《HAL's Monitor Report》


No.002 - 2000/07/09

大阪府枚方市 だてやん 様

 モニター対象製品  SONY/SCD-1

いい音、いい音楽(自己紹介に代えて)         大阪府枚方市 だてやん

 さて、音が先なのか、音楽が先なのか。 ハービーマンの“カミングホームベイビー” ほんの12cm口径のスピーカーが鳴らしていた。ピツィカートのコントラバスがえんえん と導入部のリズムをきざんでいる。マンのフルートと、バイブが同じメロディーで入って くる。マンの唇からフルートのマウスに入る空気の流れがわかるような、乾いた温度感、 いや、湿度感が聴こえてくる。それより、演奏会場のエフェクトがスピーカーの左右より より広がって聴こえているではないか。これがオーディオを意識した最初の経験だった。 スピーカーはクライスラーの正方形のバッフルをもったものだったような記憶があるが、 ほんとうのところは自信がない。カルチャーショックだった。
 その次がJBL。L-88である。セゴビアを心底愛して自分でもギターを演奏する、大学の ゼミの先生の御自宅のステレオをグレードアップしようと、オーディオショップでスピー カーを物色していたところ、「これがセゴビアだ!」と選んだのがかのJBLだったのだ。 その尊敬する師匠のことばが私の脳にすんなり刷り込まれてしまった。その何年か後に私 もJBLのシステムを入手することになった。L45-S4システムである。
 そのJBLのシステムとかれこれ20年あまりのつきあいになるのだが、よく考えてみると、 楽器の音に耳をそばだてていた昔日に比べ、いま興味が向けられるのは、いかにていねい に音楽を表現しているか、その音楽表現を演奏者がどれほどのエモーションを込めている か、さらに、その音楽を共有しているであろう、他の聴衆の興奮が伝わってくる空間感で あるとか、文章にすると大げさな表現になってしまうが、要はそこで音楽が奏されている 実在感、ボーカリストがすっと立って歌っている感じ、そんなものを、聴こえ方を求めて いるという気がする。
 音楽って、その演奏されている現場に、リアルタイムで自分も胸を踊らせながら立ち会っ ているその時間感覚が、そして、いかにも、演奏されているその楽器が、材料である質感 を伝えながら鳴り響いているその音が、私の魂をうちふるわせるのである。

さて、音が先なのか、音楽が先なのか。

音の話1999
 マランツのレプリカ、7、8B、9、が気になってしかたがなかった。とくに7と9の並んだ 時の佇まいのよさ、古くならないデザイン。しかしもはや過去の音と思い込んでいた。 だがしかしである、あるときJBL4344を7とマッキントッシュ275のレプリカの組合せで 鳴らしているのを聴いた。健在である、気に入った。即購入となってしまった。

 昔、C22とMC275のオリジナルの組合せにはあまり惹かれなかったのだが、7CとMC275 スターどうしの絵に書いたような組合せ、口の悪い友人等からは、オーディオ雑誌の人気 投票ナンバーワンとナンバートゥの組合せだ、さぞ素晴らしいことだろうとの評論さえい ただいてしまった。なんとでも言いなさい、私はこの組合せに私のJBL-L45S4がよりしっ くり好みの音楽に馴染んでいるのがとても幸せな、今日この頃です。

音の話2000
 ロクサン、ザークシーズ10+SME3010Rを手に入れた。テクニクスのシステムでは機嫌の 良くなかったSPUがよく歌うようになった。PABLOレーベルのMILT JACKSON IN LONDONの “ROUND MIDNIGHT”でレイブラウンが弓びきでコントラバスを歌わせる、そのファンダメンタルトーン を聴きたいためにスーパーウーファーをJBL2235Hを2本つかい自作した。ユニットを向かい合わせで プッシュプル駆動させ60Hz以下で使用している。 センターウーファーである。マルチチャンネルデバイダーはLUX-FL202を使用している。 S4システムと一緒に活躍していたスーパーツイーターの077はN8000を外してコンデン サーのみでカットして使用した方が音が滑らかだ。と言うような話を日本橋の奥にある怪 し気なオーディオショップでしていたら、それならこのウエスターンのオイルコンデンサ ーが一番だとさらに怪し気なコイルとともにハイパスフィルターを組んでくれることにな り、スピーカーコードもウエスターンに取り変わってしまった。
 怪しい方向に加速しはじめた私のオーディオセットに、ある日SCD-1がやってきた。

 SCD-1にサンプルとして付いているスーパーオーディオコンパクトディスクの中に、ケイコ ・リーがすでにレギュラーCDで出しているアルバムBEAUTIFUL LOVEから3曲リリースされ ているが、SACDの方がなんかはすっぱで下品に聴こえる。しかしそれが妙にリアルな雰囲 気に聴こえるのが不思議だ。私が持っているのはレギュラーCDでSBM/SUPER BIT MAPPINGと 表記のあるもので、けっこう雰囲気があっていいなあ、と思っていたのだけれどちょっと クリアーすぎるのちゃうかいなー。マレイ・ペライアのモーツアルトの協奏曲もよかっ た。ピアノの打音と打音の間がとっても静かで空間が感じられるような鳴り方だ。昔マイク ロの糸ドライブのレコードプレーヤーで聴いたことがあるようなそんな気がする音です。 音場感というか空間感が良く再現されるので、ライブのソフトがたくさん出てくれば、とっ ても魅力的なフォーマットではないか。例えば私の大好きなGETZ/GILBERTO#2,1964年10月9日 CARNEGIE HOLLのライブ録音。この14番目から15番目に至る臨場感が圧倒的なんじゃないかと 思うだけでわくわくしてしまう。

 私はどちらかというとレギュラーCDへのパフォーマンスに興味があったので、てもちのCD を次々聴いた。SCD-1のCDをセットする部分の蓋は、みごとに夢のようにストレスフリー に横へ移動をする。これを見ているだけでも欲しくなってしまうのだけれど、如何せん全体 が私のラックには大きすぎる。デザインもすごく良く出来ていて、造りもしっかりしている。 しかしデカくて、重い。なんとかなれへんのやろか。ラインケーブルを付属のソニー製から FURUKAWAのケーブルを自作したのに代えたら、音が少し安定して音楽にわくわく感が出 てきたような気がする。もっと良いケーブルに代えたら、うふふ状態になるのでは。

 前述の口の悪い友人たちを呼んで試聴会をしようと思いながらあっという間に3週間が過ぎ てしまった。梱包しながらあらためて思ったのは、もうほんの少しコンパクトであれば、具 体的に言えば奥行きがコード類を含めて40cm以内であれば、そしてSONYの文字が1/10 位の大きさであれば、私にとって大変魅力的なCDプレーヤーなのに。やはり生活空間の中 で気持ちよくオーディオするには、ある程度のコンパクトさは絶対に外せないのではと考え る今日この頃です。

追伸
 SCD-1が去ってみるとやはり今常用のCDプレーヤーではちょっと寂しい、欠点が良くわかる。 しかしこのままでも音楽聴くなら十分なのではと思ったりする。やっぱり良い音で聴いた方が シアワセ度、ワクワク度がずいぶん高得点ではある。とりあえずよいCDプレーヤー、ワディア とか、マークレビンソンとか試してみることにしよう。


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