第十三話 「言論の自由がもたらす猜疑心」
私事になるが、私には二人の女の子がおります。音楽が大変好きな上の子にCDラジ カセを買い与えたのは、確か三歳になる少し前だった。プレイボタンに黄色のシールを 、ストップには赤いシールを貼ってやり、ディスクをこうして入れてからフタをして、 娘の手を取って黄色の丸いシールを押してやる。すると、父親の幸福感は自分が作って あげているんだぞ、と言わんばかりの笑顔を見せてくれる。それからというもの両親の 耳にタコが出来てしまったのは想像に難しくない。昨年などは、私が新しく買ってきた CDプレーヤーをラックに納ると、私よりも早く自分のディスクを持ってきて「どこを 押せば開くの。」そして、何も教えなくてもプレイボタンを承知しており、「ねェ、音 でないョ」と、アンプのボリュームが上がっていないことに文句を言う始末である。も ちろん父親のステレオの方が音が良いことを知っており、CDラジカセはもう埃をかぶ っている。こんなことなら、と今更ながら親の考えの甘さとわが子のしたたかさに舌を 巻く思いである。しかも、我が家のステレオから出る音は5歳になった娘がスイッチを 押しても、プロの私がやっても同じ音が出てしまうのである。第二次世界大戦が終戦を 迎えてから8年後、時の政界の策師三木武吉が暗躍し、自由党と民主党の二大保守党を 合同させた政変の翌年、これから日本は高度成長に挑むという時代に生まれた私から見 ると、大きな時代の変化を感じずにはいられない。貧しい家に生まれた私が学生時代に アルバイトをして初めて買い求めた、とにかく2本のスピーカーでステレオとして音が 出るという装置は、MPXアダプターを追加してやっと左右に分離するFMラジオであ った。当然の事ながら、LPレコード買い漁るようになったのもこの業界に入ってから である。新譜を買うと直ぐに静電気が付かないように表面活性剤を塗り、帯電防止の中 袋に入れ替えてジャケットに入れ直す。演奏前にはフッと息を吹けばホコリは飛んでし まう。当然のことながら、慎重に慎重を重ねて針を降ろす。仕事がらアナログ時代にそ れなりの修練を積んできた自信があり、私が当時使っていたプレーヤーシステムも一風 変わったものだが、この紹介をすると大変長くなってしまうので今回は遠慮させて頂く 。この儀式的な作業を、幼い子供達の手に任せるなどはとんでもない事だ。親が真剣な 顔をして行うこれらの作業を興味深そうに見つめてはいるが、逆に子供達の方が神経質 な大人達のこだわりについていけないとサジを投げてしまうだろう。とにかく、このよ うな良質な音楽が老若男女を問わず市民権を経て家庭に入り込んだ事実をどう評価すべ きかは明白であり、CDが猛烈な勢いで普及するのも当然のことである。子供達が好き な音楽を、自らの手によって再生して楽しむ様子を見るのは大変微笑ましいことなのだ 。この時ばかりは、ソニーとフィリップスにノーベル〈文化賞〉でも新設して表彰した い気持ちになる。 しかし、ここにまた嵐を呼ぶ一陣の風が吹いてきたのであった。平成6年3月19日 付け朝日新聞の紙面【論壇】と題された投稿記事に『CDに隠されていた欠陥』という 見出しが目を引く。元音楽教師、日本楽友協会常任理事という肩書を持つ冨田覚氏の投 稿らしい。要旨は次のような内容であった。「従来の(1)アナログ録音によるLPレ コードよりもその再生音が高忠実、つまり〈生の音〉により近いとされているデジタル 録音によるコンパクトディスク(CD)に関して、最近批判の声を聞くことが多い。L Pの方が音に潤いがある、とかCDの音は空虚で硬い感じだ、などといったあくまで感 性的で、好みの範囲をでないものが多いが、その中でCDの再生音楽には一定のピッチ (音の高さ)がない、という(2)LP時代には決してなかった音楽芸術の根幹を揺る がす重大な指摘がある。この指摘が事実であれば、CDの再生音はもはや音楽とはいえ ず、音階や協和音を作りにくい単なる騒音〈非楽音〉でしかない。人間の情操を純化し 、精神生活を豊かにしてくれるはずのCD音楽は、そのゆがめられた〈非楽音〉によっ て逆にこれを阻害し、多くの人を欺いていることになる。そこで私は、音程(ピッチ) 練習用教本である〈コールユーブンゲン〉のCD(東芝CG25ー5002・3)の中 のピアノで範奏してある〈ハ長調音階〉のラの音によって、その真偽を確かめてみた。 このラは、NHKの時報でお馴染の国際標準音高の440Hzと同じピッチのラを録音 したものである。このラとこれよりも半音高い(3)ピアノの黒鍵を照合してみると、 明確なはずの半音の差ははっきりせず、違いはほとんどない感じで(4)聞こえたので ある。CDの音にはやはり何らかのピッチ異常があるのではないかと疑問を持ちつつ、 今度は微小な音程が得られる(4)電子機器(デジタル式ではない鍵盤楽器)のラを4 40Hzから1ヘルツ刻みに高くしていき、前記CDのラと照合してみたところ、何と 456Hzのラまではそのどことでも合うといった〈生の音〉や〈LP〉にはあり得な かった不思議な現象を確認したのである。この事実から、私はCDの音には半音近い幅 があり、一定のピッチはないと判断した。更に私はこの実験の結果に基づき、例えば長 調・短調の区別が不明確、調性の不在、協和音が得られないなどといったCD音楽の問 題点を調べ、一昨年に続いて本年も日本音楽教育学会で発表した。実はこれらのことに ついては、メルコアジャパン付属音響研究所(東京・目黒)では既に数年前から追究し ていて、「デジタル録音によるCDの音は倍音が破壊されており、実際的には基音は存 在せず一定のピッチがない。そして、これを将来的にも改善することは不可能である。 」との結論に達し、この(5)合成音が人間の感覚に及ぼすその害を警告している。 私の実験はまさにこの倍音破壊を実証するものであった。ではなぜ、このような(6 )CDのピッチ異常に対する音楽専門家からの批評の声を、私たちは耳にしないのであ ろうか。(7)それは彼らはすでに先入観として持っている正常なピッチだけを、幅の あるCDの音の中から習慣的に抽出して聴いているからだと考えられる。だから、音楽 の専門家は〈非楽音〉にだまされるといった被害からのがれるが、音感教育を受けてい ない一般の人々の場合は違う。明らかにCDの〈非楽音〉を楽音だと信じ、誤って認識 することになる。これは聴覚の麻痺につながる問題だと思う。CDの開発メーカーであ るソニーは、「デジタル録音は正確だから、ピッチの異常は演奏家に原因がある。」と の見解を私とメルコアジャパンに示し、一方共同開発社のフィリップス社はこれを(1 )録音の問題として、今後修正していくとの見解を私とメルコアジャパンに示した。近 頃、(8)「生の音」よりもCD音を好むといった傾向の愛好者も多いが、これはすで に聴覚がその〈楽音〉に麻痺し慣らされてしまった証しではなかろうか。味覚に快い加 工食品ほど肉体をしばむ公害の元凶として騒がれるケースが多いが、(9)デジタル音 もいわば加工された合成音であり、これが聴覚に快いということは、そこに何か恐ろし い落とし穴が隠されているのではないかとしか思えない。CDは、今年間で億単位の枚 数で売れ、ますます浸透しつつある。(10)公教育の場はもとより、胎教や音楽療法 などの領域にまでも広く食い込んできている。しかし、こうした問題が明らかになった 以上、少なくともLPの生産を続けるなどの処置が必要なのではないか。」《以上は一 部漢字への変換をしたが、ほぼ原文を省略せずに転記》かわいい娘の笑顔を見て、CD の開発ーカーにノーベル賞をあげたいと思っていたのに、公害の元凶とされてしまって はつい苦笑がもれてしまう。この記事を読んで子供からCDを取り上げてしまう親がい れば一番迷惑をこうむるのは子供達かもしれない。ここはひとつ、LPを再生する良質 なシステムを、経済的にも技能的にも手に入れることの出来ない子供達の立場になって ささやかな反論を試みてみようと思ったのである。 最初に申し上げておきたいことは、この記事では「私はこう聴こえた」という主観的 な聴感での判断で、何ら科学的技術的な根拠が示されていない、ということを前提に文 中の丸数字を読み返しながら私の意見を述べさせて頂く。 (1)フィリップスの回答にもあるが、デジタル録音のLPに対してはどのようにお考 えか。 (2)1Hzという厳密な精度を求めるならば、LPの時代にもいいかげんな作りのレ コードプレーヤーによってワウ・フラッター(回転ムラ)やレコード盤のソリや 偏心によるピッチの変化があったはずだ。こちらの実験はしたのだろうか。 (3)実験にご使用になったピアノが1Hzの精度で調律されていればよろしいのです が。 (4)アナログ式の鍵盤楽器とはどんな製品でしょうか。 発振器のような正弦波以外の音を出す物であれば音色がついているわけで、そこ には倍音がのってきます。電子楽器である以上はノイズやサンプリングした音源 を加工してそれらの音を構成するわけだが、使用した音色はピアノの音を真似た ものだったのですか? 一般的な家庭用エレキピアノであれ、スタジオ用のライン出力専用 キーボード であれ、アンプとスピーカー(エレキピアノは内臓している)まで音質判断には 影響があるはずだが、一体どんなものをお使いになったのか? そのアナログ鍵盤楽器を十分な測定器で確認た後の実験であれば、もう少し説得 力があるのですが。そして、何より肝心なのは、あくまでもご自身の耳で聴いた という聴感上の判断であることを明記して頂きたい。また、1Hzという精度を 耳ではなく測定器によって判定しないのはなぜでしょうか。私もそうですが、オ ーディオ評論家でも1Hzの違いを聞き分ける人はあまりいないと思うのですが 。 (5)水俣病などの公害のように明らかな実害を受けた不幸な人々が現れてからはじめ て〈害を及ぼす〉という表現を用いても遅くはないと思うのですが。それともC Dの音をきいて精神異常を起こした実例があるのならぜひ発表すべきだと思うの ですが。少なくとも音楽とオーディオにたずさわる仕事をしている私はそれを知 りません。 (6)CDを発売したときにソニーの盛田会長が、あのカラヤンにCDを聴かせて解説 をしている写真を今でも覚えています。今は亡きカラヤンに「あなたが指揮した 演奏はピッチがおかしく聞こえる」と言ったらどんな顔をするでしょうか。 (7)先入観をもって正常に聞こえるように聴いている、ということをはっきりと推測 であることを明記すべきだ。そうでないのなら、はっきりと個人名をあげて一般 の人々が知っているような音楽家に質問し調査してから、彼らの感覚を代弁すべ きではないか。 (8)私の知る限り、生の演奏よりもCDの再生音の方が良いという人はいない。この 表現から失礼ながら、これを投稿した人は〈録音〉という作業を知らないお方と お見受けした。なぜなら、自分の指で弾いたピアノの音ばかりを聞いていて、マ イクをどの様にセットすると2チャンネルステレオではこう再生されるという経 験がないと思う。ミニコンポやウォークマンでロックやポップスを聴いている若 い人々が増えたのは事実だが、それらは音楽芸術というより商業音楽として別け て考えないといけないと思う。 (9)アナログの時代でもレコードを作る過程ではイコライジングやエコー処理といっ た音作りをしていたわけで、これを合成音と言わないのはなぜでしょうか。お知 り合いの方にレコード製作関係の方がいらっしゃらなかったのは大変残念です。 (10)CDがバイ菌のように「広く食い込んでいる」という表現は危機感をあおる投 稿記事としての書き方としては面白いと思うが、大人の表現として如何なもの だろうか。 しかし、論点としては「公の教育の場」という表現が登場したことで私も一言申し上 げたい気持ちになった。各教育機関には1Hz刻みのピッチを問題にするほどハイ・フ ァイな再生装置があるのでしょうか。そして、それを十分に子供達に聴かせているので しょうか。私の受けた教育が古いのかもしれませんが、テストで音楽記号を書かせたり 、ロマン派の台頭は何年から始まって何年に終わるとか、とにかくテストを目的とした ものが多く大変つまらなかった。音楽は聞いて楽しむはずなのに、何かが間違っている と思った。それでも当時は、憧れのステレオで先生がかけてくれたクラシック音楽を聴 くのは大変好きだった。この投稿の主が日本音楽教育学会という文部省の顧問団体のよ うな、たいそう格式のある学会の所属であるのなら1Hz刻みのピッチの問題よりも、 子供達がクラシックやジャズやその他かにもたくさんある世界の音楽を、まず楽しむこ とから教える方法を考えた方が良いのではないだろうか。このような教育機関で高忠実 な音を聴かせてあげれば、日本の音楽文化のレベルはもっと高まっていると思う。苦痛 に思う授業の内容だからクラシックは退屈な音楽だと子供達は考え、刺激を求めてウォ ークマンが流行ってしまう。CDが多くの人を欺いたのではなく、音程がわからないよ うな人々を作ってしまった教育のあり方にこそ問題があるのだと思う。人々(あのカラ ヤンも含めて)が敏感に1Hz刻みのピッチに異常を感じて、CDを聴いた時にまずい ものを食べたような顔をしていれば、もっと質の良い再生装置が出来ていたかもしれな い。投稿の主が元音楽教師というご職業であれば、まず子供達に音楽を通じての夢と希 望を教えてあげて欲しかった。小・中学校の音楽室にピッチの問題が実験出来るほどの ステレオ装置を置くことさえも出来ずに、なにが〈経済大国日本〉であるか。また日本 音楽教育学会という大変望ましい名称の博識者の集まりがあるのなら、なぜそれを文部 省に提訴しないのだろうか。国会議員選挙の公的な費用を税金でまかなうと一人年間に いくらかかるという計算ができるのであれば、音楽教育特別財源立法でも国会で可決し てくれれば喜んで納税する。 投稿の結びにはせめてLPの生産を続ける処置が必要と書かれていたが、これも短絡 的な結論である。CDがダメだからLPを、ではなくLPに限界があるからCDが生ま れてきたのである。数十万円から数百万円といった高価なプレーヤーとそれに見合うス テレオシステムを使用すれば、アナログの良さは確かに実感出来る。しかし、一般庶民 が数万円の金で良い音を聴こうとしたらCDの方が良いと言わざるを得ない。指で摘ん でも持てるような2〜3万円のレコードプレーヤーを信用しろといっても無理があり、 プレーヤーの開発と低価格化をしなければLPだけを生産しても無意味である。投稿の 中では、残念ながらソニーの反論は僅かに二八文字しか取り上げていないが、実際には もっと技術的で具体的な反論が既に1987年にソニーの技術系社内報である〔DIG IC〕に掲載されている。こちらは文書量が多いので、そのままご紹介は出来ないが、 要旨をとらえてご紹介したい。「昨年(1986年)CDの再生音はピッチ(楽音の心 理的な高さ)に異常があり、改善の可能性はないという意見広告がマスコミを通じて問 題になった。このピッチ異常について1年以上検討を重ね、当然ながら『CDにはデジ タル録音が原因とみられるピッチ異常は何一つ存在しない』という結論に達した。ここ では論点に対して私達が調べた内容を述べることにする。 まず問題のピッチ異常の主要点について述べておく。(1)ピッチシフト・〈ラ〉の 音である440HzであるべきCDの再生音が、447Hz程度の高い音に聴こえると いう現象。(2)ピッチスプレッド・440Hzの音を出している楽器のCD再生音は (1)によると447Hzに聴こえてしまうのだが、更にこれが430Hzから460 Hzの範囲でも同じ〈ラ〉の音に聴こえてしまうという現象。(3)ピッチひずみ・4 40Hzが447Hzに聴こえるならば、二倍の880Hzは894Hzに聴こえそう なものだが、CD再生音のピッチは901Hz程度に聴えるという現象。尚、これらの ピッチ異常は測定器を使って直接測ることは出来ず、楽器や発振器などの音とCD再生 音のピッチを耳で比較して初めてわかる現象だという論旨になっている。つまり、この 広告でいうCDの再生音のピッチ異常とは、『測定器を使って求めた再生音の周波数と 、耳や楽器を使って求めた再生音のピッチとが一致しない現象』と言うことが出来る。 逆に言えば『測定器による測定値』と『耳によるピッチ変化の値』の相互の関係が論旨 と一致していれば、両者の数字そのものがどうであろうとごく当たり前の現象となって しまい、CD再生音のピッチ異常は存在せず別の問題になるわけだ。これは特に重要な ポイントでCDのピッチ異常について議論のもととなっている測定法は、しばしば楽器 の調律時の手法と混同されたり、すり替えられたりしているからである。エミール・ギ レリスの『月光』(ポリドールF35G50103)はピッチ異常を示すCDの一例と してテレビでも放映された。前述の(1)〜(3)のピッチ異常の結果として、この曲 にはピッチシフトがあり曲の終わりでは半音のズレになるとされている。私たちは、4 40Hzの音叉やいくつかの生の楽器音を用いて、これらとCDを比較した。すると明 らかにCDのピッチの方が高く聴こえたのである。そこでピアノと発振器を使ってCD のピッチを正確に調べたところ、ピアノの調律をA4=447Hz前後にすればCD再 生音のピッチと完全に一致することがわかった。(中略)次にCD再生音の周波数を測 定器(FFTアナライザー)で実測し、この値がA4=447Hzで調律されたピアノ の振動数に一致すればCDのピッチシフトは存在しないという証明になります。果たし て、実測値を換算すると曲の始めでも終わりでもA4=447.5Hzと求まりました 。(実測グラフの記載あり)もはやCDのピッチ異常は(2)(3)を含めても、一つ として発見出来ません。(人間は相対的にピッチが高い方が心地よく感じるので、演奏 家も時とともに高い調律で演奏する事が増えている)また、CDの音は前述の(2)ピ ッチスプレッドによって和音が崩壊し響きが変わると述べられている。ロブロフォンの マタチッチ指揮によるNHK交響楽団演奏のブラームス交響曲第一番(デンオン33C O−1003)の冒頭で、この曲はハ短調であるにもかかわらずハ長調の響きがすると いう冒頭の全楽器の音が〈ド〉であるのに、FFTによる分析ではハ長調の主和音であ る〈ド・ミ・ソ〉のスペクトルや、それ以外のスペクトルがかなりのレベルで出ている というのだ。以上の主張には二つの疑問点がある。一つは本当に〈ド〉だけの音を聴い てハ長調とハ短調を区別出来るのか。今一つは〈ド〉だけの音でも〈ド・ミ・ソ〉和音 が聴こえるのか。まず、最初の疑問点はどうだろうか。答えはノーだ。和音のことを少 しでもご存じの方でしたらわかると思うが、〈ド〉だけの音をいくら何オクターブにわ たって出したとしても、それは和音とは言えない。また、それが何調であるのかはもち ろん、長調か短調かの判断も出来ない。(中略)次に二つ目の疑問点はどうでしょう。 この答えはイエスだ。なぜなら楽器の音には必ず倍音が含まれているからで、例えばバ イオリンがC4(261.6Hz)の音を出したとすると、その音の中には261.6 Hzの整数倍の成分が入っていることになる。この第二倍音261.6×2Hzは〈ド 〉だが、261.6×3Hzは〈ソ〉になる。また、一つとんだ261.6×5Hzは 〈ミ〉の音になる。これで〈ド〉だけの音を鳴らしたとしても、ミやソの成分が出てく るのがおわかり頂けると思う。(中略)余談になるが、同じ高さの音を別の種類の楽器 で演奏し音色が違うのは、この倍音のレベル関係が違うからです。もし倍音がなければ 、音色としてはテスト信号でよく使われる純音(正弦波)と言うことになる。 さて、CD再生音の三つのピッチ異常(1)(2)(3)ともに事実として認められ ないことを述べてきたが、なぜこのような誤った考えが現れてきたのかを考えてみた。 (中略)人間の耳は、例えばピアノの440Hzの音を聴いてバイオリンを440Hz に合わせることが出来る。と同時に、440Hzの音を聴いて880Hzに合わせたり 、更に220Hzや1760Hzに合わせたりすることも出来る。(これは、よくオー ケストラなどでは楽器の調律に用いらる)これらの周波数は、オクターブ(比が1対2 )の関係になっているので、人間の耳が似た音と感じるからである。そして、ほぼオク ターブの関係にある2音を、うなりを聴いて正確に合わせると周波数比は1対2になる 。しかし、片方の音を聴いた後で、もう片方の音(オクターブ高い音)を合わせようと しますとそうはならない。この実験を非常に厳密な条件でやってみると、周波数比が1 対2よりわずかに大きい時に、ちょうど1オクターブに聴こえるということがわかる。 その時の周波数比は、個人差や音源の種類、音域や音の強さなどによって大きく変化す るが、ごく大雑把に言って1対2.02程度である。さて、そうなると何オクターブも 離れた音については、1対2の理論値からのズレはますます大きくなる。(3)のピッ チひずみとは、このような現象をいっているものと思われます。この現象はCDが誕生 する何十年も前から研究され、いくつもの文献に詳しく述べられている。(中略・参考 文献5例を実名で紹介)最後に、世の中がCD全盛だから、CDを押しつける必要はな いと思っている。だだ、これからCDを聴いてみようかなと思っている人や、現在すで にCDを楽しんでいる方が、変な議論を投げかけた広告や記事についていらぬ不安を抱 かれぬよう、敢えて私たちは技術的な検討を加えて掲載した。検討を加えていく中で、 CDのピッチ異常は何ら発見出来ず逆にCDの素晴らしさを再確認させられました。」 これは、ソニー技術研究所が発表したテクニカルレポートからの抜粋である。このよう な、技術的に一年間の検討を加えての専門的な回答があったのなら、ソニーに問い合わ せをすれば直ぐに資料を求める事もできたであろう。しかし、当事者であるソニーから してみれば、この投稿が〈個人の聴感での主観による判断と推測〉の領域を出ておらず 、「何ら技術的裏付けと証明がないかぎり、公式の回答をする方法が見つからない」と いう見解が私の耳に入ったのである。 それらの情報収集を行い、これを書き上げようとしたちょうどその時、3月30日付 け朝日新聞の同じ【論壇】に和田則彦氏が投稿された「見過ごせないCD音欠陥論」と 題する記事が掲載された。この反論のポイントはこうである。 1.冨田氏の正直かつ率直な感想であることはわかるが、即CDに欠陥ありと決め付け て客観性を擬して読者に訴えるという 短絡的なスタンスは如何なものか。 2.聴音能力には個人差があり、多くの被験者をテストしてもおらず自らの聴音能力を 完全無欠なものとする前提での結論では、それを正当化するのは難しい。 3.アナログ式鍵盤楽器はスイッチを入れてから温まるまでに、温度変化によるピッチ 変化もある。この場合は正規のテスト用オシレーター(発振器)を用いるべきだ。 4.メルコアジャパン研究所の結論を引用して「CDは倍音が破壊されており、実際的 に基音は存在せず一定のピッチがない」とあるが、これは〈基音あっての倍音〉で あり、基音がなければ発生しえない倍音をどう破壊しようというのか。 5.「採譜」の仕事上、CD以外はアナログ特有の速度偏差や細かい音ゆれがあり、そ の調整や補正がやっかいだがCDはピッチも正確で操作も簡単である。 6.CDやLPも消費者側では「再生一辺倒」のメディアである。冨田氏もメルコアジ ャパン研究所も、知らない音源やレコード会社内の伝送過程後の末端だけを捉えて 結果を言われているわけだが、自ら音源に始まる「一貫伝送」つまり源音場から録 音再生までをやらなければ中途半端のそしりを免れえない。 朝日新聞は公器としての使命から、投稿を記事にする前に一方通行の事実確認だけで はなく、反対意見も取材して同時に取り上げるべきだと思う。このように私の関連する 業界の色々な方に意見を求めて、デジタルオーディオに対する公平な見方を、せめて私 のお世話になっている方々にはして頂きたい、と最近は特に強く思っているのである。 最後に私事の結論に戻るが、将来デジタル世代となる子供達には、その恩恵を音楽とし て受け取めてもらいたい。そして、私は決して子供達からCDを取り上げることはしな いだろう。 【完】 |
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