4kg、電源部が24.8kg、総重量が42.2kgという同レベルの重 量を持っていたこと思い出した。この重さの根底にあるものは、防振性に優れ磁気の影 響のない高精度加工を施した非磁性体砂型鋳物というシャーシーにある。この砂型鋳物 ときいてピンとくる人はかなりの情報通であると思われる。そうです、デンオンのPR A−S1が、この重量級プリアンプの正体だ。パワーアンプと同レベルの重量を持つ電 源部には大きな特徴がある。デンオンでは、このパワーサプライ・ユニットにピュアー パワージェネレーターと名付けた回路を搭載している。これは低歪率で高い信頼性を持 つ正弦波発振器の事を意味しており、その正弦波出力をUHC(ウルトラ・ハイ・カレ ント)MOSを使用したBTLパワーアンプで電力増幅するものだ。当然、自前の純粋 な波形を有する電源を用いる事になりAC電源からは完全にアイソレーションされ、A Cに混入している高調波ノイズや電源波形の振幅変動の影響から開放されている。更に 内部発振器によって電源周波数を100Hz、150Hz、200Hz、250Hz、 300Hzに設定することが可能で、コンデンサーの充電効率を上げることが可能とな った。 つまり、瞬間的な大電流供給能力が飛躍的に高くなったという事になる。結果的に商 用電源を直接使用した場合に比べて、次元の違う静寂感と余韻を正確に捉える空間表現 が可能になったという。電源部に内部発振器を内蔵するというアイデアは他でも見られ た。実はマークレビンソンのNo・33Lにも同様なものが搭載されているのだ。あの 個性的なデザインを持つ、シルバーグレーの丸いスタンバイスイッチがあるフロントパ ネルの裏側にその回路が収納されてる。こちらは60Hz固定の電源周波数だが、内部 発振器によって電源環境を管理するという手法は同じものだ。しかし、注意しなければ いけないのは、この内部発振器は本体上部に格納されているボルテージゲインステージ に対して電源を供給しているということだ。デンオンのプリアンプと同様な電圧レベル でクリーンな電源を供給する目的である。つまり、プリにしてもパワーアンプにしても 電圧を増幅する段階が最もAC電源の影響を受けやすいという事だ。No・33Lの場 合は電力増幅のためのパワー段には全く別の電源を装備している。これは50HzのA C電源を整流しており、2450VAの超巨大容量のトロイダル・トランスをプラスと マイナスに各一基づつ搭載し、さらに39000マイクロ・ファラッドの高品質コンデ ンサーを一二個組み合わせた強力な電源回路を構成している。電圧増幅に対する電源の 考え方が信濃電気やCSE、あるいは米国のパワーウェッジのように電源周りをトリー トメントする製品を普及せさるに従って、その重要性を認識したメーカーが独自の電源 設計を始めてきたということであろうか。 いずれにせよ、コヒレンスとPRA−S1については、これから発売されるオーディ オ誌において、技術的な分析も交えて詳細なレポートが専門家の手によって掲載される はである。そして、私の職業上では技術的な評価よりも、しばしば聴感上での評価が優 先さる場合がある。この新作の2台のプリアンプを聴いて、音質的にある種の共通項を 見出した。両者共に印象に残ったのは〈軽い音が聴こえる〉ということだ。この場合の 〈軽い音〉とは決して重低音が出ないということではない。むしろ、出にくいはずの低 音楽器の輪郭は、鮮明過ぎるほど鮮やかに聴こえて来る。更に高域に至るすべての周波 数帯域で共通する見事さなのだが、これまでのプリとはどこかが違う。例えはあまり良 くないかも知れないが、タバコの先端から立ち上った紫煙がユラユラと上昇していく様 子を思い浮かべて頂きたい。はっきりと視認出来るゆったりとした煙の流れがフーッと 、あるところで水蒸気レベルの粒子に分解して、空気に溶け込んでいくところがあるは ずだ。その溶け込んでいく過程で紫が、次第に透明な空気と化していく〈半透明の煙の 余韻のような状態の音〉が聴こえて来るのだ。あるいは良質な墨を、水を満たしたグラ スに数滴落した場面を想像して頂きたい。まっ黒な墨が水中に交わった瞬間から徐々に 広がっていき、澄んだ水に絡まれながら次第に溶け込んでいく〈半透明の周辺部分の淡 い色のような音〉と言ったら良いだろうか。余韻の終焉に漂う、消滅前のほんのわずか な気配が観察出来るプリアンプが登場したと言える。従来のプリアンプが次第に淡く薄 くなって消えていく余韻を、まっ黒からグレーへ、グレーからまっ白へと例えれば80 段階の階調を持つコントラストで表現していたとするならば、この両者は更に透明に近 い段階を付け加えることによって、120段階のコントラストで表現して来る。透明に 更に近づくという意味で〈軽い音〉という表現をご理解頂きたい。こんな〈軽い音〉を 出すための手段の一つが、プリアンプの常識を破った重量設計にあることが大変興味深 く実感された。おしなべて考えてみると、再生音のエネルギーの強弱を〈重たい軽い〉 で表現するならば、他のジャンルのコンポーネント全ての傾向として、浮遊するがごと く漂う余韻の〈軽い音〉を表現する事が出来るものには皆重量級が多い事実にも当ては めることが出来るのではなかろうか。「こんな半透明のイメージが、源音再生のために 何になるんだ。」というご意見をお持ちの方も当然あると思う。しかし、もはや現代の コンポーネントにおいては楽器の再現性には常識レベルでの音質を備えており、ハイエ ンド・コンポーネントの評価方法としては既に達成された課題となっている。「オーデ ィオはサウンドのSFX」という私流の例えのごとく、録音された環境を推測し、その 環境を再生系で創造していくところに、近未来におけるオーディオという趣味の醍醐味 があるような気がする。 第二章『オーディオの血統』 仕事がら私のところへは、日本で発売するかどうか決定していないものまで含めて数 々の新製品が持ち込まれてくる。最近、その中で特に異彩を放った製品がある。しかも 、日本には唯一ここにある一台しか輸入されていないという事情からも是非ご紹介をし たいと思った。スイスのアンサンブル社が初めて製品化したCDトランスポートとD/ Aコンバーターがそれである。アンサンブル社は1986年に、ウルス・ワーグナー、 アンネ・ワーグナー夫妻によってスイス北部の都市バーゼルに設立された。このご夫妻 はエンジニアではない。音楽をこよなく愛し単なるスペック上の性能や機能ではなく、 「真の音楽性」が欲しいと考えていた。そこに、スイスのクラフトマンシップを継承し 、卓越したエレクトロニクス技術力を誇るパウエル・アコースティック社との出会いが アンサンブル社の起源でもある。これでお分かりの様に、オーディオメーカーのトップ がエンジニアを兼任するのではなく、ワーグナー夫妻は自らの感性を提供し、形になる までの設計と製作をパウエル・アコースティック社が行うという完全分業制を取る個性 的なブランドである。「技術を分からない人にオーディオが分かるはずがないじゃない か。」とお考えになる方には、このブランドはお勧めしない。カタログにグラフとデー タが大きく載せられており、スペックをオーディオの本分と考えるメーカーは他にたく さんある。そして、ご夫妻の語るアンサンブル社の目標として次のようなコメントがあ る。「オーディオ機器の存在を忘れさせ、音楽そのものに集中させてくれるシステムを 提供したい。」 こんなポリシーを大切にしている同社から、遂にデジタル分野初の製品が送られてき た。型番としてはディクローノ(DICHRONO DRIVE)ドライブとディクローノ(DICHRONO DA C)DACと命名されており、価格はトランスポートが110万円、D/Aコンバーター が105万円である。外観から話を進めていくと、まず大きさと重量はディクローノ・ ドライブが、幅250mm、高さ150mm、奥行き400mmで13kg。ディクロ ーノ・DACが、幅440mm、高さ92mm、奥行き305mm、で9kgである。 既に発売されている同社のアンプと同様にフロントパネルは見事なゴールド仕上げであ り、鏡と言っても良いくらいに周囲の模様と私の顔を映し出している。そして、トラン スポートのローディング・トレイの前縁と操作ボタン、DACの入力セレクトのノブは 無垢の木材(多分ウォールナット)の削り出しになっており木目が大変美しい。ボディ ーも同様な美しい仕上げのステンレスを折り曲げ加工した物であるが、指の関節で両者 をコツコツと叩いてみると双方で音が違う。ディクローノ・DACは、約一 厚のステ ンレス板がそのままでカバーとなっているようだが、ディクローノ・ドライブはコッと 音がしないのである。外見は二者共通でもトランスポートの内部構造については、次の 様な説明がなされている。「ダブル・ステンレス・スチール・ケース」しかも、「サン ドイッチ・コンストラクション」と表現されている。どうやら二重のステンレス・ボッ クスの間に、スピーカーのキャビネット材として多用されているMDF合板を挟んでサ ンドイッチ構造にしてあるようだ。筐体設計においても前述のプリアンプの例とは対照 的に、木材をデジタルというハイテク製品に採用するというのは心憎い演出であり、音 質面での個性に結び付いている。この辺がワーグナー夫妻の感性が発揮されているポイ ントであろうか。さらに両者には大変高価なパーツが付属品として同梱されている。ア ンサンブル・デジフラックス75、デジタル・ケーブル。同パワーフラッスク、電源ケ ーブル。同トップ・コーンズ、セッティング用スパイクセット。同ハニープレート、レ ゾナンス・コントロール・プラットホーム、これは、単品ではアンサンブル・ホットプ レートとして発売されているものと同質でサイズが違うものだ。 更にリモコンもステンレス製でずっしりとした重さがあるが、手に納まる大きさなの で使用感は良い。おおよそ14万円相当のパーツが付属されており、使用環境を製作者 として責任を持ってコントロールしているのである。従って両者とも黄金の輝きを放つ 本体を、炭素繊維で作られたまっ黒なベースにスパイクを介して乗せて使うことを標準 としている。さて、肝心な中身であるがディクローノ・ドライブのメカはTEACのV RDSを採用している。本家エソテリックP−2sやワディア7のトップランクのメカ とは違い、三ランクあるうちの上から二番目でCMK−3を使っている。ピックアップ はソニーのKSS−151Aというリニアトラッキング方式の二次元並列駆動の3ビー ム方式である。出力はAES/EBU規格の110Ωバランス出力と、S/PDIF7 5Ωの同軸BNC端子が装備されている。ディクローノ・DACは24ビットまで受入 れ可能な広帯域クラスAのデジタルレシーバーを搭載し、すべてのデジタル入力信号に 対して新開発のPLLによって制御されるインターフェースを構成している。ちなみに 入力はバランス伝送のキャノンが一、S/PDIF75Ωの同軸BNC端子が二、同規 格のRCAピンが2と5系統を装備している。D/A変換部は8倍オーバーサンプリン グを行い、20ビットD/Aコンバーターを左右チャンネル個々に配している。アナロ グ・ステージはダイレクト・カップルのクラスA動作で、アナログ出力端子はRCAピ ンとバランス出力が各一系統装備されている。なお、アナログ出力レベルは内部で四段 階の選択が可能となっている。 さて、試聴は同社のスピーカー、プリマドンナ・ゴールドで行った。このスピーカー も日本に一台しかないというピアノフィニッシュで、オリジナルの仕上げよりも格段の 高級感がある。標準の仕上げとして当初から発売しても良かったと思う程、プリマドン ナのラウンド・バッフルに調和している美しさである。まず何と言っても興味があった のは、同じTEACのメカを搭載しているワディア7との比較であった。ディクローノ ・DAC以降のスピーカーまでを共通として、トランスポートのみ差し替えて比較した 。アンサンブル同志で弦楽器の優秀な録音を聴いてからワディア7に切り替え、そして 再びディクローノ・ドライブに戻した。一瞬アレッ…、と思った。この質感の違いをど う言葉で表現しようかとためらう。確かに共通する部分も少なからず認められるのだが 、微妙に楽音の温度感が違って聴こえる。さすがにワディアの透明感と、それに付随す るテンションの張り方には慣れ親しんだ優秀さがある。これを例えるならば、バカラグ ラスの優雅なカッティングを施したグラスを手にとって、光にかざしながら、その冷た さと正確無比なカッティングによって映える陰影に溜息をつくクールな味わいがワディ アであるとすれば、ディクローノ・ドライブのそれは備前焼きの肌あいを思い起こさせ る。備前焼きとは唐突であるが、実はしばらく前のことだが私の愚妻がビールを飲むと うまいと言われて備前焼きのジョッキを買ってきたのである。ザラッとした手触りだが 手の温もりが吸い取られない暖かみがあり、朱と茶色、黒と茶色と何色もの茶色が不可 思議な混在をみせている。そして、使い込むめば使い込むほどに色に深みが出て艶が乗 ってくるということであった。それまでは薄手のガラスで出来たジョッキで飲んでいた ので、ビールを注ぐとひんやりした感触が感じられ、飲めば唇にその冷たさが感じられ たものだ。しかし、この備前に注ぐと手には冷たさを感じない。唇にあたる厚みのある ジョッキの縁にはかえって暖かみを感じて、冷えたビールが一気に喉を襲う快感がある のである。1万円も出して陶器屋にうまいこと言われて買ってきたのが落ちだと思いつ つ、愚妻が興味ありげにのぞき込む気配を感じて、癪にさわりながらも「ウン、うまい んじゃない。」と応えてしまった。 しかし、結果として確かにうまいのだ。ワーグナー夫妻に、「あなたの作ったCDシ ステムの音を備前焼きに例えた男がいる。」と誰かが告げ口をしたら怒られてしまうだ ろうか。先にディクローノ・ドライブの構造にMDFという、合板であろうとも木材を 取り入れた質感を述べようとしたのだが、バイオリンを聴いた時の印象を補足すれば正 に「木の音」が感じられたという事だろうか。私の言葉の足らなさで誤解を招かぬよう ご注意申し上げるが、決して「漠然と甘口で茫洋としており、まろやかさが度を超した 質感で不明解な音」ではない。充分に見事な展開を見せる忠実な音場を作り上げ明確な 分解能をもっており、楽音の解像度には大変素晴らしいものを有していることを前提に しての評価であることを申し添えておきたい。しかも、D/Aコンバーターをアンサン ブルに固定しての結果である。言い替えれば、アンサンブル同志の方が自然な印象を受 けたということになる。ここで突然だが正に同様な経験をしていることを思い出した。 前述のデンオンのプリアンプを試聴した時のことだ。あの時は、聴き慣れている他社の CDシステムを使用してPRA−S1を聴いていたのだが、どこかがひっかかる思いを していた。これは先程のガラスの質感として例えた感覚と同類のものである。時間もな くなってきたので箱に戻そうかというその時、思いついてデンオンのDP−S1とDA −S1の組合せに切り替えたのである。するとどうだろうか。今まで潤いが欠けている と思われていた部分がしっくりと埋まってしまい、「プリアンプに対する評価を下すに は、とうてい一つの組合せでは真偽を見極められないものだ。」と、はっきりと認識出 来るほどの違いを見せてくれたのである。同様な事がジェフローランドのコヒレンスに も感じられた。 第一印象としては他のメーカーのパワーアンプと組み合わせて、前章で語った〈軽い 音〉の表現を評価したのだが、実際はもっと奥深いものであった。後日、私のフロアー へ持ち込んで同社のモデル8SPやモデル9と組み合わせた時の驚きである。外観上の 観察は前章で述べたが、実物を目の前にして中を見てみたい衝動に駆られ一人になった 機会を見計らってトップパネルを外して見た。電源部、本体ともにリアー・パネルは1 0mm、フロントパネルは25mmの厚みがあり、内部隔壁もそれ以上の厚みを残して 掘り出している。電源部の中央部に直径10mmの丸いプールが作られており、グレー の樹脂が充填され電源トランスは完全にこの中に埋没している。その両脇にはアメリカ の工場で作られた松下電器製の〈LCR12V7.2P〉という型番のリチャージブル・バッテリ ーが埋め込まれおり、大きさは幅150mm、高さ80mm、奥行き65mmで最大1 5ボルトという定格表示がある。この三つの繰り抜き加工が見事であり大変シンプルな 電源構造だ。本体は入出力用として合計24個というキャノン端子が並ぶリアパネルの 内側に、入出力系統のコントロール用の大きな一枚基板が取り付けられている。内部は 大きく分けて左右3個づつのブロックに仕切られており、左右3個づつの完全なジェラ ルミン・ケースのモジュール構成となっている。前述のコントロール基板からの出力が 〈インプット・トランスフォーマー〉と表示された大きさ幅45mm、高さ90mm、 奥行き30mmのモジュールに接続され、幅55mm、高さ90mm、奥行き30mm の〈アッテネーター・アンプ・モジュール〉に導かれ、そして三つ目のモジュールで〈 アウト・プット・トランスフォーマー〉幅40mm、高さ90mm、奥行き45mmの 最終段を経て出力されている。 全て4本のボルトで強固に固定された合計6個からなるモジュールの内部は企業秘密 ということになるのだろうか詳細は知らされていない。さて、肝心な音質については中 ・高域の質感については前述の通りであると確認したが、低域の爆発的変化は恐ろしい ほどである。正直申し上げて、同社パワーアンプの型番がまだ3・5・7までの奇数で あったころに設計されたプリアンプ、コンスメートとコンソナンスについては、いささ かの物足りなさがあった。このコンスメートは多段式リレー接点のボリュームが搭載さ れ、本体とリモコンのどちらのプッシュスイッチを押してもカチカチという動作音があ った。コヒレンスは本体中央部の操作パネルが着脱式のリモコンとなっている。しかも 、リモコンといってもテレビやビデオの赤外線リモコンと違い、将来的には高周波を使 って本体とリモコンをマイクロ・プロセッサーを介してのコンピューター・リンクとな る予定だ。ずしりと手応えのあるリモコンを取外した後には、きちんとブランク・パネ ルが装着され意匠面での気遣いも怠りない。エンドレスで回転するボリューム・ノブは フィーリングも良く、前作のようなカチカチという動作音は発生しない。また、電源部 の中央下には小さなプッシュ・スイッチがあり、ACとDCの電源の動作モードが切り 替え可能となっている。リモコンとして機能するパネルにはハイエンド・アンプとして は珍しくレックアウトセレクターが装備され、大変凝り性なジェフ・ローランド氏の性 格を反映してか、これら一つ一つのスイッチが全てアルミニウムの削り出しで作られて いる。普通、海外のアンプはシリアル・ナンバーをステッカーとして貼付けているとこ ろが多いが、同社はリア・パネルにナンバーを直接彫り込んでいる。更に、パワーアン プの出力端子にカルダス社製のバインディング・ポストを採用しているが、それ専用の ボックスレンチを付属品として同梱している。これらはジェフ・ローランド氏の自信と 責任の表れであり、日本的といっても良い気配りには大変信頼がおける。そして、今ま ではモデル2と6、モデル8SPやモデル9といった新世代のパワーアンプの試聴には 他社のプリを組み合わせていた。音場型と言われる数々のスピーカーで聴くことのでき る低域の音像の輪郭は、こんな表現であろうと思っていた認識が根底から覆されてしま った。 今までジェフローランドのパワーアンプに他社のプリアンプを組み合わせて聴いてい た低音のリズム楽器の質感は、一枚の白いセルロイドの上にばらまいた砂鉄を直接指を 触れずにトントンと叩きながら一生懸命中央に集めようと努力した結果とお考え頂きた い。これにコヒレンスを組合せた後どうなるかというと、大変強力な磁石をセルロイド シートの下にあてがった情景を思い浮かべると、私の言わんとしていることが想像出来 て来るはずだ。分散していた砂鉄が磁力の中央に密集して、大変色濃くまっ黒な塊に豹 変する。この密度感の高まりと磁力線の方向に沿った輪郭の鮮やかさが現われるのだ。 このまっ黒な塊の密度感が素晴らしく楽音のエネルギーをコントロールして、低域が特 定の絞り込まれた領域から力強く送り出されて来る快感は経験したことがない。そして 、ここで大切な事は磁力の中心から離れていくに従って、砂鉄の密集度が次第に薄くな って行く部分の段階が音場に大切な余韻とお考え頂きたい。磁石の磁力が強ければ強い ほど中心から遠くまで、この砂鉄が織り成すグラデーションが美しく尾を引いていく。 更に素晴らしいのは磁石から遠ざかる外周部の砂鉄も、吸い付けられる程ではないが規 則性を持って磁力の中心に向けて方向性のある序列で向きを変えるのである。つまり、 磁力のエネルギーが届く範囲のぎりぎりまで砂鉄の一粒をコントロール出来ると言うこ とは余韻を育む静寂感の表現につながって来るものだ。コヒレンスは間違いなく、これ まで試したどの磁石よりも強力な、ネオジウム・マグネットであることを確認した。さ て、ここまでの考察から同じスイスのメーカーでありながら、ゴールドムンドとアンサ ンブルでは、コンポーネントの各部分に与えている傾向が違うことを推測することが出 来るようになった。日本に対する導入のタイミングから、ゴールドムンドはアンプが先 に脚光を浴びる形となって印象が定着してきた。ゴールドムンドのアンプの個性をデフ ォルメして語るならば、「ソフトよりもハード」「ホットよりクール」「曖昧よりも正 確「鈍角よりも鋭角」「ルーズよりもタイト」「軟質より硬質」という言葉で表現出来 る。しかし、同社スピーカーの最高峰であるアポローグを聴いてじた事でもあり、同様 にしてCDトランスポート・ミメーシス36を他社と比較すると、トランスデューサー 〈変換器〉である部分がアンプとは違った反対方向の傾向にある事がわかった。多少の 誇張はあるが、前述の対象語をそっくりひっくり返した表現と言える。アンサンブルは 、先程の「ソフトよりもハード」とか、「鈍角よりも鋭角」という表現を借りるならば 、スピーカーという出口とCDシステムという入り口の方にそれらの傾向がある。そし て、ゴールドムンドとは逆に、アンプについての傾向が対照的である事に面白さを感じ る。純血を誇るオーディオの血統があるとすれば、入り口から出口までを一貫して製造 出来るブランドではその完結した姿が見る事が出来る。しかし、多くの著名なハイエン ド・ブランドでは特定分野の製品で評価されてきたものが多く、入り口から出口までを 一貫製造出来るブランドの方が少ないのも事実である。製作者の感性が自然な形で聴き 取れる事を欲するのであれば、せめてCDトランスポートとD/Aコンバーターで一つ 、プリアンプとパワーアンプで一つ、そしてスピーカーと、大きな三つの集合体を意識 して組合せしてみるとよいと思う。その集合体の中で純血を保っていれば、並みはずれ た不協和音は出てこないはずである。しかし「雑種」というのを否定する事は出来ない 。一つの血統を維持したときよりも、それぞれの血が掛け合わされて様々な組合せの妙 によって互いの魅力を引き出すことに成功し、説得力のある新種が生まれてくる場合も 多々あるのだ。しかし、狙い通りの新種を生み出すためには個々の種のオーディオ的遺 伝子を熟知している必要があるだろう。各ブランドの製作者の感性と指向するベクトル の方向を、その種の音楽的DNAとして分析しておかなければならない。この様な分析 と理解、そして数多くの記憶があってこそ、オーディオを通じての音楽性の表現と選択 が成立する。使う立場の人間の自己主張があってこそ趣味としての醍醐味がある訳で、 私を含めて販売する立場の人間にも同時に求めたい感性ではなかろうか。 第三章『オーディオのサムシング・エルス』 前章でアンサンブル社を設立したワーグナー夫妻は、感性を提供しているのであって 、製品を製造するのはパウエル・アコースティック社であるという同社のプロフィール をご紹介した。それでは、感性をどのように音作りに反映しているのだろうか。これを 海外のオーディオ愛好家に伝える手段として、ご夫妻は正に音楽そのもので自らの感性 を語ろうとしている。大変な音楽愛好家であるご夫妻は、自分たちの耳で吟味した世界 中の優秀録音を「アンサンブル・セレクション」という認定証を付けて紹介しているの である。アンサンブル社のシンボルマークをステッカーにしてCDジャケットに貼り付 け、同社が優秀な音楽作品として認定したことを証明しており、既に40数タイトルが 発表されている。正式には日本には輸入されていないものが多く、私の手元にあるサン プル盤ではアメリカ・フロリダ州にあるオーディオフォン・レコード、ドイツのテルデ ック、ノルウェーにあるプロ・ミュージカが擁するシマックス(Simax)レーベルな どがある。これらの購入を希望する方があれば取り寄せることは可能であるが、基本的 な目的は販売ではなくプロモーションである。演奏家の技巧とか、演奏の完成度といっ た演奏評価については専門家ではないので述べることは出来ない。しかし、録音のセン スとオーディオ的な鑑賞法から申し上げれば、みな素晴らしい作品である。何よりも演 奏者と時間と空間を共有しているのではないかと、見紛うほどの臨場感がスピーカー周 辺の空間から湧き上がってくるイメージが大変美しい。まさにワーグナー夫妻が目標と しておられる、「オーディオ機器の存在を忘れさせてくれる。」音楽(音場)表現であ ると思う。音楽とオーディオを人生を豊かにする手段として、自社の製品の価値観を高 めようとするワーグナーご夫妻の努力に私は拍手を送りたいと思う。さて、前作の第一 八話で私なりにゴールドムンドをご紹介したが、一般の人々の目に触れることのないエ ピソードがもうひとつある。同社は年4回、同社の輸入販売を行っている世界中のディ ストリビューター各社に向けて「ゴールドムンド・ニュース」という刊行物を送り届け てくる。八ページに渡るカラー印刷の情報誌はおおよそ次のような内容だ。表紙には社 長のミッシェル・レバション氏の写真があり、同社の近況を伝える文章に同氏の自筆の 署名が添えられている。その右側には「ゴールドムンド・プロダクト・マトリクス」と いう表があり、同社が現在手がけている新製品、さらに中期的な将来の開発予定がミメ ーシス何番という型名をあげて紹介されている。二ページ目は概念の考古学とでも訳し たら良いのだろうか(Archeology of a concept)と題されて いる。同社の過去の製品がスイス・フィジックス社の時代までさかのぼって解説されて お、過去から学ぼうとする姿勢が伺える。3ページ目は「ビジネス・ニュース」として 、海外のゴールドムンドの広告と雑誌記事の抜粋が紹介されている。3・4ページは「 ザ・テクノロジー・コーナー」としてオーディオの専門用語の解説が行われている。海 外の取引先に対して、ビジネスだけでなくオーディオの基礎知識を啓蒙しようとしてい る。六・七ページは同社の開発した新製品の紹介が、技術的解説を含めて紹介されてい る。ちなみに今回はA2モジュールとミメーシス9・4及び10Cプラスの内容が語ら れている。まだ発表前の新開発CDターンテーブルとD/Aコンバーターもトピックス として取り上げられている。また、近い将来の情報としてゴールドムンド・ブランドで インテグレーテッドアンプを開発中であるとか、ブリーフニュースとしてまとめたコー ナーもある。最後のページは面白い。ゴールドムンドのメーカー・ロゴが描かれたポル シェが疾走する写真が大きく掲載され、同社がスポンサーとしてレースに参戦した報告 が最後を締めくくっているのだ。他の輸入商社も表には出さないが、海外のメーカーの 首脳人が来日してビジネス・ミーティングを行っている。しかし、この様な刊行物を製 作して、過去から未来に渡る広い視野で自社の活動内容を知らせて来る例は聞いたこと がない。いわば社内報みたいなものである。世界中の取引先に対して自説持論を明確に 伝えていくことは良い事だと思う。そして、何よりも受け取る方も読んで楽しいのだ。 オーディオというのは道楽であり趣味であるのだから、将来の夢を与える情報をもらえ ばマーケティングの上でも好ましい展開が期待出来るというものだ。アンサンブル社も 同様だが商品を受取り販売するだけの関係だけではなく、オーディオを通じての人間同 志のコミュニケーションを大切にするビジネス・マインドが好ましく思われる。考えて みれば、今私がこうして随筆を書いている事と同じ志向であることに思い当たり、大変 共感を覚えると共にうれしく思われるのである。私も、単に商品を販売し皆様から代金 を頂くだけで終わってしまうのではない何か。それ以上の売り買いだけではない人間関 係を期待し求めているからである。私は、この様な随筆が特定商品の販売促進に直結す るとは考えていない。ただ、これをお読み頂くことによって皆様から頂けるご信頼が厚 くなるのであれば願ってもないことである。最近、この随筆をお送りした皆様から、お 電話やお手紙で激励とお礼の言葉を頂くことが増えて参りました。ということは消費者 であり最終ユーザーである皆様も、物を買うだけではない何かを、オーディオという趣 味に求めているのだと思われる。そして、現在の仕事を通じて数々のオーディオ製品を 送り出す側と、それを受け取る側が求めているものの両方を、様々な角度から理解出来 る立場にあることが私の一番の喜びでもあるのです。 【完】 |
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