《ESOTERIC 論文コンクール応募作品 Vol.11》
No.0128 - 2002/2/6 東京都町田市在住 K・K 様より 「エソテリックの登場で、ハイエンドオーディオは、 科学と呼べる領域に参入した。」 目次 はしがき 1.ティアックの挑戦 2.エソテリックの誕生 3.P-0からP-0sへ 4.VUK-POによるアップコンバートの目的は何か 5.20kHz以上の超高域は聴こえるのか 6.P-0s with VUK-POを D-70で聴く 7.物づくり日本の伝統 はしがき P-0sがバージョンアップされたVUK-POが着いてから2週間以上が経過してい るが、毎日そのすばらしさに感動している。ティアック社の製品をTTCとよば れたLPレコード用のフォノモーターの時代から使って来た者としては、よく ここまで来たものだとの感慨深い思いに浸っている。 この感慨を多くの方々にも共有していただくために、エソテリックのルーツを 辿りながら、VUK-PO の試聴の経過報告を行いたい。 1.ティアックの挑戦 日本のオーディオ製品を批判もしくは冷笑するときの決まり文句がある。 「日本のオーディオ製品は測定で作る。外国の製品は耳で作る。だから、日本の 製品は、測定値は優れていても音はつまらない。外国の製品は、測定値はともか く、音が魅力的である。」というものである。 また、優れたオーディオ製品の設計・制作は、特別の感性を備えた人物だけが 行うことの出来る一種の芸術的な行為とも言われる。 そうだとすれば、西洋音楽の伝統を持たない日本人には、優れたオーディオ製品 を作るのは不可能なのであろうか。日本のオーディオ製品は、普及レベルの製品 では世界市場で大きなシェアーを確保しているが、ハイエンドの分野に進出する のは無理なのであろうか。 ハイエンドオーディオ製品の制作や、その使いこなしを、十全に行えるのは特別 の感性を備えた人にだけ可能な行為なのであろうか。 だが、この課題に果敢に挑戦し成功をおさめている日本人の技術者のグループが ある。オーディオ機器は、音楽演奏家の芸術を再生するための手段(道具)であ って、再生のための手段は芸術ではなく科学であることを、自社の製品で証明し たティアックの技術者達である。 ティアックの技術者達も、優れた感性を持った人達による製品の聴きこみも十分 に行っているであろう。だが、その前に、製品の物理的性能の測定値を向上させ るための徹底的な執念があるのである。そのことが、アナログ時代に「テープレ コーダーのティアック」として世界のハイエンド市場をリードして来た実績とな っている。 この基本的機能への徹底した執念の遺伝子は、デジタルの時代になっても、エソ テリックのなかに脈々と生き続けている。 人間の聴覚特性は、鋭敏な時間差識別能力と非直線的な音量認識の組み合わせで 構成されている。このような人間の聴覚の特性が、システムのなかに回転系のメ カニズムを持つ機器を製造するオーディオ製品のメーカーに、種々の課題と試練 を課して来た。 アナログの時代には、LPレコード再生用のフォノモーターやテープレコーダーの キャプスタン用モーターの回転むらが、大きな問題となった。 回転むらがあれば、それは再生される音楽の音程の揺らぎとなって表れた。 これらの現象はワウ・フラッターと呼ばれ、これを最小にするために、測定と 改良を繰り返して製品を完成させていたのである。 ティアックの技術者は、このワウ・フラッターを民生用の機器にもプロ用のレベ ルまでに減少させ、テープレコーダーのティアックとして世界市場をリードして 来た。 一方、デジタル情報の伝達・再生においては、このワウ・フラッターは原理的に 発生しない。したがって、デジタルのシステムにはCDという回転メカニズムが 含まれているが、この問題からは開放された。しかし、別の難題が発生した。 それは、ジッターと呼ばれる、デジタルパルスの時間軸の誤差が、アナログ再生 音に与える悪影響であり、しかも人間の聴覚がその部分にきわめて敏感なことで ある。 2.エソテリックの誕生 デジタル情報は、それ自体が意味を持つシグナル(信号)ではない。 それは量子化されたパルスである。伝送したいアナログ信号を、送信側でデジタ ルのパルスに変換する。このパルスは、伝送の途上において磨耗したり変形した りすることがあっても、その痕跡さえ残っておれば、受信側で正確に再現するこ とが可能である。 この再現されたパルスを基にして、送信側にあるアナログ信号のソックリさんを 受信側で造り出すのである。 デジタルとアナログとの変換は、共通のPCM(パルス符号変調)フォーマットで 行う。アナログ信号をそのまま伝送するのであれば、伝送中の磨耗や変形は受信 側ではノイズや歪みとなって表れるが、デジタル伝送はこのような弊害とは無縁 である。これがデジタルによる情報伝送の特徴である。 だが、この特徴についての浅薄な理解が、当初のオーディオ界に大きな誤解と 混迷を生むことになった。CDの発売当初、多くの専門家達は言った。 「CDによる再生音はプレイヤーの構造によって違いの出ることはない、キャビネ ットの重量や外部振動も関係ない、デジタルケーブルはどれでも音は同じだ、周 波数特性は人間の高域可聴限界の20kHzまでフラットである」等々であった。 当時のオーディオ専門誌や一般新聞も、この新しいメディアを絶賛していた。 筆者がCDプレーヤーを購入するきっかけとなったのは、S社の新聞広告でピアニ ストの中村紘子氏が、CDを称賛するのを読んだからであった。 たしかに、ビアノ演奏のフォルテでアナログプレーヤーのように音が歪むことも なかった。再生音は鮮やかで明解だった。 しかし、その感激は長続きしなかった。 鮮明と思った音は、よく聴いてみるとディテールが不足して硬質な音だった。 当時写真の分野で流行っていた硬調の印画紙に焼いたハイコントラストの映像と 同じであった。 一方、一時部屋の隅に追いやられていた拙宅のアナログプレーヤーは、復活し 確実に進化していった。フォノモーターはTTCからTEACのマグネフロートに変わ り、最後はM社の重量級の削り出しターンテーブルをエアフロートして糸ドライ ブし、ディスク吸着を組み込んだ装置に落ち着いた。これは現在も現役だが、 フォノカートリッジも改良され再生される音楽は当時のCDプレーヤーをあらゆる 点で凌駕していた。 しかし、新譜の発売はCDばかりで、LPは昔の演奏の再プレスが発売されるだけで あった。 増え続けるCDの新譜を横目で見ながら、信頼できる民生用のCDプレー ヤーの発売を待ち望んでいた。 CDプレーヤーも第二世代となり、各社ともに回転メカニズムの重要性に配慮した と称する製品が出揃った。 しかし、肝心のデジタルデータ読み取りの部分は、メカニズムの不完全な動作を サーボの働きで補うものであった。CDは完全な平面ではなく小さな反りがあり、 回転すればデータ面は上下に動く。一方、読み取り側はレーザー光線をレンズで 収束してCD面に焦点を合わせて読み取るので、相手が動けばピント合わせをやり 直すため、レーザー光線発光体とレンズも相手に合わせて動くことになる。 これらの動作はサーボによってコントロールされているといわれるが、メカニズ ムの基本を押さえずにサーボ技術でボロ隠しをしているようなものである。 サーボ技術への偏重が、デジタル出力の時間軸誤差などの弊害となって表れ、再 生音はいわゆるデジタル臭い硬質な音であった。 そのような時に、ティアックからCDトランスポートの画期的な製品が発表され た。それはV.R.D.S.と略称される機構で、CDを同じ径のターンテーブルに圧着 して、反りや歪みを矯正するとともに振動を抑制するものである。 エソテリックのブランド名でCDドライブユニットP−2に採用された。製品の説明 書には、高質量ターンテーブルとそれを支える重量級のボディー等々、ティアッ クの技術者がメカニズムの基本性能を徹底して追求している姿勢が明確に表れて いた。 このV.R.D.S.がその後のエソテリックCDプレーヤーの基本機構として改良・発展 をしてP−0からP−70にいたるまで使われている。 デジタル出力は、その後の補正や加工によって音造りが出来るため、最初のデー タ読み取りメカニズムをあまり重視しない傾向があったが、ティアックの技術者 はこの段階の重要性を正確に認識し、メカニズムの基本機能の改善に真摯に取り 組み、エラー補正量やサーボ量を大幅に低減して来た。これはエソテリックだけ であると言っても過言ではない。 筆者は、P−2のメカにDAC機能を組み込んで一体型としたX−1を購入し、今まで 再現の難しかった楽器の音像定位や臨場感を楽しんでいた。 3.P-0からP-0sへ エソテリックのブランド10周年目に記念モデル「P-0」が発売された。 P-0は従来のV.R.D.S.機構に加えて、CDの偏芯に追従するために新スレッド機 構を採用したメカニズムである。CDのビットの読み取り精度を高めるため、上 下方向はVRDSの圧着で押さえ込み、水平方向の偏芯は精密なスレッド送りで、 光学系を追従させレンズの光軸位置を正確に対応させるものである。 ティアックの技術者の徹底したこだわりの執念を感じさせるものであったが、 その本当の偉力は実際に自宅で聴くまでは分からなかった。 購入したのは、発売後かなりの期間が経ってからであるが、P-0から再生され る音楽は今までとは次元の異なるものであった。 その特長を一言でいえば、演奏家の実在を明確にしてくれることである。 DACにはV社の製品を使用したが、最初の第一聴で、演奏者との距離の短縮が 実感された。 ホールの二階席前方から、一階席の前列に移動したような変化があった。 何よりも、演奏者の実体感が鮮明に描写されることに驚喜した。楽器から発せ られる音が軽やかなものであっても、例えば、鳥の羽軸で弦をかき鳴らすハー プシコードの音やバイオリンのフラジオレット奏法による玄妙な調べも、音自 体は軽やかに空中に舞い上がるが、そこには人間の演奏者の存在が感じられる 音でなければならない。 P-0の音には、それがある。別の言い方をすれば、腰のすわった音なのである。 SACDの再生音を最初に聞いた時、その繊細な音に大きな可能性を感じたが、 演奏家の実在感が希薄なことに落胆した。P-0で再生されるCDの音を見直すこ とになった。 大ホールのバルコニー席で聴く舞台上のコロラトゥーラソプラノの歌唱は、 中空に美しいボールを軽やかに転がすように響くことであろう。 しかし、同じ演奏を小ホールの近距離で聴けば、そこには生身の人間が全身の 力を振り絞って横隔膜を締め上げ、吹き出た汗と唾が声と一緒に飛んでくるよ うな迫力がある。 美しい音という前に、一人の表現者としての実在がそこにある。CDにそのよう な音が記録されていたら、CDプレーヤーはそれをそのまま再現しなくてはなら ない。P-0はその可能性を実感させるものを持っていた。 筆者は演奏会にはよく出かける。自宅での再生音のレファレンスにするため と、演奏者の息吹に接するためである。会員として定期的に行くのは、代々木 上原にあるムジカーサと呼ばれる小ホールである。 この小ホールは、壁はコンクリートのままで床は木張り、ホールの左右の幅よ りも天井が高く、響きのよいホールで、演奏者のまわりに椅子を並べて独奏や 室内合奏を鑑賞する。筆者は通常は最前列の席で演奏者から2メートルから 3メートルの近距離の位置で聴く。 一方、オーケストラの方は、勤務先がサントリーホールの隣のアーク森ビルに あったので、帰宅時に時間のとれる時は飛び込みで当日券の売れ残りを買って 聴いた。こちらの方は座席の位置は不特定で、座席の位置による音の違いを楽 しんでいた。 筆者が自宅での再生音のレファレンスとするのは、小ホールでの近距離の位 置と大ホールの平土間の前方5列目あたりの中央で聴ける音である。 それは、直接音が主体の実体感のある音であり、P-0はそのような音も再生で きる唯一のCDプレーヤーであった。 P-0の再生する音を批判する論調の多くは、音の輪郭が鮮やか過ぎる、芯が 硬い、柔軟さに欠ける、等々である。確かに大ホールの後方席やバルコニー 席で聴く音は、ホールトーンと直接音がブレンドされて柔軟な心地よさがある。 オーディオの趣味において、このような再生音を追求することも各人の自由で ある。しかし、これはアンプやスピーカーの選択においてやるべきことであっ て、CDプレーヤーの段階でこのような音造りをすべきではない。 外国製のハイエンドのCDプレーヤーはこのような音造りをした再生音が特長で あるという。筆者はこれを手元において聴き込んだわけではないので、断言は 避けるが、これは正しい方向ではない。記録されたビット読み取りの最初の段 階では、エソテリックの愚直ともいえる基本的性能への徹底的なこだわりの方 が正統なのである。 音造りはその後の段階で各人の好みで行えばよいのであって、入口で脱落した データは、元に戻すことは不可能である。 だが、P-0のメカニズムの作動音はかなり大きな音であった。 再生される音楽のすばらしさのために作動音が気にならないことが多かったが、 気持ちが音楽に集中出来ない時などは、うるさく感じられた。 P-0sへアップグレードされて、この作動音の問題は解決した。 P-0sとなって、再生音も改善された。角張った輪郭が和らいで、しなやかさ が増した。人間に例えれば、生まれつきの無骨な生真面目さは変わらないが、 それなりに円熟してきたとでも言えるだろうか。 4.VUK-POによるアップコンバートの目的は何か CDによる再生音を良くするための方法は、二つに分かれる。 一つは、CDに記録されたビットの読み取り精度を高めること。二つ目は、読み 取ったデジタルデータをアナログ信号へ変換するプロセスにおいて、より高精 度な変換や類推補間などの高度技術を応用することである。 前者がCDトランスポートの基本的役割で、エソテリックではP-0sにおいてこの 機能は一応完成の域に達した。 後者の分野は、単独のDACなどの役割であったが、P-0sをバージョンアップした VUK-POは、この分野に一歩踏み込んだ。それは、44.1kHzで16ビットのデジタル コードを、88.2kHz/24ビット(2Fs)または176.4kHz/24ビット(4Fs)に上位 変換(アップコンバート)する機能を組み込んだことである。 D/Dコンバートといわれる機能で、その目的は、CDに記録されていない20kHz 以上の超高域の音を類推して再生するDACと組み合わせることで、その機能を 十全にするためであると言われている。 しかし、人間は本当に20kHz以上の超高域の音を聴くことが出来るのだろうか。 CD開発初期には、人間の高域可聴帯域の限界は20kHzなので、サンプリング周 波数を44.1kHz に決めたと説明されていた。 音響心理学の文献によれば、「若い人で正常な聴覚の持主でだいたい20kHzま で。健全な耳の持主でも年をとると高音がだんだんと聞こえにくくなり、老人 では10kHzの音でも聞こえない人が多い」と述べられている。 (平凡社刊「音楽大事典」、音響心理学の項による) にもかかわらず、最近のオーディオ界では、20kHz以上の超高域も聞こえてい るのだ、との説が有力である。が、それについての論理的な解説は行われて いない(寡聞にして筆者は知らない) アップサンプリングの音を経験した人達が、それをすばらしいと絶賛しても、 それは特別な聴覚と感性を備えた人だけが感じ取ることが出来ることなのか、 それとも一般の人も感じ取ることの出来る普遍性のある事実なのか。 20kHz以上の超高域音が聴こえない者もその恩恵に浴することが出来るのか。 それを判明するためには、20kHz以上の超高音域と人間の聴感覚の関わりに ついて理にかなった説明がなくてはならない。 これは、CD再生におけるアップコンバートなどの高度技術を適用する合理性 を理解し納得するためには不可欠の議論と思われるのだが、オーディオ界で は、聴きこみによる感覚的事実のみが喧伝されているように思える。 5.20kHz以上の超高域は聴こえるのか そこで、この問題について、素人談義ではあるが、考察してみたい。 筆者は、超高域の聴取テストを、知人と協力して実施したことがある。 それは、一昨年スーパートゥイターTannoyST-200を自宅のシステムに導入し た時に行ったもので、オッシレーターによる正弦波の再生音の聴取と、LPレ コードを再生しながらスーパートゥイターをON/OFFして聴き比べるやり方を 組み合わせた方式であった。 最初にオッシレーターによる正弦波の単音の再生音を聴取したが、筆者は 12kHzがやっと聴こえる程度で、15kHzではまったく聴こえなかった。この結 果に愕然としながら、30歳代の知人をテストしてみると、彼は15kHzがやっと 聴こえるという。 もう一人の40歳代の知人は15kHz以上の音も微かに聴こえると自信なさそうに つぶやいた。また、別の人の話によれば、最近の若者はウォークマンのヘッド ホンで大音響のシャカシャカ音を聞いているので、中高年者よりも劣悪な聴感 覚であるという。 わずか3人のサンプルテストに過ぎないが、人間の高域可聴限界は20kHzとい うのは正しい結論なのだと納得しかかっていた。だが、次のテストでその結論 に疑問を抱くことになる。 次に、LPレコードを再生しながらスーパートゥイターをON/OFFして聴き比 べることにした。スーパートゥイターのクロスオーバー周波数は16kHzでセット した。レコードは、教会での合唱の名録音といわれるカンターテ・ドミノ (Proprius, prop 7762)を使った。筆者は最初のテストで12kHz以上の高域 聴覚障害(?)が判明したのだから、16kHzでローカットしたスーパートゥイ ターは、有っても無くても同じであるはずであったが、違いがはっきりとわか った。合唱団の全体像と教会の壁と高い天井が明確になり、コーラスの声に 生気が漲った。 それはスーパートゥイターをOFFにしても感じないわけではないが、ONにする とより明確になった。これに勇気を得て、他のソースでもテストしたが結果は 同じであった。つまり、スーパートゥイターの再生する超高域を聴くことが出 来たのである。 何故このような現象が起きるのか。 筆者は、音響工学や音響心理学についてはまったくの門外漢であるが、この 現象は以下のように説明できるのではないだろうか。 人間の高域の可聴限界を調べるために、低周波発振器(オッシレーター)に よる正弦波の単音を聞かせれば、聴感覚の鋭敏な若い人でも20kHz位が限界であ ろう。ほとんどの人は15kHz までともいわれる。 ここから、人間の可聴周波数は20Hzから20kHzという音響心理学における通説が 生まれてきたものと推察される。しかし、これは発振器の単音によるテストで あって、自然音や楽音などによって検証されたものではない。 一方、楽器の奏でる音は、音程を決める基本となる「基音」と、その楽器 特有の音色などをきめる整数倍の「倍音」が幾重にも重なって出来上がった 「複合音」である。 この複合音の構造が「音響スペクトル」である。基音の周波数は、一部のパイ プオルガンや電子オルガンを除いては、すべて10kHz以下である。通常の楽器 で、 基音の音程が一番高い音を出せるのはピアノで、最右端のキーの基音周波数は 4186Hzである(A音=440Hzを基準として)。 パイオリンの基音の周波数域は196Hzから2093Hzである。(オーム社刊、「オ ーディオデータマニュアル」記載、引用先としてAudio Cyclopediaよりと記 されている)。 楽器の基音周波数が、意外に低いことに驚くのであるが、パイオリンのような 楽器は倍音成分が優位になり、打楽器などは基音のほうが多いといわれる。 バイオリンの最高音程の音は、2093Hzの基音と4186Hz, 8372Hz, 16744Hz, 33488Hzと続く整数倍の倍音群と、不純音と呼ばれる非整数倍の倍音も多少 含まれて、楽器の特色や演奏技術の巧拙を表現することになる。 演奏される楽器の音は、このような複合音なのである。 前述の人体実験(?)で明らかになったように、単音では知覚されない 超高域の音が、複合音に含まれて出されると知覚されるのは何故か。 それを解く鍵は、単音と複合音に対する人間の聴覚の知覚特性が、周波数の 高低によって変動するところにあるのではないだろうか。 音を聞きとる人間の聴覚特性は、フレッチャー・マンソン曲線(等感曲線) でよく知られているように、聴覚感度は周波数によって、そして音圧レベル によって、大きく変動している。また、スレッショルド(threshold=最小 可聴閾値又は識閾値と訳す、微小な音を知覚する聴覚作用の生起と消滅の 境界値)も周波数の高低や他の音との関わり状況によって変動することが 報告されている。 では、単音としては知覚されない超高域の音が、低い周波数の音と混合し て複合音として耳に到達すると、聴覚神経が受け入れるのは何故か、その 理由を考察する。 超高域音が単音で鼓膜に飛び込んで来ると、聴覚神経は神経組織の保護の ため識閾値を高くして知覚神経を防御するが、複合音のなかに含まれて到 来すると事情は異なる。 複合音の中で、最も周波数の低い音が音程をきめる基音である。 楽器によって差異はあるが、通常、基音のほうが倍音群よりは音圧レベル は強いであろう。この複合音が鼓膜に到着すると聴覚神経は、基音の周波 数に対する最小可聴閾値が作動する。それは超高域音に対する識閾値より 低い(つまり感度が高い)ので神経細胞が超高域音も含めた複合音として 知覚することになる。 別言すれば、超高域音(倍音群)は低い周波数の基音に便乗することで、 識閾値のゲートを楽々と通過して神経細胞に知覚されることが出来ると 考えられる。 この楽音の基音と倍音群の関係は、食物の料理における「うま味成分」の 関係に類似している。テレビの番組で見たことがあるが、昆布や煮干しな どで作る出し汁のうま味成分は、数種のアミノ酸で、これを抽出して乾燥 製粉し、水に溶かしたものを味わっても美味とは感じないが、それを料理 に混ぜると、その料理を美味しくするという。 これと同じように、超高域音は、それを単独で聞かされても知覚できな いが、基音に混ぜ合わせると楽音の本来の美しさとして知覚されるという ことではないだろうか。 以上は、門外漢による推論にすぎないもので,仮説というにも値しない 論考であるが、音響心理学における解説は、現象を単純化しているので (論理構成のためには必要なプロセスではあるが)実用の参考にはならな い。とにかく、これでアップコンバートの必要性を証明(?)することが 出来たので(本音を言えば、P-0sのパージョンアップを正当化する言い訳 が出来たので)、次節でVUK-POの試聴結果を報告する。 6.P-0s with VUK-POをD-70で聴く 今回のP-0sのバージョンアップに際して、DACも更新することにした。 P-0s with VUK-POの新機能を正確に受け止める機器が必要であると感じたか らである。DAC の候補者の条件は無色透明であることである。 アナログ信号に変換するまでのプロセスで音造りをすべきではないという のが選択の基本方針である。とはいっても、20kHz以上の音を再生するた めには、アップコンバートしたデータから、一定の原則に基づいて元の 信号を類推し補完しなければならないので、各メーカーの独自の類推理論 (アルゴリズム)によって微妙な音の違いが出ることになる。 完全な無色透明はありえない。 前節で、超高域音は、うま味成分であると述べたが、料理を食べた人が、 うま味成分を隠し味と感じるように使うか、又は加味した食材が分かる ように使うかは、料理人の見識に関わることである。また、どちらを選ぶ かによって食べる人も試されることになる。 DACの候補者を並べて試聴できれば理想的であったが、結局、作る人のフィ ロソフィーへの共感から、エソテリックのD-70選択した。エソテリックが、 その製品の開発や機能改善に、小細工をせずに生真面目に正面から正攻法 で対処するやり方に以前から共鳴していたからである。 また、将来のアップバージョンにも応じてくれる安心感がある。技術進歩 の急速な分野の製品は陳腐化するのも早いが、ティアックはこの点でも 良心的である。 試聴テストに使ったCDは以下の4枚である。 A.諏訪内晶子/メロディ PHCP-11001 10. モスクワの思い出 B. ポゴレリッチ、ベートーベン、ピアノソナタ32番 POGC-1338 1. 第一楽章 C.ケルテス、VPO、ドヴォルザーク、交響曲、新世界 UCCD-7005 1. 第一楽章 D. CANTATE DOMINO PRCD 7762 9.JULSANG AとBはデジタル録音、CとDはアナログ録音である。 Dは前節で紹介したLPレコードと同じ音源をCDにしたものである。 44.1kHz, 16bit まず、最初はCD再生の基本となる骨格を確かめる試聴を行った。 この段階での改善部分は、電源部が見直され強化されたことと、内部 クロックの精度が従来比10倍位に向上したことである。 RCAコード一本でサンプリング周波数44.1kHzとしてD-70と接続する。 試聴して、すぐ分かったことは、低音部の形がはっきりとしてきたことで ある。 「C」の最初のティンパニー連打の最後の打音の低域の拡がりが引 締まっている、「D」のパイプオルガンの最低域部にも音程の変化があるこ とが分かる、などである。P-0sの低音は、CDプレーヤーの中で最良のレベル にあったが、それが更に改善された。 次ぎに,音場の透明感が増したことである。これは繊細さが改善されたこと によって音形が分かりやすくなったからであろうか。以前よく批判された、 エッジを際だたせて輪郭を強調するのとは違って、より洗練された自然な 輪郭とでもいうのだろうか。 44.1kHz, 16bit +クロック同期44.1kHz つぎは、ワードシンク端子をD-70と接続しワード信号の周波数44.1を確 かめ、端子上部のスイッチを入れる。ワードシンク・インジケーターが点 滅を開始し、しばらくして点灯に変わり、ワードクロックとデジタル出力 の位相が合致したことを示す。 実は、今までV社のDACを使っていたが、クロック同期に位相合わせが必要 なことなど、不明にして知らなかった。今まで聴いていたのは何だ、と愚 痴も出かかるが、ともかく試聴にはいる。 「B」でポゴレリッチの弾くピアノのペダルの使い方がよく分かるように なった。踏み方による音の消滅の違いが分かる。打鍵と一緒に踏むことも ある。「C」では、楽器の前後位置が分かりやすくなった。「D」ではコー ラスが横一列ではなく、前後にも重なっていることが感じられる。 だが、これが同期信号の位相が会ったことによるのかどうか、自信を 持って言うことはできない。筆者には、デジタル出力とワードクロック の位相がずれていると、それがアナログ信号にどのように影響するのか が、まだ理解できていないからである。 88.2kHz, 24bit +クロック周波数88.2kHz いよいよ、アップコンバートの音を聴くことになった。 XLR端子からのデュアル出力とし、スイッチ類を注意深く所定の位置に セットする。D-70のワード信号周波数は設定を88.2に変更する。 前節で説明したように、筆者は単音による聴覚テストでは超高域周波数 聴覚障害(?)の疑いがあり、はたしてアップコンバートの違いがわか るか不安でもあった。 「A」から聴く。ビアノ伴奏の最初の音が出る前に右の方から低い周波数 の雑音が聞こえてきた。もう一度かけ直す。最初に感じたのはコンサート ホールに入ったときに感じる独特の空気感であり、その中に何かの機器の 動作音が低く混じっていたのである。ジャケットを見ると、録音場所は ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホールとあった。スタジオ録音ではなかった。 前二回の試聴では、この雰囲気感は聞こえなかった。 バイオリンのボーイングの激しい音は同じだか、まろやかさが出てきた。 フラジオレット奏法の部分は、本物の笛のようで、呼吸音が入っていれば 管楽器の演奏と錯覚したであろう。 「B」はスタインウエイのビアノが使われている。ポゴレリッチの弾く音 はスタインウエイ独特のピューンという倍音がよく響くのが特徴だが、 基音と倍音は同時に出るのだが、この試聴では別々に聞き分けられる。 また、ビアノの音は、その本体の中で共鳴しながら外へ放出されるのだか、 最初にハンマーを叩く音と、それがビアノの中で共鳴するのが別々に 聴こえる。コンサートへ出かけても小ホールの近距離の位置でないと この音は聴けない。 「C」はアナログ録音特有のヒスノイズでマスクされるためか、ホールの 雰囲気感は希薄だが、最初のピアニッシモによる序奏の部分で、つぎの 楽章の演奏に待機する楽員の緊張感が譜面台の接触する小さな音などで 伝わって来る。最初のティンパニーの強打の後、別の手で響きを押さえ、 次ぎの連打に備える様子が、はっきりとわかる。フォルテの合奏音が伸 びやかにホールに拡散する部分も、消え入るようなビアニッシモのメロ ディーも、最初の試聴の音より内実に迫り、かつ、自然である。 「D」は、コーラスがよく揃った合奏ながら、人数が数えられるような 気持ちにさせられる。 リードソプラノの女性の姿が見えるような音像の定位が出てくる。 音の響き会いで教会の内部が想像できるが、外部の音も暗雑音のように 聴こえて来る。 以上の試聴で、筆者にも、そしてどんな人でも、アップコンバートや ハイサンブリングによる音の違いはわかるし、楽しむことが出来ること が判った。超高域の倍音群が再生されて付加されることにより全帯域の 再生音に影響がある。 低音域の楽音でも、数次倍の超高域の倍音が含まれている。 その部分を正確に再現することで、それまで聞こえなかった微細なレベ ルの音の再生に大きな影響を持つことが判った。 176.4kHz, 24bit +クロック周波数88.2kHz D-70との組み合わせの推薦モードであり、現行のエソテリック製品に よる最上の組み合わせである。この組み合わせで再生されるCDの音は、 今回の試聴におけるベストである。 個別の音の説明は省略するが、ここで再生される音楽は、演奏家の激 しい情熱を楽器に託した実体感のある音の存在を鮮明に表現しながら も、かつ、繊細で柔軟な楽器の音の自然さを再現している。 音場の透明感は向上し、奏者の取り囲む空気感のなかで、体の動きま で感じられるような錯覚を起こす。その音を、稚拙な言葉で表現する のが虚しく感じられるほどの、すばらしい楽音である。 ここまで書き進めて来て、重要なことに気がついた。 前回までのセ ッティングはP-0s with VUK-POの「お手並み拝見」という姿勢であった が、この最後のセッティングは、P-0s with VUK-POの方がこちらの 「使いこなしの腕前拝見」と挑戦していることに気がついた。 試す側の立場が逆転してしまった。その思いで見回せば、接続の線材 は手元にあった間に合わせの物、本体の置き方も裏面のスイッチ類の 操作がしやすいように横向きのまま、D-70は簡易置台の上といった状 況である。 これによって筆者が聴いているのはP-0s with VUK-POの実力の一部を 覗き見ているだけであることを思い知らされた。 本格的な使いこなしへの第一歩が始まったばかりである。 7.物づくり日本の伝統 エソテリックP-0s with VUK-POはティアック社の企業文化の遺伝子の 正統な継承者である。その遺伝子とは、製品の基本的性能への徹底的 なこだわりの執念である。特別な感性を持った人による製品の「聴き こみ」が重要視されるハイエンドオーディオの分野において、基本機 能の物理的性能を重視した製品で挑戦してきた。 「測定と分析」を「聴きこみ」と同列に位置づけ、製品の基本性能の 改善を続けて来た。それが、東京テレビ音響(TTC)でのLPレコード用 のモーターに始まりテープレコーダーのティアックとして世界市場を リードすることで結実した。 その遺伝子はCDのトランスポートにも生き続けて、P-0sへと昇華した。 CDトランスポートでこれを超える製品は、もう出現することはないで あろう。 頂上をきわめたところで、生産中止となったが、その遺伝子は生き続 けている。P-70やDV-50その他の製品群の存在である。これらの機器 を直接手元で使用したことはないが、社会の評価が、エソテリック遺 伝子の健在を物語っている。 株式会社ティアックは、株式市場の東証第一部に上場する大会社に発 展した。連結売上の一千五百億円(14年度)の7割近くをコンピュー ター周辺機器が占め、オーディオ機器が売上に占める割合は少ない。 しかし、エソテリックはティアック企業文化の正統の嫡子であること に変わりはないであろう。エソテリックのブランドや技術開発の組織 文化及びナレッジマネジメントは、ティアック社の知的資産の中核で ある。 エソテリックがこれからもハイエンドオーディオ・マニアの心の拠り 所となる製品を作り続けてくれることを願ってやまない。 以上 2003年2月2日 |