第三話 「正論へのこだわり」
あるお客様が、多少の後悔と懐かしさを含んだ顔で話してくれた。或る有名なオーデ ィオ・ショップに出かけて行き、所狭しと並ぶ製品を背にして立つお店の人に、遠慮深 く丁寧に、しかも謙虚にこんな質問をしてみたのである。「私は○○社の××スピーカ ーを使っているんだが、どのアンプが相性がいいんですか?」ネクタイにワイシャツ姿 の似合う、そのセールスマン氏は一瞬の微笑みを浮かべたあと、直ぐに真剣な面持ちに 変わり、営業に手馴れた様子ですぐさま解答が返ってきたという。「それはお客様、何 といっても△△社のモデル○○番が最高ですよ…。」そのアンプについての解説を、数 々のスペックと権威のある先生のご推薦であるという事を中心にお話し頂くこと20分 、商品知識の何と豊富な方かと関心してしまったそうである。そして、頼んでいないの に次に現われたのが電卓だったそうだ。ステレオの販売店で日常的によく見かける、な にげないやり取りの1コマである。同じように、私のフロアーにも多くの方が来店され るが、初めてこられた方から同じ質問をされることがよくあるのだ。そんな時の私の答 えはいつも決まっている。「残念ながら、今の私にはわかりません。」ずいぶん無愛想 な奴だとお思いになるだろが、答えられる根拠がないのである。 なぜなら、そのお客様の好みと感性を私が理解していないのに、商品を特定するよう な無責任なことは出来ないからである。「今はお答え出来ませんが、1時間程お時間を 頂ければお答え出来ると思いますが・・・・。」それから、色々な質問をする。今までに使 用した機材の遍歴と、その選択理由、好みの音楽ジャンル、部屋の様子、希望する音質 を言葉の表現でもうかがう、ご予算的な事も少々。そして、一つのスピーカーに対して 2〜3台のアンプを比較試聴して頂くのだ。もちろん、私と同じ場所で同じ音を聴いて 頂きアンプの切り替えに伴ってコメントを頂いていく。これは良いとか、もう少しこう なって欲しいとか、簡単なコメントである。そうして、やっとそのお客様にとって良い 選択を推薦できる段階になるのである。もうお気付きであろうが、多くのユーザーが陥 っている誤解があるのだ。オーディオ製品の物と物の間には、固有の相性は存在しない のである。ある物と物をつないだ時に出てくる音と、それを検討する人間との間に相性 があるだけなのだ。診察もろくにしないで、薬を処方する医者を皆様は信用するだろう か。もちろん、医者にもかかりつけがあるように、何年もお付き合いのあるお得意様は その限りではなく問診によってお答えすることは可能である。そのために私の頭の中に は、お得意様のカルテがぎっしりと詰まっているのである。なぜ、私がこの様な考え方 をするようになったかは、多くの経験と教訓によって、と言うより仕方がないのだ。誤 診による不幸をしょいこんでしまったユーザーや、相談しても納得出来ない診察を受け たという方々がよく訪ねて来られるのである。さて、皆さんはどちらスタイルのお店を 選ぶだろうか。オーディオ製品を設計した人物のセンス(感性)を味わう事に、オーデ ィオの醍醐味があるとしたら、オーディオを売る人間のセンスにも注目していくのが、 その裏付けとなるのではないだろうか。生意気なようだが、信頼ある人間関係の上にハ イエンドオーディオのセールスが成立するのが理想であると思うのだが。皆様は、ユー ザーとディーラーの関係をどの様にお考えだろうか。 【完】 |